ZAZA7人目のアピールです。奥野泰孝さんは、キリスト者であり、支援学校の教員です。昨年の卒業式に戒告処分を受け、今年の卒業式では、減給処分を受けました。これは、2012年1月16日最高裁判決文をも無視した処分です。到底受け入れることはできません。
ZAZA7人目のアピールです。奥野泰孝さんは、キリスト者であり、支援学校の教員です。昨年の卒業式に戒告処分を受け、今年の卒業式では、減給処分を受けました。これは、2012年1月16日最高裁判決文をも無視した処分です。到底受け入れることはできません。
橋下市長に対する批判が、さまざまな方面から起こっています。橋下市長お得意のメディア露出プラスツイッター攻撃で何とかイメージ回復に努めていますが、彼が立て板に水のごとくしゃべればししゃべるほど、その支離滅裂さ、空疎さは逆に彼の人間性をさらけ出しているように思えます。
さて、23日(木)のレイバーネットTVはおもしろくなること間違いなしです。大阪からはトオルチャンシリーズでお馴染みの西谷文和さんが、東京は「慰安婦」問題に一貫して取り組んで来たWAMの池田恵理子さんが登場、「慰安婦」問題の本質、ならびに橋下さんについての鋭い論評が動画を交えて披露されるに違いありません。
以下、レイバーネットHPから転載
http://www.labornetjp.org/news/2013/0522innai
5月23日(木)のレイバーネットTVは、いま一番ホットな話題である「橋下問題」を取り上げます。大阪で橋下と対決している気鋭のジャーナリスト・西谷文和さんが急遽、上京出演します。また、「慰安婦」問題に詳しい「女たちの戦争と平和資料館」館長・池田恵理子さんも登場。番組が多少でも、橋下を辞職に追い込む一助になるようにしたいです。(レイバーネットTVプロジェクト)
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●労働者の 労働者による 労働者のためのレイバーネットTV 第53号放送
~特集:橋下くん、暴言退場!~
日時 2013年5月23日(木曜日) 20:00~21:30
視聴アドレス http://www.labornetjp.org/tv
配信場所 バンブースタジオ(竹林閣)
http://vpress.la.coocan.jp/bamboo.html
(地下鉄「新宿三丁目駅」E1出口近く)
キャスター 松元ちえ 土屋トカチ
番組構成
1.【ニュースダイジェスト】(5分)
ここ2週間のホットなニュースをお伝えします。
2.【特集:橋下くん、暴言退場!】(50分)
★ゲスト=池田恵理子(「女たちの戦争と平和資料館」館長)
西谷文和(ジャーナリスト)
大阪市長としての政治生命を開始して以来、暴言を繰り返し、めちゃくちゃな
論理で弁明する橋下。到底容認できなくなったのは、大阪市民だけでなく、国内
各地や海外からも批判が殺到しています。そして、辞任要求の声が大きく広がっ
ています。今回のゲストは、「女たちの戦争と平和資料館」館長の池田恵理子さ
んと、大阪で橋下とたたかうフリージャーナリスト西谷文和さん。怒り心頭のお
二人にじっくり「ハシモト」を語っていただきます。
3.【今日もアブナイカク:ナショナリズムに染まる日本】(15分)
★ゲスト=スレイマン・バーキック
日本在住が長いスレイマンさんが見た日本のナショナリズム。安倍首相・橋下
大阪市長・石原元東京都知事などの国粋主義について、率直な意見を聞きます。
4.【ジョニーと乱のほっとスポット】(8分)
ジョニーHさんの替え歌と、乱鬼龍の川柳で元気になろう。
5.【さようならのポエム】(5分)
チャーリー・チャップリンの「独裁者」から、演説を紹介します。
★レイバーネットTVは公開放送です。中継スタジオで一緒に盛り上がりましょう。
★ツイッターでの質問・コメント歓迎。ハッシュタグは#labornettvです。
連絡先: レイバーネットTV 090-9975-0848(松元)
Created by staff01 and Staff. Last modified on 2013-05-20 15:47:12 Copyright: Default
【取材日記】橋下の妄言の終着点
2013年05月20日 中央日報/中央日報日本語版より
http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=171772&servcode=100§code=140
下記サイトでどうかご覧ください。
http://mainichi.jp/feature/news/20130509dde012040020000c3.html
「この息苦しさは何だろう。浮足立つ政治家や財界人の言葉が深慮に欠け粗くなる傍ら、彼らへの批判を自主規制しようとする奇妙な「空気」が漂っていないか。何が起きているのか。作家の辺見庸さん(68)に聞いた。」
辺見さんの言葉…ファシズムとは
「今の日本はファシズムの国だよ」。「ファシズム」とは大衆運動や個人の行動がコラージュのように積み重なったもの。独裁者の言葉に突き動かされるのではなく、そんたくや自己規制、自粛といった日本人の“得意”な振る舞いによって静かに広がっていくということだ。」
「ファシズムと聞くと全体主義、ムソリーニ独裁やヒトラーのナチスが浮かぶ。「そういう、銃剣持ってざくざく行進というんじゃない。ファシズムはむしろ普通の職場、ルーティンワーク(日々の作業)の中にある。誰に指示されたわけでもないのに、自分の考えのない人びとが、どこからか文句が来るのが嫌だと、個人の表現や動きをしばりにかかるんです」
「言わない方が」はいつのまにか「言ってはいけない」に。
「見なかったふりは」はいつのまにか「見ていない」に。
「聞こえていても」はいつのまにか「聞いていない」に。
子どもにイジメを説教するおとなが一番たちが悪い。何が起ころう傍観者の立場で自分を守る。
思考停止の状態に陥っていることも自分では気づかない。
辺見さんの言葉…NHK「花は咲く」
「月刊誌「すばる」2月号に発表した小説「青い花」を大幅加筆し、近く単行本として出版する。だが、雑誌での編集作業は言葉遣いを巡って大いにもめた。「頭のおかしくなった主人公のセリフで朕(ちん)をチンチンにするとか、政治家をからかうのは問題ないのに、例の『花は咲く』を揶揄(やゆ)したら、それだけはどうしてもダメだって言うんだ」
「花は花は花は咲く」とNHKがよく流すせいで、嫌でも耳にするあの歌のことだ。「俺はあれが気持ち悪い。だってあの歌って(戦時中に隣組制度を啓発するために歌われた)『とんとんとんからりんと隣組』と一緒だよね。そう思って書いた部分を、編集者が『書き換えてほしい』って言う。文芸誌で何を書こうがいいじゃないか、なぜ遠慮しなくちゃならないのかって言うと、『あれはみんながノーギャラでやってて、辺見さんも自作をちゃかされたら嫌でしょ』と。もう目をぱちくりするしかないよね」
テレビのなかで生み出される「善意」が人々をがんじがらめに縛っている。「善意」を誰もが賞賛しなければならないという強迫観念のもとに、人々はまたもや自分の言葉を失っていく。
辺見さんの言葉…生まれ育った宮城県石巻市の話
「芸能タレントとテレビキャスターと政治家が我も我もと来て、撮影用に酒なんか飲んだりしてね。人々は涙を流して肩を組み、助け合ってます、復興してます、と。うそだよ。酒におぼれ、パチンコ行って、心がすさんで、何も信用できなくなってる人だって多い。PTSD(心的外傷後ストレス障害)ね。福島だって『花は咲く』どころじゃないんだよ。非人間的実相を歌で美化してごまかしている。被災者は耐え難い状況を耐えられると思わされてる」
現実は常に目隠しされ、バーチャル空間で生み出された「復興」が独り歩きする。
インタビュアーの分析
辺見さんは地中海人的だ。「何を唐突に」と思われるかもしれない。だが、著書「瓦礫(がれき)の中から言葉を」の中にある<根はとてつもなく明るいけれども、世界観と未来観についてはひどいペシミスト(悲観主義者)>や<あの荒れ狂う海が世界への入り口だったから、いつか、どんなことをしてもあの海のむこうに行くんだと決めていた>といった自己描写は、「南の思想」を著したイタリアの社会学者、フランコ・カッサーノの言う地中海人の定義にぴたっと収まる。
カッサーノによれば、地中海人は強大な国家に虐げられた歴史から政府や多数派が求めるものを疑ってかかり、海の向こうに自由を求める。辺見さんも同じだ。引用するのはエーコや哲学者のジョルジョ・アガンベンらイタリア人が目立つ。感性の波がうまく共鳴するのだろう。
そうなのか。地中海(イタリア)と辺見庸、考えもしなかった…、これはへぇーとしか言いようがない。地中海人的。しかし、どう呼ぼうが、辺見庸が絶えず「多数派が求めるものを疑ってかかれ」というのはひどく共感する。
辺見庸の言葉…ニッポンチャチャチャが今の日本
「昔は気持ち悪いものは気持ち悪いと言えたんですよ。ところが今は『花は咲く』を毛嫌いするような人物は反社会性人格障害や敵性思想傾向を疑われ、それとなく所属組織や社会から監視されてしまうようなムードがあるんじゃないの? 政府、当局が押しつける政策や東京スカイツリー、六本木ヒルズ10周年といったお祭り騒ぎを疑う声だって、ほとんど出てこない。それが今のファシズムの特徴です。盾突く、いさかうという情念が社会から失われる一方、NHKの『八重の桜』や『坂の上の雲』のように、権力の命令がないのに日本人を賛美しようとする。皆で助け合って頑張ろう、ニッポンチャチャチャでやろうよと」
みんな一緒がそんなにいいのか?と言いたいが、いいというのではなくて、それしか怖くてできないのかもしれない。今の多くの日本人は。
辺見庸の言葉…根本の議論がない
「安倍首相は靖国問題で「国のために尊い命を落としたご英霊に対して尊崇の念を表するのは当たり前のことと言い、どんな脅かしにも屈しない自由を確保していくと中国や韓国に反論した。…英霊でいいのに、ご英霊と言う。一言増えてきた。安倍首相の言葉や閣僚の参拝に対し、国会でやじさえ飛ばない。野党にその感性がない。末期症状です。新聞の論調も中国、韓国が騒ぐから行くべきでないと言うばかりで、靖国参拝とはなんぞや、中国が日本にどんな恐怖感を持っているかという根本の議論がない」
なぜに、これほど想像力が欠如したのか。現実が現実として捉えられないところに想像力は育ちようもない。悲しみはない。
野田正彰著「戦争と罪責」の叙述を思い出す。
「時代の気分は、薄く浅い「幸せ」に色づいて流れていた。より正確に言えば、「多幸症(ユーホリア)」である。内容の乏しい、空虚な爽快。現実を見るよりも、総ては「うまくいっている」と前もって受け止める構え。その裏には、自発性の減弱と衝動性の亢進があった。
人々は落ち着き泣く動き回り、バブル経済で浮かれ、いつもいつも、何をしたのか、何が起こったのか、検証することなく、幻の幸せに向かって笑ってきた。政治の空洞化、金融の破綻、官僚制の肥大、アジア諸国の開発独裁への加担、目的なき情報化、子供たちの閉塞感……それぞれに衝撃的に反応し、顔を顰(しか)め痙攣的に涙を流すことはあっても、深い悲しみはない。」
辺見庸の言葉…政治を野放しにするとどうなるのか。
「安倍首相は官房副長官時代、官邸に制服組をどんどん入れ、02年の早稲田大の講演で『現憲法下でも戦術核を持てる』と語った。その考えは今も変わらないと思う。今の政権の勢いだと、いずれ戦術核の議論までいくんじゃないですかね。マスコミの批判は出にくいしね」
インタビュアーの問い
言語空間の息苦しさを打ち破れるかは「集合的なセンチメント(感情)に流されず、個人が直感、洞察力をどれだけ鍛えられるかにかかっている。集団としてどうこうではないと思うね」と辺見さん。まずは自分の周り、所属する組織の空気を疑えということか。
きわめて地中海人的な態度と言える。
いつも問題は日常のなかにある。日常を非日常の視点から批判するには「地中海人的態度」でなければもたない。
つまり、海の向こうに自由を求めるのでなければ。
そして、もう一つ、自分を信じろ、自分を鍛えよ、ということだろうか。
38年間の教員生活を終えていくつも後悔がありますが、その一つは、もっと憲法教育をやるべきだったということです。改憲、護憲、壊憲、と話題になりますが、多くの若者にとっては、憲法は馴染みのないものではないでしょうか。残念ながら府立高校という現場からは「君が代」不起立のため排除されてしまいましたが、学び合いの場は他にもあります。憲法のこと、一緒に勉強しませんか?
『日本国憲法の誕生』古関彰一著(岩波現代文庫)感想①
以前、9条をめぐって、教え子と議論になったことがある。1952年生まれの私は、小学校の教室で、戦争体験のある教師から情熱をもって「憲法」を教わった。憲法と言えば9条、戦争放棄。それはずっと誇りであった。ところが彼(教え子)は、9条のもとで戦後日本が何を行って来たのか、朝鮮戦争しかり、ベトナム戦争しかり、その自覚もなく9条護憲というのは納得できないと言うわけだ。確か、以前読んだチョムスキーと辺見庸の対談集でもチョムスキーがそのようなことを言っていたような記憶がある。確かに9条はないがしろにされ辱められてきた戦後の歴史がある。それを無視して9条賛美などする気はないのだが、どうも議論がすれ違うような気がした。世代論で片づけるわけではないが、9条の理解は年代によって違いことは否めない。
その折、彼から薦められた本が本書だ。当時は現職にあり、購入しながらもなかなか読む時間がなかったのだが、最近、9条「戦争放棄」発案者は幣原喜重郎だと言う話を聞き、そのあたりのところも当然書いているだろうと本棚から探し出し読んでみた。なるほど、彼が9条護憲を批判するもう一つの理由がわかった気がした。9条の成り立ちが天皇の戦争責任を回避する手段としてあったことをへの批判であったのだろう。9条問題も含めて改憲問題がいよいよ政治日程にあげられるほどになった今、日本国憲法がどのようにした誕生したかを知る必読の書かもしれない。ようやく手に取った本書であるが、9条問題もさることながら憲法制定にかける人々それぞれの想いが伝わって来て実におもしろかった。
戦争が終わり、政府要職にあった者が考えたこと、GHQとの間にどのような交渉があったか。民間からどのような人々がどのような思いで憲法草案に携わったか。終戦後の1945年9月から1949年5月まで、憲法の誕生から当時の改憲問題まで、資料をもとに生き生きと描かれており、読んでいるうちに、まるでその場に臨席しているかのような興奮さえあった。
本書は、『新憲法の誕生』(1989年刊)からおよそ20年を経て、その間に明らかになった資料をもとに憲法制定の過程が書かれている。終戦時そもそも政府は憲法改正(大日本国憲法の改正)など考えていなかったことも、今から考えれば驚きであるが、一貫して保守勢力が国体護持つまり天皇制を維持することを一義として考え行動していたことは今に続くように思う。それとは対照的ともいえる憲法研究会の誕生はとその議論のありさま、草案は、これもまた今に提起する問題を含んでいる。ないしろ自由民権期の憲法諸草案の影響のもとに、政体として共和制を理想として議論しているほどだから今に続く議論である。
そして、「後にGHQが草案を作成するにあたり、この研究会の起草した草案が多大な影響を及ぼしたことで知られている」とあるが、まさに現憲法の生みの親と言えるのかもしれない。本書の序の最後に「日本国憲法の誕生に際し、憲法研究会案を生み出した少数の人々のなかには、戦前の厳しく絶望的な時代に、希望を失わず、民主的な憲法を構想してきた人々がいたことによって、私たちの『戦後』が始まったことを改めて想い起こす」とあるが、高野岩三郎、鈴木安蔵らの、戦争が終わり新たな憲法にかける情熱とその清新な思想には魅力を感じる。
いま、日本国憲法はGHQからの「押しつけ」憲法、と一言で片づけ、だから、改憲が必要と言うような短絡的な発想が政治家からも語られるが、事実は、そんな単純なもので一国の憲法が成立するはずがない。それこそ歴史のなかで生きた先人の業績を知らぬ者の言葉ではないだろうか。(続く)