この半年程は、よほど諸葛亮にご縁があるようです。昨年秋に浙江省金華(jin hua)に行き、郊外の諸葛八卦村(zhu gua ba gua cun)を訪れました。ここは、諸葛亮(zhu ge liang)の子孫が暮らしているという集落でした。今回は、襄樊で中(long zhong)に行き、劉備が諸葛亮に三顧の礼を尽くしたゆかりの地を訪れました。先日山東省の臨沂(lin yi)に行きましたが、実はここも行くと決めてから調べて判ったのですが、なんと諸葛亮の生地でした。こんな賢人にあやかれるとよいのですが、修行の足らぬ凡夫は、賢人の銅像の腕をさすっても何もなさそうです。
今日は、「三顧茅蘆」(san gu mao lu)の写真の紹介です。勿論三国時代の建物が残っている訳はなく、当時の様子を再現した最近の建築です。
まず門です。写真手前が内側です。
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襄樊に行く前に、インターネットで調べて判ったことですが、襄樊に中というところがあり、三国時代に諸葛亮が10年余り隠遁の生活を送り、劉備が諸葛亮を迎える為に三顧の礼を尽くしたのが、襄樊の中なのだそうです。諸葛亮は茅葺きの家に住んでいたので、中国語では、「三顧茅蘆」と言うそうです。
中は、城壁のある襄城区の西の郊外にあります。周辺には襄樊学院という大学があります。
写真は、中風景区の入り口を入ったところにある坊門です。風景区はとても広くて、10人乗り電気自動車で回ります。観光客が少ないので、人がまとまるまで待たされそうでしたので、貸し切りにしたら20元でした。貸し切りはよかったのですが、運転手が早口で一生懸命古代の故事由来を説明してくれるのには閉口しました。
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