男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

家系譜新聞8月号 特集:依存からの脱出

2021年07月30日 | その他

家系譜新聞8月号 特集:依存からの脱出
先日、テレビを視聴しているとき依存の恐さを感じました。過食による肥満で悩むアメリカ女性の話です。両親が薬物中毒でまともに愛情を受けられなかった反動ですね。
依存症には様々あり、アルコール、タバコ等はよく聞きますが、その他、インターネット、万引き、ゲーム、ギャンブル、セックス、オナニー等きりもなくありますが、健康を害するものや犯罪に繋がる行為は問題です。
恥ずかしい話し、親戚にもギャンブル依存が高じて離婚、一家離散になってしまった人がいたと聞きました。昔は優秀な人だったそうですが、何が原因で人生を台無しにしてしまったのかと考えてしまいます。

本来は愛で満たされる
 家系学の観点から言いますと、家系繁栄のポイントは夫婦関係と親子関係です。夫婦は横の関係、親子は縦の関係で、横と縦の線でつながっているのが家系図です。
 それが崩れると、離婚や一家離散ということになってしまいますが、そこまでいきたくないのでストレス解消法を求めますが、良くない選択の形が依存症だと思います。

愛の関係があれば・・・
 愛の特徴とは何でしょうか?
1.共有:愛が有る関係は、時間を共有したい、財産を共有したい、空間を共有したい。愛を失うとこれらを共有したくなくなります。
2.不平不満がなくなる:愛があると、どんな環境でも最高と思える。全てが満たされる。何も持たなくとも全てを持っている。
3.喜びと感謝に満ちる等々。
愛は麻薬みたいなものです。全ての悪なる感覚が麻痺します。本来は麻薬など使わなくても人は愛に酔う様になります。
 しかし現実では、お互いがそうとうな努力をしなければそのような愛の関係を保つことが困難です。

全ての原因は自己中心
 相手の気持ちを考えない言動、自分さえ良ければ満足、自分に甘く他人にきびしい、自分のために他人を犠牲にする、自分の主張だけを語り他人の話を聞かない・・・きりが有りません。「いるいる。そういう人」と思った人が多いと思います。

習慣性を変える
 こういうことは、自分ひとりの代で起きたことではなく、家系的に連鎖しているケースがほとんどです。それだけに気付かない人が多いのです。
 先祖の満たされていない想いが、子孫に投影されることがあるので、家系図を作成して先祖の流れを良く理解することや供養することも大事です。その上で、先祖からの流れでこびり付いている悪しき習慣性を変えていく必要があります。(写真はイメージ)

100日間実践してみる
 100日間、家事を手伝う、掃除を手伝う、会話の時間を持つ等、自己満足的実践ではなく、配偶者や家族が喜び、関係改善に繋がる行為のほうが効果的と思います。
 ほぼ全身の細胞が入れ替わるのに100日くらいかかるそうです。100日でリフレッシュ、生まれ変わる感覚ですね。

依存を克服する
 わかっちゃいるけどやめられない。続けていると害になることがわかっていても、行ってしまう依存症は程度の差があり、重症の場合は医療機関に相談しなければなりませんが、軽度の場合は早めに克服しましょう。
 自分の経験から、いきなり悪しき依存症的習慣性を変えるのは容易ではないと感じます。悪しき習慣性打破にチャレンジしてもなかなか100日も続けられません。
 悪しき習慣性をなくそうと思うよりも、良い習慣性を徐々に増やしていく中で、少しづつ心に変化し、いつしか悪い習慣性を続けなくなっていくものです。割合の問題でしょうか。
自分が乗り越えることは、先祖も一緒に乗り越えること、習慣性を変えることで家系の流れも変えていきましょう!
「家系譜が強める家族の絆」
日本家系調査会

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一円さん

2021年07月08日 | この名字のルーツは?
一円!細かい名字です。崩しようがありませんね。先日、滋賀県の多賀町一円付近を調査。同地に「一円」の名字が何軒も集住していました。(写真は多賀町一円付近)
ルーツ
土佐国安芸郡の国人。近江国犬上郡一円荘(滋賀県犬上郡多賀町一円)をルーツとする。宇多源氏京極氏の庶流で、一円荘の土豪だったが、のちに土佐国安芸郡に転じた。但馬守のときに長宗我部氏に従い、羽根城(高知県室戸市)に拠った。滋賀県犬上郡多賀町一円: 多賀の北方、芹川(せりかわ)の形成する扇状地の扇頂に位置する。中世は京極一族の一円氏の居住地。「一巡り」の意味で支配をも意味する。
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新田一族から分かれた名字

2021年07月08日 | この名字のルーツは?
新田一族から分かれた名字は以下の通り様々です。群馬県や近隣県に多く見受けます。
脇屋、大館、関岡、横田、福田、久保、清水、綿打、堀口、亀岡、尾島、高林、坂本、一井、反町、金谷、谷島〔矢島〕、細谷、外松、飯田、安養寺、西谷、新野、今井、吉崎、荒井〔新井、新居〕、世良田、沖、得川、寺尾、江田、前島、吉田、額田〔額戸〕、池永、長岡、庄田〔生田〕、松田、鶴田、里見、井関、竹林、中沢、太田、古山、田中、尾崎、西家、木原、小沢(男爵家)、仁田山、山本、大島、舩田、後閑、鍋田、豊岡、小林、鷹野、佐田、谷川等や、越後国魚沼郡等の大井田、鳥山、籠沢〔小森沢〕、上野、羽川〔羽根川、羽河〕、下条、中条、岩田、倉俣、河治(川治)、泉沢、羽黒、安藤、山名他。
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家系譜新聞 特集 農業の神さま五郎兵衛

2021年07月01日 | 家系鑑定とアドバイスなど
農業の改革を行った歴史的人物としては、青木昆陽や二宮金次郎等がうかぶが、群馬県甘楽郡南牧村出身の市川五郎兵衞をご存じですか?

五郎兵衞は戦国時代の武士であり、江戸初期の開発者、新田の開拓者です。

最近、長野県の市川氏の調査を行っている中で佐久市五郎兵衞記念館(佐久市甲14-1)を訪れることができました。

北佐久郡浅科村上原に、五郎兵衞新田(浅科村)開発者の市川家がある。先祖は甲州(山梨県)市川鄕に居住し、故あって上州(群馬県)南牧に土着し南牧七騎と目された市川右馬佐を祖とする。

五郎兵衛は右馬佐御五世の孫にあたる。徳川家康から開発許可の朱印状をもらい元和元年(1615年)佐久郡に入ったとされる。

市川五郎兵衛(諱は真親、幼名は市左衞門)は元亀3年(1572年)に生まれ寛文5年(1665年)に歿しています。

同地に真親神社(明治に入って村人が建立)や墓があります。墓地には子孫と思われる墓が並び、丸に剣花菱の家紋から清和源氏義光流と思われます。

※群馬県南牧村にある歴史資料館で得た南牧市川(三家)系図によると、新羅三郎(義光)-新羅八郎(義行)(源頼朝の再興旗揚に参加して、甲州市川荘賜る。)-新田義興(新田義貞次男)-新田真重(清信)甲州市川荘に移住-市川右近四郎(義継)南牧谷星尾に城を築く。・・・と書かれてあり、佐久地方の市川氏は同じルーツであることがわかります。

市川氏の分布は?
都道府県別苗字分布と世帯数は以下のようです。

2278 静岡県
2023 愛知県
1966 長野県
1901 東京都
1857 埼玉県
1691 神奈川県
943 三重県
890 千葉県
846 群馬県

ご覧のように市川氏分布は長野県が多く、その中でも佐久地方は断トツ一位でした。
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