デフレとは物価が継続して下がり続けることらしいが、これはある意味経済法則なのである。
企業の生産性が上がり必要とする労働力量が減少すればその企業の商品価値は減少する。商品市場においてはこの価値と価格とは一致しない場合が多いが、ある商品を生産する産業全体が一定の生産性まで高められた場合は価格は価値に一致をしていくだろう。その時価値は価格を支配をして商品の価格は下がっていく。
商品の価値低下の中で価格自体も下がっていくと企業の利潤率は下がるでしょう。ただし生産性の向上は商品を生産する労働力量の減少ですから、同じ労働力量を用いればより多くの商品量を市場に流せることができますからその生産量を維持すれば企業の利潤量は一定に保つことができる。しかしこの商品量の増加は消費されるというものが前提ですからこの産業において過剰生産が起きれば企業の利潤量は低下をしていく。
このようにデフレとは単純に商品の価格が減少して物価が下がり続けることだけではなく、企業の利潤率の低下を引き起こすことによるまたは過剰生産による不況がその根底にある。ですから今のアベノミクスのように物価が上がればデフレからの脱却だというのは皮相的な見方なのである。物価は上がるが不況は残るのである。デフレとデフレ不況とは違うもので、デフレという物価中心の考え方からすれば上にみたように生産性の向上自体が物価を下げるのですから経済法則ということになる。
利潤率の低下した企業は今はグローバル化の世界ですから海外に安い労働力を求めて進出していく。国内は労働力商品の価格を価値以下にまで引き下げるという禁じ手である賃下げを行う。それを生産性の向上と見誤る。官製の物価上昇に対して実質賃金も下がり続ける。こうなると商品価値の低下の中で商品がその法則通りに価格が下がらずに同時に実質賃金は下がるという賃下げは加速をする。その上に消費増税である。商品は相対的な過剰を引き起こすでしょう。消費の減退から。そうすると不況はさらに深刻なものとなる。経済はその法則性を失う。だぶついた金の使い道は金融・株である。しかし企業の実質的な業績に裏打ちされない株価はいつしか下落をするでしょう。銀行は貸付という黒字を増やせずにやはり資金はだぶつく。
恐慌の始まりではないか?
企業の生産性が上がり必要とする労働力量が減少すればその企業の商品価値は減少する。商品市場においてはこの価値と価格とは一致しない場合が多いが、ある商品を生産する産業全体が一定の生産性まで高められた場合は価格は価値に一致をしていくだろう。その時価値は価格を支配をして商品の価格は下がっていく。
商品の価値低下の中で価格自体も下がっていくと企業の利潤率は下がるでしょう。ただし生産性の向上は商品を生産する労働力量の減少ですから、同じ労働力量を用いればより多くの商品量を市場に流せることができますからその生産量を維持すれば企業の利潤量は一定に保つことができる。しかしこの商品量の増加は消費されるというものが前提ですからこの産業において過剰生産が起きれば企業の利潤量は低下をしていく。
このようにデフレとは単純に商品の価格が減少して物価が下がり続けることだけではなく、企業の利潤率の低下を引き起こすことによるまたは過剰生産による不況がその根底にある。ですから今のアベノミクスのように物価が上がればデフレからの脱却だというのは皮相的な見方なのである。物価は上がるが不況は残るのである。デフレとデフレ不況とは違うもので、デフレという物価中心の考え方からすれば上にみたように生産性の向上自体が物価を下げるのですから経済法則ということになる。
利潤率の低下した企業は今はグローバル化の世界ですから海外に安い労働力を求めて進出していく。国内は労働力商品の価格を価値以下にまで引き下げるという禁じ手である賃下げを行う。それを生産性の向上と見誤る。官製の物価上昇に対して実質賃金も下がり続ける。こうなると商品価値の低下の中で商品がその法則通りに価格が下がらずに同時に実質賃金は下がるという賃下げは加速をする。その上に消費増税である。商品は相対的な過剰を引き起こすでしょう。消費の減退から。そうすると不況はさらに深刻なものとなる。経済はその法則性を失う。だぶついた金の使い道は金融・株である。しかし企業の実質的な業績に裏打ちされない株価はいつしか下落をするでしょう。銀行は貸付という黒字を増やせずにやはり資金はだぶつく。
恐慌の始まりではないか?