庭の花たちと野の花散策記

山野草と梅が大好きの「雑草」。花以外は思考不可の植物人間の庭の花と野の花散策記です。

眠れない夜に そしてその時

2006年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム

ハワイ旅行も終わろうとする夜夜中。とても目が覚めるとは思われない爆睡時間帯に目が覚めた。寝ようとしても脳ミソが睡眠モードにならない。どうしたものかと思っていると、ふとエステル記の一文を思い出した。

その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持ってくるように命じ、王の前でそれを読ませた。その中に、入り口を守っていた王のふたりの宦官が、王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれてあるのが見つかった。そこで王は尋ねた。「このことのために、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイにしたか。」王に仕える若い者たちは答えた。「彼には何もしていません。」エステル記6章1-3

私はこの一文をもって主が私に何かを今語ろうとしておられることを察した。それは「お前はお前のいのちを救ってくださった方に何かをしたか。」という語りかけであった。私のモルデカイは誰だろうと思い巡らせるとすぐに気がついた。その方は「私のためにご自分のいのちをも投げ出して十字架にかかってくださったイエス様です。ではイエス様に何かをしたか。」ということだと。私の答えは若い者たちと同じで。「彼には何もしていません。」であった。何と情けない者であることか。このことを深く考えたことがなかったとは。ツジツマあわせ程度のことはしたがそれが何だというのだ。

ハマンがはいってきたので、王は彼に言った。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」そのとき、ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思われる者は、私以外にだれがあろう。」エステル記6章6

この私は。私は今もって自分の名誉とかばかり求めているではないか。ハマンと少しも変らないではないか。だからハマンのように、それは私が受けるべきだなどと早とちり、思い違いをしないように気をつけなさい。いつでもそれはイエス様にふさわしいと心得よ。

「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、王がきておられた王服を持って来させ、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来させてください。王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着させ、その人を馬に乗せて、町の広場に導かせ、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである。』とふれさせてください。」エステル記6章7-9

そうです。イエス様こそ王服を着るのにふさわしい方です。主の主、王の王であられる方はイエス様です。父なる神さまが真に望んでいることはイエス様を十字架にかけることではなく、イエス様が王となられることです。ところがハマンも私も、自分こそ栄誉を受けるにふさわしいと思い違いをしました。

栄誉ばかりか「ハマンが、モルデカイのために準備した柱に彼をかけることを王に上奏しようと、王宮の庭に入ってきた。」と6章6にあるように、王が栄誉を与えようとする者を逆に十字架にかけようとしていました。「事実、その迫害者は王の損失を償うことができないのです。」7章4

自分の心に栄誉を求める野心がある限り、私は本当に栄誉を受けるにふさわしい方に気づくことはないでしょう。それどころか、その方の抹殺に加担しているのです。

「サウロ、サウロ。なぜ私を迫害するのか。」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」彼は、主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えていましたが、これで目からうろこが落ちました。

これまでモルデカイは決して王宮に入ろうとしませんでした。「モルデカイは着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫びながら町の真中に出て行き、王の門の前まで来た。だれも荒布をまとったままでは、王の門にはいることができなかったからである。」4章1-2

「モルデカイは王の前に来た。」8章1栄誉を与えられたモルデカイは王宮に来ました。主イエス様を王としてお迎えしない限り、自我が心の王座を占めている限り、主イエス様は心という宮殿にお入りになってはくださいません。

「見よ、わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それはわたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。」

主イエス様を王としてお迎えすることにより、私も主イエス様の栄誉に預かる者とされるとは、何と不思議で恵多い幸いなことではありませんか。

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眠れない夜に

2006年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム

ハワイ旅行中の4日目の夜中に突然目が覚めた。寝ようとしても眠れない。時刻は2時少し前であった。朝まで爆睡するのが当たり前の状況であるのに。

1日目の26日は実に長い1日であった。日本で朝から夕まで通常に過ごし、夜10時成田発、夜中の3時(日本の27日3時)には機中で日が昇り、27日6時(ハワイ時刻26日午前11時)ころホノルル着、27日8時ころ昼食、27日13時夕食、27日17時から19時まで仮眠、19時(ハワイ時間26日の終わりの24時)から20時まで連鎖祈祷をして20時半(ハワイ時間27日午前1時半)就寝。

つまり1日目の26日は日本での24時間とハワイでの19時間の合計43時間もあったのです。おまけにハワイ時間で27日午前1時半に就寝ですから体は1日44時間半と感じたのです。これが1日目です。27日はハワイ時間朝6時(以降ハワイ時間)から集会ですから就寝時間は4時間半しかない。起きられるか自信がない。目覚ましを持ってこなかったことを悔やんだが後の祭り。主よ起してくださいと祈りつつベッドへ。

2日目の27日、朝気がつくと5時55分。あわてて妻を起し支度を急いで会場へ。すでに6時からの集会が始っていて賛美が聞こえてくる。~歌いつつ歩まん、ハレヤー、ハレルヤー。歌いつつ歩まん、ハレヤー、ハレルヤー。~  そうです私はこの歌詞のごとく歩きながら賛美しつつ会場に入りました。2日目は夜10時から仮眠、夜12時から1時まで連鎖祈祷、午前1時半就寝。28日はやはり6時から集会。主よ起してくださいと昨夜よりさらに切実に祈りつつベッドへ。

3日目の28日、朝気がつくと5時45分。主よ間に合いました。感謝します。妻をおこして会場へ。集会と食事の繰り返しが3日続いてやはり疲れが溜まってきているようだ。昼食をとりヌアヌパリを見学してホテルへ。ワイキキ市内へ下りるとここは常夏の国ハワイ。でもせっかく来たのだからいろいろやりたい。妻は疲れて仮眠する間に、ホノルル動物園を一周して公園の花を撮る。夕方から妻と街へ土産の下見と夕食に。大道芸人がたくさんいて楽しい。寿司屋で17ドル。二人で40ドルでつりを貰おうとしたら代金不足。なぜ?税金とサービス料金が。何やかにやで12時就寝とあいなる。ホテルの21階の部屋から明日ダイヤモンドヘッドから昇る朝日を見たい。6時前に起床しなければ。

4日目の29日はふと目覚めると5時半。明るいがまだ街灯やビルの電灯がついていて、太陽は見えない。カーテンが動くのを目ざとく見つけて雀がベランダに来た。ダイヤモンドヘッドを撮っていると今度は鳩が来た。そうこうしている内に陽が昇った。早朝の海岸で妻と遊ぶ。11時からマキキ聖城教会で礼拝。少し余裕をもって出かけてお城の外観を撮り、通りを散策。かなり暑い。礼拝後早々に失礼してダイヤモンドヘッドへ。往きはタクシーで帰りはバスのつもり。約1時間かけて登頂。ハワイでは想像できない乾燥した台地でカメラが忙しく花を探す。帰りも1時間かけて散策下山。トンネルを抜けて外輪山の外のバス停まで歩かねばならない。ところがJAPAHAの方が拾ってくださり、ヒッチハイクで間も無くホテルへ。

夕食と土産物探しに街へ。山を歩いたのに元気な妻。男は力は出せるが持久力では女に劣るのかな。ラーメンを食べていっぱい土産を買って戻る。買い方は同行した方の孫娘さんから教わった。この方はとても張り切っておられたが3日目の午後に泳いだが、その夜熱を出してダウンしてしまわれた。我々も相当疲れがたまっているが、明日は帰国なので、夜は何かと整理して遅くなり、12時を廻ってから就寝する。そしてその時がきた。

コメント (2)
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