夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2022年12月21日(水)「六道輪廻も解脱も」

2022年12月21日 22時28分18秒 | 「思うこと」
命あるもの
六道輪廻を繰り返す
地獄に行って
針の山を歩くのは苦しい
餓鬼となって
人糞を食らうのは苦しい
修羅となって
血で血を洗うのは真っ平だ
畜生世界で野良犬もつらいだろう
人の世に生まれ
思い憂うのもつらいものがある
天に生まれれても
死を憂うだろう
六道輪廻にさまようのは
命あるものの定め

しかし解脱して
仏の世界は無でしかない
思いを起こせば憂いが生じる
思いのない世界は無である
無の世界は退屈だろう
天に生まれれば
思い煩うこともないかもしれないが
唯一の憂いが死とは苦しい

と、なれば
人の世が一番よいのかもしれない
思い憂うから苦もあるが
思い憂うからこそ楽があり
思い煩うから執着もあるが
思い煩うからこそ楽しみもある
だから人は六道輪廻の中に
少しづつ発展をする
この発展は人の世にしかない
発展は永遠に終着駅はないが
終着駅に向かい続けるのが
人の世の定めだろう

六道輪廻は
人の心に。。。。

現実と心
現実世界から降り注ぐ粒子
心が焼きついてしまうようだね

(昔書いたものです)
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池に浮かぶ月1757【12月21日】

2022年12月21日 09時35分58秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は明日は当時冬至だと張り切ってかぼちゃの"いとこ煮"の準備。
なぜいとこ煮というのか悩みながら。。。。。。
冬至が過ぎればクリスマスだ正月準備だと一気に12月を駆け抜けねばならないですね。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2021年12月21日(火)「いとこ煮」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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