22年前の17日の早朝、
地震直後に西宮に住む妹に電話した。
通じた!
大丈夫だとわかり安心するが、
以後電話が不通になり・・・
情報がないことが、不安を募らせ、
健在だった父母が、
リュックを背負い西宮に向かったのでした。
情報はテレビで火災の様子を知るだけ、やはり、個人個人の知りたいことは、直に聞くよりないので、電話が通じる状態・通話の確保は大切だと災害の度に思う。
22年前からどれ位進歩したのだろう。
多くのボランティアさんが、
西宮に向い、
ボランティア元年と言われるようになりました。
それから各地で何度も災害があり、
必死に復興に励む人々。
人の力は大きいが、
虚しく感じることも多々ある。
地震直後に西宮に住む妹に電話した。
通じた!
大丈夫だとわかり安心するが、
以後電話が不通になり・・・
情報がないことが、不安を募らせ、
健在だった父母が、
リュックを背負い西宮に向かったのでした。
情報はテレビで火災の様子を知るだけ、やはり、個人個人の知りたいことは、直に聞くよりないので、電話が通じる状態・通話の確保は大切だと災害の度に思う。
22年前からどれ位進歩したのだろう。
多くのボランティアさんが、
西宮に向い、
ボランティア元年と言われるようになりました。
それから各地で何度も災害があり、
必死に復興に励む人々。
人の力は大きいが、
虚しく感じることも多々ある。