庭の花たちと野の花散策記

山野草と梅が大好きの「雑草」。花以外は思考不可の植物人間の庭の花と野の花散策記です。

蓮久の思い出3 完

2024年01月31日 | 水戸の梅


吐玉泉下にデビューした蓮久の若木と花 2024年1月撮影
蓮久の思い出2の続きです。

本園内の苗木畑
ようやく品種名の確かな苗木が200種類ほど出来上がりました。
この苗木畑にはそれぞれ番地が決められていて、1番地にはどの品種を植えるかがあらかじめ決められています。

苗木畑の番地 
竹の杭1本が1番地で、緑色のプレートと白い名札がついています。まだ苗木が植えられていない番地もあります。今後入手予定の品種名が書いてあります。200種類そろったわけですが、さらに希少な未入手の品種もそろえて、名実ともに最高の梅の偕楽園を目指した担当者の意気込みです。


梅の見本園 2019年1月撮影
苗木が大きくなってきて、本園内へデビューし始めると同時に、梅の見本園への植込みが始まりました。
 この場所はかつて偕楽園を愛する市民の会が主に東京方面からたくさんの品種を取り寄せて、2008年に第1回植樹祭を行った場所です。この企画は「偕楽園を日本一の梅林にプロジェクト」として、500種類の梅林「平成梅林」を作ることが目標で、そのための苗木畑でした。わたしも資金僅少ながらだしまして、たまたま植樹会に参加して、1本植えさせていただきました。
 残念なことに東京方面で梅のウィルスが蔓延して、吉野梅郷の梅林は全て処分されました。平成梅林の苗木にもウィルスが感染していたのがみつかり、全数処分となってしまったのでした。
 幸いこのウィルスはアブラムシを介して伝染するので、平成梅林と偕楽園の梅林は離れていたので影響はさけられたのでした。
 そして10年後の2019年。ここを梅の見本園とすべく、植樹が始まったのでした。

梅の実本園は全部で3面あります。



梅の見本園 2019年撮影 
この3面の見本園に1品種1本ずつと、周辺にしだれ梅などが植えられています。
苗木畑と見本園の植栽位置などもしっかりと資料として残されました。

碑前紅 2017年4月6日 本園苗木畑で撮影
私の大好きな超遅咲きの豪華な花です。

2022年4月8日撮影 梅の見本園の碑前紅
見本園ではこのように200種類の梅の木がすっかり大きくなり花を咲かせています。
 このようにして、品種名の確かな梅の木が200種類あまりがそろいました。本園内へも確かな品種名でデビューし始めています。
これからは、安心して確かな品種名で本園への苗木の補充ができるわけで、本園内の梅林が年々良くなってゆくことが期待される基礎ができたわけです。
 梅は100年、200年単位で残りますが、一人の管理者の任期は限られています。この偉業を成し遂げられた根本実嗣さんも、この梅の見本園を完成されてまもなく退官されました。ということで、吐玉泉下に植えられた蓮久はこの偉業を代表する記念樹と思っています。
 そして同じ気概を持った緻密な管理者が継続することを願ってやみません。

 日常の緻密な管理者が不在となると、たちまち品種名などが間違った方向へと動き出します。

これは八重の緑萼の木にいつの間にか一重の月影の名札がついていました。この時は根本さんのおられるときで、すぐにとり替えました。

こちらは品字梅につけられた座論の名札で、一年以上にもなる現在もついています。品字梅は花座論とも言われますが、昔から品字梅と言われてきたもので、弘道館にもありますが、この木だけ座論とするのはいかがなものかと思います。

 これは正岡子規の句碑の近くの一流です。2023年3月1日撮影。この名札が一時隣の梅の木に掛かっていました。
外れた名札をお客様かどなたかが、ご親切にも付けてくださったのかもしれません。

 隣の、この真っ赤な梅の木は一流ではありません。ちょっとだけ花を知っている人なら、誰でも気づく真っ赤と桃色です。公園事務所に連絡したのですが、1週以上過ぎても間違ったままこの梅の木にかけられていました。
 丁度この赤い花が真っ盛りで、多くの観梅客が誤った名札と共に花の撮影をしていました。私はいたたまれなくなり、たまたま師匠の出店に立ち寄った造園屋さんに何とかならないかお願いしたところ、即日名札を正規の一流の梅の木に架け替えてくださいました。
 このような名札落ち、掛け違いは多くの品種を扱う偕楽園では、よくあることで、日常の管理が非常に大事なことです。2006年ころに、わたしも間違っていた名札で覚えた叡山白という花がありました。8年後の2014年ころ初めて間違いがわかったのでした。
 花を見てわかる担当者がいなくなると、こういうことが積み重なって、品種名がうやむやになってしまう例が多発し、また混乱が起きます。
 現在は佐原の造園屋さんの2代目の方が、期限付きで管理をしていてくださり当面は心配はないのですが、期限過ぎたらどうなるのでしょうか。
 偕楽園は天下の三名園。梅の偕楽園の名に恥じないよう、専任の管理者をつけてほしいと常々願うものです。

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蓮久の思い出2

2024年01月31日 | 水戸の梅


吐玉泉下にデビューした蓮久の若木と花 2024年1月撮影
 これは蓮久の思い出1の続きです。
 長年偕楽園の梅の木を管理された方が退官された後は、梅の担当者が1~2年で交代しましたが、3人目にこの蓮久の他、偕楽園の梅の品種を整えられた新しい担当者が現れたわけです。
 この方は柿などの果木の専門家で、剪定にも接ぎ木にも精通されたスペシャリストでした。でも花梅については初めてのことで、花梅の品種をまず理解されるために、図鑑や偕楽園内の梅の木をよく観察されました。しかし、園内の多くの梅の木の名札が実情に合っていないこと、また苗木畑から本園にデビューした苗木に花が咲くと、名札とは全く違う花のこともしばしばありました。さらに公表されているネット上の梅図鑑にも誤記載が散見されるなど、梅の偕楽園にあるまじきことに気づかれました。

 公園事務所は日本梅の会大坪孝之会長ほかの方々に来ていただいて、弘道館と偕楽園の主要な梅の木を見ていただきました。

この時に「蓮久」の名札のついている数本の梅の木がすべて蓮久ではない無いことが分かったのでした。

蓮久の枝の切り口
上掲のように蓮久は紅梅性で、枝の切り口が紅い紅材ですが、確認した蓮久は全てが白材(野梅性)でした。
 そこで私は2011年に公園事務所が調査した全梅の木の中から、蓮久の名札のついた梅の木をすべて蓮久かどうかを確認して回りました。

名札は蓮久でも別品種の木
残念なことにすべての枝の皮をむいてみたら、すべて白材でした。
 資料によると蓮久の名札は、弘道館8本、偕楽園5本の合計13本で、すべてが蓮久ではありませんでした。
そして資料には、調査時に新規に蓮久のプレートをつけた梅の木が3本あることがわかりました。調査時に品種名について何らかの検討はしたと思うのですが、すべて間違えた新規プレートを付けたということでしょう。
 何しろ10本の木に蓮久の名札が付いていて、みな同じ花をつけているわけですから、3本の梅の木に新規プレートを付けるにも、これは蓮久だと自信をもってつけたのではないでしょうか。実はわたしもこの時までこれらの梅の木が蓮久であることを確信していました。
 蓮久のほかにも、名札名とは違うとか、似ているが違うようだと名札名が疑われる梅の木がたくさんありました。これら品種名不明の梅の木の品種名を調べるのは玄人でも非常に困難なことです。この事態をいかに立て直すか苦心されていました。
 そこで、水戸の梅に深くかかわっておられる、私の梅の師匠など、古くから水戸の梅にかかわりの深い収集家や苗木屋さんなどをご紹介したこともありました。
 梅の担当者は品種の特定について、もう一人の樹木医の方とあれこれ努力を積み重ねられました。まずは弘道館と偕楽園の梅林の中で、品種名が確かな梅の木を選び出しました。また私の梅の師匠はじめ市内の梅の収集育種家から、品種名の確かな梅の木の提供をうけました。

あたらしく導入された塒出の鷹 


市植物公園の梅林調査
さらに市植物公園の梅林(収集育種家の寄贈)の花の写真を撮影して、確かな品種の枝を譲り受けて、苗木を作りました。
また、都内羽根木公園に珍しい美花の「朱鷺の舞」など、新規の品種の導入などを行いました。


羽根木公園の朱鷺の舞
このような美しい花の梅の木であっても、ウィルスに感染している可能性もあるために、他所からの導入には厳重な注意が必要でありました。そこで、挿し木が成功して、しばらくの間病害虫の感染があるかどうかを、偕楽園から遠く離れた場所に隔離して、安全とわかってから、苗木畑に移植するなどのご苦労もありました。

本園内の苗木畑
こうして、品種名の確かな200品種の苗木が本園内の苗木畑にようやくそろったのでした。
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蓮久の思い出1

2024年01月31日 | 水戸の梅

偕楽園の吐玉泉下にデビューした蓮久の花 2024年1月撮影
 この蓮久には忘れられない思い出があります。そして、この吐玉泉下に植えられた蓮久の若木はその記念樹と言ってもよいのではないかと思っています。

吐玉泉下にデビューした蓮久の若木 2024年1月撮影

 私が偕楽園の「蓮久」を最初に認識したのは、偕楽園の梅林でした。偕楽園の梅の種類は100種、3000本と案内されていました。リタイヤしてまもなくのころ、偕楽園と弘道館の梅の木にはそれぞれ名札がつけられていました。
 そこで、これら水戸の梅すべての種類の花と名札の品種名を記録しようと思い立って、完成したのが2006年3月末の頃でした。一部は偕楽園には無いが、苗木屋さんの店頭で撮らせていただいたものも含めて、なんと140種類余りになりました。

2006年撮影の「蓮久」
 この写真は品種を特定するにはよくない写真ですが、まだ品種の特徴などは全く知らない時ですから、何の疑いもなく、これを蓮久と認識したわけです。
 そんな無知なわたしでも、100種類以上の花と品種名を突き合わせると、名札名では八重咲のはずなのに、一重の花が咲いていたり、白花のはずなのに赤花が咲いているなど、素人でも簡単に間違えに気づく名札があることに気づきました。

店主 梅の師匠の出店
 そこで、ネットで偕楽園の梅図鑑と突き合せても理解できず、梅まつり期間中に梅の苗木の出店をだしている店主に聞いたりしました。でも、要領を得ない質問は、忙しい店主に迷惑をかけるばかりで、歓迎されませんでした。
 それでもつきまとう私に根負けしたかのように、「そんなに梅が好きなら、苗木畑を見せてやる。」とお許しをいただき、店主の苗木畑の全種類の梅の写真を撮らせていただくことができました。

店主の苗木畑の蓮久2006年3月22日撮影 寺門コレクションより
 店主の苗木畑は梅の御三家のひとりと言われた、店主のお父様故寺門忠之氏から引き継がれたもので、全品種の撮影に丸2日を要し、なお、品種名の表示は全くないので、順番を間違わないように撮影して、後日品種名を確認させていただきました。こうして名入りの写真集をまとめて、寺門コレクションとして、店主に差し上げました。このころから私はこの店主を師匠とお呼びすることにして、梅のことについて、さらに興味を深めて、師匠には花梅の品種ごとの特徴を尋ねたり、都内のいくつかの梅の公園をたずねたり、さらにネットで全国の梅の品種を調べたり、記念物級の特殊な梅を調べたりしておりました。
 一方公園事務所では2010年に弘道館と偕楽園のすべての梅の木と桜や主な樹木の植栽位置、花の写真と名札などの実態調査をおこないました。ところが翌年2011年3月11日午後3時ころ東日本大震災がありました。ちょうどその日は50年以上梅の木などを管理されていた方が3月末で退官されるというので、記念の写真を撮らせていただく約束をしておりました。偕楽園は梅まつり期間中ですから、お客様が少なくなってからということで、午後4時に約束していたので、わたしは田鶴鳴梅林で時間をつぶしていたのでした。
その時に大地震に遭遇してしまい、事態は一変してしまいました。

湿地を埋め立てた梅林のあちこちから水が吹き上がりました。

園路は川のように梅林に噴き出した水が流れました。
梅林の芝生で一緒にいた造園業者の方と仕事どころではないとお別れして、知り合いの土産物店の店主の無事を確認して、急ぎ自転車で帰宅したのでした。

家の築山は無残にも崩れ落ちていました。
 後日、退官の記念に梅林の思い出の梅の木などと並んだ記念写真を撮り、記念アルバムを差し上げました。
その後は梅の担当者が1~2年で交代しましたが、3人目にこの蓮久の他、偕楽園の梅の品種を整えられた新しい担当者が現れたわけです。





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