秋田県生まれで、晩年を鹿児島県の開聞岳のふもとで暮らしたH.Sさんが亡くなりました。彼は東京で長年塾をやりながら、同世代の戦死した特攻隊員たちのことを思い続け、いろいろと調べては書き続け、平和のために活動していました。晩年は、特攻隊員たちが飛び立った知覧の近くに住んで、鎮魂の気持ちを持ち続けていたようでした。
昨年の夏、知覧特攻平和会館にも連れて行ってもらいましたが、彼は中には入らず「自分の気持ちで自由に見てきてください」と外で待っていてくれました。その後飛行場のあった場所に連れて行き、「ここからあの開聞岳を目指して飛び立ち、米艦に自ら突っ込んでいったんだ」と言葉少なに案内してくれました。何を思っておられるのかは、ほとんど語られませんでした。
一泊させてもらって、知覧の武家屋敷(写真)のところまで送ってもらい、そこで別れました。忘れられません。ご冥福を祈ります。
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昨年の夏、知覧特攻平和会館にも連れて行ってもらいましたが、彼は中には入らず「自分の気持ちで自由に見てきてください」と外で待っていてくれました。その後飛行場のあった場所に連れて行き、「ここからあの開聞岳を目指して飛び立ち、米艦に自ら突っ込んでいったんだ」と言葉少なに案内してくれました。何を思っておられるのかは、ほとんど語られませんでした。
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