冒険遊び場(プレーパーク)『たごっこパーク』

心が折れるより、骨が折れるほうがましだ。富士山麓の麓、田子浦港近くの公園と川ではちゃめちゃに遊ぶ子どもたちの日常。

自由な遊び場を地域のみんなで育むために

2005年07月22日 | 冒険遊び場たごっこパーク
 子どもたちの遊びには、「あぶない」、「きたない」、「うるさい」が付き物です。子どもたちは、「あぶない、きたない、うるさい」と引き換えに、「ドキドキする、ワクワクする、たのしぃーーー!」を体験していくといってもいいくらいです。

 でも、今の社会では、かつての子どもたちが日常的に満喫できた「あぶない、きたない、うるさい」遊びが許容されなくなってきています。
 林が宅地化されたり、川が汚れたり、といった自然が失われているというのも原因の一つでしょう。しかし、そのことによって、街中にしか遊び場を求められなくなった子どもたちに対して、大人たちは「あぶない、きたない、うるさい」遊びが目についてしまうために、ついついやめさせようと注意をするようになりました。
 かくして、子どもたちは、家で数人の友だちと、あるいは一人っきりでゲームやパソコンで遊ぶという構図ができあがってしまったのです。

 そうした子どもたちの遊び環境に危機感を覚え、山の中の森林公園での特別な活動ではなく、子どもたちが自分たちの足で、いつでも自由に行き来できる生活圏内での遊び場づくりを目指しているのが冒険遊び場活動です。
 そのために、全国の冒険遊び活動の共通の課題として、地域の人たちの関係づくりが生じています。多くの地域では、子どもたちの「あぶない、きたない、うるさい」遊びを許容できない大人たちとの価値観の相違を埋めていくことに苦慮しているようです。
 だからこそ、社会的立場の弱い子どもたちの防波堤として遊び場を子どもたちに提供する大人の必要性もあるのだと言えます。

 ですから、冒険遊び場活動では、いろいろな地域の声を直接、当事者同士が話し合っていくことで子どもたちの居場所がさらに豊かなものになっていくと考えています。
 近年、子どもたちの遊びの問題に限らず、本来は市民同士で解決すべき地域の課題を役所だったり、学校だったりへ持ち込む傾向が強くなってきています。解決を委ねられた役所や学校は、その性質上、判断を明確にすることができず、ますます地域の課題がねじれてしまうことがままあります。
 学校のおたよりに、本来、家庭で親と子が決めるようなことがたくさん書かれています。「友だちと遊ぶのは午前10時を過ぎてから」、「友だちの家に外泊をしない」…。公園の入り口には規制事項、禁止事項があれこれ書かれています。「自転車の乗り入れ禁止」、「ボール遊び禁止」、「火遊び禁止」…。


 大人たちは、子どもたちの遊び環境を貧困化させる一方で、「最近の子どもたちは遊び方を知らない」、「遊ばないから心が育たない」、「ゲームやテレビの影響でいじめをする」などなど勝手なことを言っています。
 たごっこパークの子どもたちを見ていると、子どもたちは本当に自由に遊んでいます。現代っ子は遊べないなんて嘘です。ずぶ濡れになったり、泥だらけになったり、すすだらけになったり。亀を捕まえたり、ミミズを捕まえたり、蛇を捕まえたり。木に登ったり、川に飛び込んだり。
 環境さえ与えてあげれば、昔も今も子どもたちは遊びます。

 その環境をどうしたら育んでいけるのか。たごっこパークでは、親や地域の高齢者がそのことを折りに触れ、話をしています。
 真剣に語り合うときもあれば、昔話に花を咲かせながら、今を考えることがあったり。
 嘆くだけでなく、誰かを批判するだけでなく、誰かに責任を押し付けるだけでなく、自分たちには何ができるのか、膝を突き合わせて、お話をしましょう。
 そして、一人ひとりができることをできる範囲でいいからやってみましょう。
 一歩目を踏み出さなければ、二歩目は永遠にやってきません。
 
 自由な遊び場を地域のみんなで育むために一歩前へ。

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