8月11日は山の日だったので、これを機に、歌ったことのある山の歌と、登ったことのある山とを適当に組み合わせてみた。
「アルプス一万尺」「山の大尉」「雪山賛歌」
(1)アルプス一万尺・白馬岳
50数年前に北アルプスの白馬岳(2932m)に登ったことがあり、当ブログの「古いアルバムめぐり」にも記事を書いている。その時のコースは、猿倉―大雪渓―白馬岳―白馬山荘(泊)―不帰ノ嶮―唐松山荘(泊)―八方尾根で、当時は35mmフィルム・ハーフサイズ版のオリンパスペンにスライドフィルムを入れて写真を撮っていたが、上の写真はその中の一枚である。
白馬岳に組み合わせる山の歌としては、「アルプス一万尺」はどうだろう。「アルプス一万尺」はアメリカ民謡のヤンキードゥードゥルのメロディに歌詞が付けられたもので、昭和36年の緑の歌集では歌詞が14番まであるが、歌詞は次々と追加されたらしく、今では29番まであるらしい。全部は歌いきれそうにないので、その中から適当に選んで歌っているのだろうか。ただ、歌われなくなって消えてしまった歌詞が他にもあった筈である。例えば、「山のうたごえ」というソノシートには、“裕ちゃんタフガイ 旭はマイトガイ そこに居る奴 問題外”という歌詞が載っているが、現在の歌詞には見当たらない。裕ちゃんとは石原裕次郎、旭は小林旭のことだが、この歌詞を歌う人はもう居ないのかも知れない。なお、「アルプス一万尺」は手遊び歌として童謡に分類される場合があるようだが、歌詞からすれば明らかに山男の歌なので、童謡として扱うのには違和感がある。
(2)山の大尉・瑞牆山
百名山の一にもなっている奥秩父の瑞牆山(2230m)に登ったのは、白馬岳の少し後のことである。「古いアルバムめくり」にも記事を書いているが、この時は増冨から瑞牆山まで往復している。上の写真はオリンパスペンで撮ったスライドを補正したものである。この時は夜行日帰りだったが、仮に増冨温泉に一泊したとしたら、「山の大尉」を歌ってみたい。
「山の大尉」はイタリー民謡で、山岳兵と呼ばれる守備兵のことを歌っている。イタリー映画の「苦い米」の中でシルバーナ・マンガーノが歌っているそうだが、確認はしていない。現在は、牧野文子の訳詞が知られているようだが、昭和36年の緑の歌集には、これとは異なる、三沼太郎による下記のような訳詞が収められている。
“1.山の隊長は傷ついた 苦しみこらえながら
アルプス隊にあいたいと 息もたえだえに ことづけた
2.部下の兵士は たちあがり 「行くには靴がない」と
「靴がなくとも山越えて ここに来てくれ わが部隊」
3.静かな山に朝陽さして 登りて つどう兵士
「山の大尉よ 命令は」「われら山につきました」
4.わたしが死んだ その時は 五つに ほねをわけて
その一ひらを皇帝に いのちささげたかたみゆえ
5.その二つめは連隊に アルプス隊のしるし
三番目には わが母に 山の息子の 思い出に
6.四つめのそれは 恋人に わが初恋のために
のこりはすべて わが山に アルペンフローラの 咲く尾根に “
この歌詞は原詩の意訳のようだが、大尉と兵士の会話と情景描写が組み合わされて臨場感ある内容になっており、歌詞のラストにも心動かされるところがあるので、個人的にはこの歌詞で歌いたい。
(3)雪山賛歌・丹沢表尾根
丹沢表尾根をヤビツ峠から鍋割山まで縦走したことがある。3000m級の高山を歩くに当たって、足慣らしとして歩かれていたコースでもあったので、白馬岳に登る前に歩いていたかも知れない。上の写真は塔ノ岳(1491m)より手前の表尾根の写真で、オリンパスペンで撮ったスライドフィルムである。
このコースで歌うとしたら、「雪山賛歌」だろうか。この歌はアメリカ開拓当時の歌「いとしのクレメンタイン」のメロディに、後に第一次南極観測越冬隊隊長となる西堀栄三郎が歌詞をつけたもので、昭和34年の紅白歌合戦ではダークダックスが歌っている。“雪よ岩よ”で始まり、“山よサヨナラ ごきげんよろしゅう 又来る時にも笑っておくれ”で終わるこの曲は、山の歌の中では定番中の定番と言えるのだろう。