男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

建武の新政

2010年12月31日 | 日本の歴史、地域の歴史
鎌倉幕府が滅んだ(1333年)後、後醍醐天皇は京に戻った。

院政も、摂政も関白もない、幕府も置かない、天皇中心の新しい政治を始めた。

1334年、年号が建武に改まったので、この政治を建武の新政といった。

天皇中心の政治は公家を重視したため、武士達の不満を買った。

足利尊氏は鎌倉で起きた中先代の乱を鎮圧した後、武家政治の再興を目論み後醍醐天皇に反旗をひるがえした。

一時は破れ、九州に逃れたが、湊川の戦いで楠木正成を破ると、京都を奪回した。

こうして建武の新政はわずか3年で崩壊した。
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大晦日こそ、ご先祖供養を!

2010年12月31日 | 家系鑑定とアドバイスなど
お正月、一月一日は仏壇の扉を閉めておくもの。

あまり知られていませんが、本来、大晦日はご先祖様に感謝して一年の締めくくりをする日です。

忘れてはなりません。ご先祖の加護が薄れてしまいますよ。

家系譜を持っている人は出して名前を呼び、般若心経等(それぞれの宗派のやり方で良いです)を唱えて、ご先祖の冥福を祈願しましょう。

来年はすばらしいものになるでしょう。

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寝る前の10分間はイメージ作りの時間

2010年12月31日 | 自己啓発と引き寄せ
今、見ている映画は過去に撮影したものが目の前に映っている。

現実世界もそれと似ていて、過去にイメージしたものが、時間を経て目の前に現われる。

よく正夢やデジャブ(既視感)を見る人がいる。

私も良く経験するのですが、不思議な現象です。

人に予知能力があるのか、それとも霊界からのお告げか?霊界では現実世界よりも時間の経過が早いのか?

結論を出すことはできませんが、意識世界と現実世界の関係は、内と外、主体と対象、原因と結果ということではないかと思います。

そう考えると、意識と無意識の境は寝る前と起きる瞬間です。

気持ちの整理ができずに床につくと悪い夢を見ることも多くなります。

悪い夢が後を引き、次の日は悲惨なものに・・・。

どんなに疲れていても、寝る前の時間は一日を振り返り、良かった事には感謝し、そうでないことには反省して、明日の為に良いイメージを描いて、希望と喜びと感謝をもって休むことにしましょう。

疲れに負け、気持ちを悶々としたままで、倒れるように床につく人の未来は悲観的ものだ。

明日は一月一日、一冨士、二鷹、三なすびといいますが、良い初夢を見ましょう。一年は希望的なものになります。

寝る前の10分!!!
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足利尊氏

2010年12月30日 | 全国戦国武将
太平記によると、鎌倉幕府を倒した新田義貞と足利尊氏が八幡太義家ゆかりの「二引竜の旗」をめぐって争う。

これを手中に入れることができなかった足利尊氏は。義貞を倒し、後、「二引竜の旗」を揚げたと伝える。

室町幕府最後の将軍は足利義昭だが、織田信長に攻められ陥落した。全ての官位を奪われた。天正元年(1573)のことである。

家紋は足利二引竜。
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藤原氏 その2

2010年12月30日 | この名字のルーツは?
藤が付くと藤原と言いましたが、実は、藤が付いても藤原とは限らず、また、藤が付かない藤原氏流のほうが多いのです。

藤原秀郷流では、佐藤、首藤、後藤、尾藤、近藤、武藤、須藤など藤が付く苗字のほかに、小山、太田、足利、波多野、田原、大友、佐野、結城、蒲生、草刈、大屋、山内、鍋島、竜造寺、泉、島田、松田、長沼、伊賀、河内、皆川、河村、淡路、林、田沼などなど。

利仁流も同様。
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人相 小鼻

2010年12月29日 | 夢占い、ジンクスなど
小鼻のことを人相学では金甲という。

守備力、蓄財力を観ます。

小鼻が張っている:活動的で金運もあり、部下運も良く、慎重さもあるので仕事で成功する相。

女性の場合、小鼻は卵巣を意味し小鼻にホクロ、キズなどあると卵巣の病気に注意したほうが良いでしょう。子宮は鼻頭でみます。

鼻の両脇、小鼻の上を仙舎、香田といいます。男の左と女の右を仙舎といい、男の右と女の左を香田といいます。仙舎は公的貯蓄力、香田は私的な貯蓄力を意味する。良く張っていてホクロやキズがないほうが吉相。

鼻の両脇を夫座、妻座といいます。男の左を妻座といい妻との結びつき、セックスなどがうまくいっているかを観ます。女性の場合は右側を夫座といい夫の関係を観ます。
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藤原系

2010年12月29日 | この名字のルーツは?
藤原氏流は日本人の30パーセントとも三分の一とも言われるが、どちらにしても最大の系譜になる。

韓国の金氏に勝るとも劣らない天下の大姓だが、金氏のようにそのままの姓では残らなかったのが違うところだ。

藤原からの転化は地名を名乗ったものが多い。

藤原氏はもともと中臣氏で、鎌足が大和国高市郡藤原の里(橿原市高殿町)を天智天皇から賜ったと共に藤原の姓も頂いた。

源氏や平氏、橘氏との違いは地名からきている点だ。

中臣氏は天児屋根命(あめのこやねのみこと)が先祖だ。

鎌足が二十三世孫ということになる。

鎌足の子、不比等には男子が四人いて長男武智麿が南家、二男の房前が北家、三男の宇合が式家、四男の麻呂が京家を立てた。

北家が最も勢力があって、冬嗣が出て、その子良房は太政大臣になり摂政となった。この系から平安期には道長が出た。

鎌倉期になると五摂家が出、代々摂政関白を受け継ぐ。近衛、九条、二条、一条、鷹司の五家で地名から名を取った。

五摂家に次ぐ閑院(かんいん)家、清華家、大臣家、羽林(うりん)家、名家なども宮中にて勢力を持った。

武士として栄えたのは、平将門を討った藤原秀郷(ひでさと)と、子の叙用(のぶもち)が伊勢神宮の斎宮頭(さいぐうのかみ)になった藤原利仁である。

天下の大姓、佐藤氏は藤原秀郷流、齋藤氏は利仁流である。

藤の字の付く苗字は藤原氏をあらわすことが多い。
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人相 鼻の穴

2010年12月28日 | 夢占い、ジンクスなど
鼻孔を人相学ではソウ門といいます。

鼻孔が大きい人:あけっぴろげ、お金の出入りが激しい。大金をつかむこともある。秘密を保ちにくい。

鼻孔が小さい人:気が小さく臆病なので大きなことができない。散財はしにくい。女性は家庭的な奥さんになれる。

大きさが左右違う人:経済感覚はあるが、貯まりにくい。

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平家系

2010年12月28日 | この名字のルーツは?
平は平和という抽象的な意味を持つが、桓武天皇が平和を願って、奈良から京都の平安京に遷都したことに基づく。

桓武天皇は平の氏を皇子が臣籍降下の際に用いさせた。それで桓武平氏という。

他にも、仁明平氏、文徳平氏、光孝平氏の3流がある。

一番栄えたのが桓武平氏、中でも葛原親王からでた高見王の子高望王の系が栄えた。上総介として関東に赴いてそのまま居ついてに帰らなかった。これを桓武平氏高望流という。

国香・良兼・良将・良文の子はそれぞれ栄え、良将の子に将門が出て伯父の国香を殺し天下を取ろうとした。しかし、その子貞盛は仇を討ち鎮守府将軍となり子孫は続いた。六代目に出たのが清盛。

維将の系から北条氏や下河辺氏が出ている。維将の兄弟維衡から出た北条氏とは近い関係。これらを国香流という。

良文から出た氏では、三浦・千葉・梶原・渋谷・土肥・相馬・和田・大庭・畠山氏がある。岩城は良兼氏から出た大掾氏流がある。この流に馬場・行方・石毛・真壁・東条氏などがある。

地域別では、維衡流のものは伊勢守となって基盤を築いたので伊勢平氏という。

坂東八平氏と呼ばれるのは千葉・上総・三浦・土肥・大庭・秩父・梶原・長尾の八氏である。
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源氏系

2010年12月27日 | この名字のルーツは?
源の氏の発祥は嵯峨天皇に由来する。

他に仁明、文徳、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐、村上、冷泉、花山、三条、後三条、順徳、後醍醐、後深草、亀山、後二条、正親町まで19流がある。

後世最も栄えたのが清和源氏で、武田、土岐、志田、南部、浦野、足利、三好、小笠原、多田、佐竹などの諸流がある。

他に地方別、地域別の分け方があり、例えば甲斐源氏といえば武田、逸見、加賀美、板垣、岩崎などの諸氏が入る。

清和源氏に次いで栄えたのが、嵯峨源氏で天皇の皇子、信・弘・常・融などみな源姓を賜ったが、融のあとが最も栄えた。渡辺、松浦などの豪族が出る。

次が宇多源氏で、敦実親王の後裔、佐々木一族が栄えた。

次が村上源氏で中でも具平親王の後で、久我家が主流。その支流に中院・六条・岩倉・千種・東久世・久世・梅渓・愛宕・植松の9家がある。

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