猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

ウ○コヶ原の思い出

2006年08月11日 22時39分56秒 | ルーツ
子供の頃。
柘榴の花を見ると、それが実る頃を思い、とても楽しみだった。
小さな動物達がいる公園への坂道脇には桑の木があり、その熟した実を食べるのもとっても楽しみで。

今でも。
柘榴の花を見ると、それらのことを思い出す。

私は柘榴の実が大好きで、今でももげる位置にそれがあると、パカッと割ってかじりつく。
美味しくジューシィな果汁をこそげるように吸って、種を
「ぷぷぷぷぷっ!」
と飛ばすのもまた楽しい。

で。
実はゴンザが草野球をした後に、いつもみんなでおしゃべりする公園に柘榴の木があるのだが.....。
その柘榴の実も例外なく、私の楽しみのひとつであるのだ。

みんながおしゃべりしている間に実をもいで食べる。
時には、高い場所のものをチームの誰かがもいでくれる。

しかしある夏。
その中の最年少、当時20歳ほどの子が
「何それ?それって食べられるんですか?」
と本気で聞いてきたので、私はびっくりしてしまった。

そして。
柘榴を知らないのは彼だけでなく、彼と一緒に来ていた、やはり20歳の青年も知らないというのにまた驚いた。
しかし、彼らが生まれた頃にはもう、自然もあまり周囲には残っておらず、マンションばかりで庭に柘榴の木を植えている家もほとんどなかったのだと思えば、それも仕方ないかと思う。

私は、これはこうして食べるのだと教え、柘榴の実を差し出した。

が。
何せ、道端に生えているものなど口にしたことのない彼らのこと。
どうにも、目の前でもがれた得体の知れないものは食べられないらしい。
清潔な、整った環境で育った者らしく、彼らは私の差し出した柘榴を遠慮した。

思えば。
我々が子供の頃は、いかにしてあの家の柘榴をもいでやろう、とか、あそこの柿は甘柿だとか、ひそかな楽しみがたくさんあった。
スカンポをかじりながら父と歩いた河原。
野蒜を引っこ抜いて、歓声をあげた小さな山の斜面。

確かに、それを知らない世代にも様々な楽しみがあろうが、私のあの子供の頃の思い出は、今もキラキラ輝く。
綺麗に清潔に育った子供達は、もしこれからそれが維持できない状況に陥った時、どうしてゆくのだろう。
免疫なんか何にもなくって、すぐに病気になっちゃうんじゃなかろうか。

私とゴンザはよくこう話し合う。
「もし子供が出来たら、犬のウ○コを投げられる子供にしよう」
と(笑)
実際、ゴンザも子供の頃は犬のウ○コに爆竹を刺して爆発させて遊んだそうだし(汚っ!危なっ)、私も子供の頃、犬のウ○コが大量に落ちている原っぱで、妹と踏んづけないように歩くスリルを楽しんだものだ(時には踏んづけてしまったが)。

今頃はあの、妹と二人でウ○コヶ原と名付けた空き地も、なくなってしまっただろうし、犬の飼い主がその落し物を持ち帰る習慣のある昨今、現物を手に入れるのも難しいだろうが(笑)
(誰か、もし万が一私に子供が出来た日には、提供してください・笑)

柘榴の花を見ると。
色んなことを思い出す。

自分よりずっとずっと背の高いひまわり。
友達の家の庭でかじった金柑。

今年も、あの公園の柘榴が実ったら。
ゴンザと二人、種を飛ばして遊ぼうか。

今では、誰もその実をもぐ者がいないあの柘榴の木も。
きっとそれを喜んでくれるだろう。