太陽広場という、オフィス兼アパートがあります。その太陽広場を北側の公園から撮った写真です。2棟同じような形の高層ビルがあり、その下は繋がった低層ビルで、低層はオフィス、高層はアパートです。
私は、この太陽広場の右の棟(西塔と呼んでいました)の2LDKの部屋に4年間済みました。部屋は、香港の会社が買い取ってアパートとして貸し出したもので(当時はオフィスが不足していたので、アパート部分までオフィスにしていた会社もありました)、部屋代は5000ドル/月で、半年分前払いするなら、4500ドル/月でした。当時は外国人が借りられるアパートが少なく、こんな相場でした。
上海はまだましで、北京では、7000ドル、8000ドルの時代だったので、この家賃でも、会社は簡単に認めてくれた時代でした。
私は、この大家さんの部屋への入居第1号で、家具、家電は完備という説明でしたが、実は全く何も無く、一定の金を渡すから、自分で買いなさいということでした。仲介してくれた不動産屋の営業が上海人の女の子でしたので、彼女と一緒に家具屋とか家電売り場や、寝具売り場とかを回り、適当に買いましたが、今から振り返ると懐かしい思い出です。
太陽広場は、日本人が比較的集中したアパートで、小生の友人でも、その後ここに住んだ人は何人もいます。小生のいた頃も、取引先も何人もおられました。今は、大分分散が進んでいますが、今でも日本人は大勢住んでいると思います。家賃は大分下がっているでしょうが。
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私は、この太陽広場の右の棟(西塔と呼んでいました)の2LDKの部屋に4年間済みました。部屋は、香港の会社が買い取ってアパートとして貸し出したもので(当時はオフィスが不足していたので、アパート部分までオフィスにしていた会社もありました)、部屋代は5000ドル/月で、半年分前払いするなら、4500ドル/月でした。当時は外国人が借りられるアパートが少なく、こんな相場でした。
上海はまだましで、北京では、7000ドル、8000ドルの時代だったので、この家賃でも、会社は簡単に認めてくれた時代でした。
私は、この大家さんの部屋への入居第1号で、家具、家電は完備という説明でしたが、実は全く何も無く、一定の金を渡すから、自分で買いなさいということでした。仲介してくれた不動産屋の営業が上海人の女の子でしたので、彼女と一緒に家具屋とか家電売り場や、寝具売り場とかを回り、適当に買いましたが、今から振り返ると懐かしい思い出です。
太陽広場は、日本人が比較的集中したアパートで、小生の友人でも、その後ここに住んだ人は何人もいます。小生のいた頃も、取引先も何人もおられました。今は、大分分散が進んでいますが、今でも日本人は大勢住んでいると思います。家賃は大分下がっているでしょうが。
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