冒険遊び場(プレーパーク)『たごっこパーク』

心が折れるより、骨が折れるほうがましだ。富士山麓の麓、田子浦港近くの公園と川ではちゃめちゃに遊ぶ子どもたちの日常。

[通算443回目] 2011年6月19日(日) おい、遊んでんなよっ!

2011年06月30日 | 冒険遊び場たごっこパーク
この日もドラム缶風呂を沸かし始めた子どもたち。

水を汲むAくん、薪を運ぶBくん、焚き火を管理するCくん…。

その作業中にAくんがGくんに声を掛けた。

「おい、G、お前だけ遊んでんなよっ!」

えっ!?ドラム缶風呂は、遊びじゃなかったんだ???

そう、子どもにとっての遊びは大人の遊びとはちょっと違うんですよね。

大人の遊びは息抜き、余暇という感じが強いのですが、子どもの遊びは違います。

子どもの遊びは真剣です。余暇ではなく、本業という感じです。

とても苦労しながら遊んでいます。

役割分担をして、互いに知恵と力を出し合ったりしています。

そんな遊びだから、子どもたちは社会性や協調性や創造性を遊びの中で育むと識者たちは指摘するのでしょう。

ただ、難しいのは、大人がそうしたものを身に付けさせるために子どもを遊ばせようとすると、もはやそれは遊びではなくなるということです。

主体を子どもから奪ってしまうからです。


 小学生14人 中学生11人 青年1人 大人14人 計40人

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2 コメント

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欲深き大人 (セージ)
2011-08-01 23:53:42
お久しぶりです。セージです。

たっちゃん:
「大人がそうしたものを身に付けさせるために子どもを遊ばせようとすると、もはやそれは遊びではなくなるということです。主体を子どもから奪ってしまうからです。」

セージもその通りだと思う。
で、かつて、セージはユーリがたごっこパークに遊びに行っていた頃に、実際そういう効果を心のどこかで期待していたと。思い返すと。

で、いろいろあって、結局、親(大人)が変わらないとダメだなと。地域にそういう「場」がある無しに関わらず、まず、親がそういう「場」を少なくとも自分の子どもに提供できるならないと、と。家庭の中で。日常の会話や関わりの中で。

で、たごっこにそういう役割を期待するではなく、自分が変わることに全力を傾けようと。ユーリがたごっこに遊びに行く・行かないに、セージの思いや力を注ぐよりも。

ユーリとミヒロの子育てが終わったら、また、冷静に、フラットな気持ちで、たごっこに顔出せるかなぁ~と思ったりしています。
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Unknown (たっちゃん@ゆめ・まち・ねっと)
2011-08-10 21:14:50
元気にしてますか?

時折、リョウジュンやユリエとあの頃のガキンチョ団の子どもたちの話題になることがあります。

みんな元気にしているのかなぁと。

子どもたちとそんな話題になると、セージたち親のことも思い浮かべています。

後半はよくセージだけが来ていて、マユが「暇だねぇ」と笑っていたことを思い出したりもします。

いろんなブログで紹介しているとおり、ガキンチョ団以外のあの頃の子どもたちは、今でもみんなたごっこパークやおもしろ荘に来ています。

セージもどうぞ、単独でもまた遊びに来て、マユに茶化されてくださいな。

待ってます!
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