特集:家紋調査の実際
家紋の歴史
最近、家紋に対する質問が多くなりましたので、思いつくところを何回かに分けて説明させていただきたいと思います。
家系調査の仕事を35年くらい行っていますが、いままでに家紋のない家系は出会ったことがありません。家紋は一つだけという家系がほとんどですが、中にはいくつも家紋を持つ家系もあり、私が出会った人は家紋が6つあるそうです。そういう家系は、昔、先祖が殿様から賜った等の伝承が残っていました。
家紋はその家の家筋を表す重要なロゴマークでした。鎌倉時代からという人が多いですが、実際はもっと古い時代から家紋を持っている家系も少なからずあります。武士が戦に出たとき、武功を立てると、それが大きな出世につながります。ですから戦の時は自分の存在をアッピールするために幟や武具、馬具などに思いっきり家紋を入れました。
家紋が一般庶民に浸透したのは、やはり江戸時代になります。分家すると少しずつアレンジしたり、丸が有るとか、太枠だとか細枠だとか、種類もどんどん多くなりました。家紋のアレンジもその家の人にしかわからない小さなアレンジもあり、証文の偽作を防止したとも言われます。同じ家紋でも数十種類に及ぶことは珍しくありません。家紋の数は数万種類あると思われます。名字は29万(諸説あり)と言われ、名字と家紋の組み合わせでルーツを特定すると言われます。(そこはなかなか単純ではないのです。)
家紋でルーツがわかるのか?
K家を調べたとき、姓氏辞典や郷土史にも記載がなく、あるのは先祖からの伝承だけですが、文書が見つかったわけではありません。単に先祖の願望が、いつの間にか伝承になっているだけかも知れません。家紋辞典を調べても一種類しか載っていませんでした。こういう時は実際に家紋の分布を調べるしかありません。
ところが、予想だにしない複雑な現状を見ることになりました。その家系は分家しても同じ家紋を守らない家系でした。これには面喰いました。通常、出自がはっきりしていて、それを誇りにしていれば当然、代々その家紋を必ず守ります。それらのことが無い家系だと思いました。姓氏辞典や家紋辞典に出ていないはずです。かつて調査した先人達がわからなかったから、書き残していないわけです。わからなかったときも、調べたことを記録として残してくれたらよいのですが、そういうことは市販された本には絶対に載りません。
家系調査は簡単ではありません
資料が多く見つかるようでは当方に調査依頼をしてきません。わからないから依頼されるのです。そんな時、わかったことをいくつか箇条書きにしてみます。そのような情報の断片が多くなれば、あるとき、点と点が線になる時があります。いくつもの線が交わったとき、大きな可能性が浮かんできます。その可能性に合致する情報を収集します。そうすると一つの結論が導き出されます。家系調査の仕事をしていると、新たな郷土史の発見、新たな系譜学の発見があります。
家紋辞典や姓氏辞典は全て正しいか?
ある有名な亡歴史学者が、K家は新田源氏であると書かれている書物に出会いました。何故ならば代々の墓を調べると家紋が二つあって、一方が新田源氏の中黒紋だというのです。普通の家系調査員はこういう資料を根拠に「当家は新田源氏です。」等と言うのですが、ルーツの本を書いているような人の中には、単なるリポーターのような人もいて、古老の口伝をそのまま本にしてしまう学者も思います。しかし一旦、本に出してしまうと間違った情報が後世に残ってしまいます。それが定説になってしまいます。そんな事例がたくさんあります。
ところが、そのK家の墓を調査してみると、中黒紋は江戸の末期に作られたもので、もう一つの家紋の墓はもっと古く、数も無数にありました。その学者は実際に墓を見ないで本を書いていたわけです。
家紋辞典を見ると、まったく歴史的な繋がりが確認されないのに、単に隅立て四つ目紋だから佐々木氏流だとか、五三の桐紋だから清和源氏だとか書かれています。(眉唾だと思ってください。)系譜学を二流三流の学問にしてしまったのは、こんな本が世に多く出回っているからでしょう。〇〇氏流だというのなら、その根拠が必要で、殿様の国替えの歴史があるとか、先祖が何藩に所属していたとか、人の移動を歴史的に証明するとか、出自を明らかにするのなら、証拠となる正しい情報が必要で、そのためには見えないところで地道な努力を積み重ねることが大切と思います。他人の家系と思わず自分の家系だったらどう思うか?自分の家系だったら妥協などしないはずです。家系調査には効率とか損益分岐とか、それらは無用どころか有害です。