男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

家紋いろいろ 鱗(うろこ)紋

2010年04月30日 | 家紋いろいろ
最近、お会いした家系調査のお客様がこの家紋でした。そこで、鱗紋の説明を。

魚の鱗だけではなく、蛇や龍の鱗も意味し、農耕神(水神)のシンボルとも言われる。

北条氏の代表的家紋として有名。他氏はほとんど使用していない。

北条氏以外では、良文流の大木氏が亀甲に一つ鱗、三浦氏が角の内二つ鱗。秀郷流の中村氏、越智氏流の河野氏らが三つ鱗を用いている。また、宇都宮氏流小田氏の三つ鱗紋は正三角形。

日本家系調査会
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ネガティブシンキングを排除

2010年04月29日 | 自己啓発と引き寄せ
ネガティブな姿勢、考えはストレスを増大させ、目標達成の妨げになる。

内側から来るものと外側から来るものがあるが、心の中で育たないうちに排除する必要がある。

それがあるうちは成功しないからだ。

早期にポジティブシンキングに切り替える癖をつけよう。

日本家系調査会
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意欲を持つ

2010年04月28日 | 自己啓発と引き寄せ
ソクラテスの言葉:世の中を動かそうとする者は、先ず自分を動かさなければならない。

部下に口だけハッパかける上司がいるが、自分自身がそのために飛び出して行くくらいの意欲がなければ人の心を動かせない。

人生の中には失望すること、壁にぶち当たることが多い。

内面から湧き上がってくる意欲がなければならない。

動機付け、目標の設定が大事だ。

目標を決めたならば、なんとしてでも達成するという決意を持たなければならない。

意欲を高めるためにイメージトレーニングが有効だ。

潜在意識というものは、現実と想像を区別できないことをご存知ですか?

自分がすでに目標を達成しているイメージを強く焼き付けるのです。

日本家系調査会
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失敗に対する恐怖心

2010年04月27日 | 自己啓発と引き寄せ
人間は生まれた時点では、二つの恐怖心しか持ち合わせていないという。

一つは落下に対する恐怖心、もう一つは大きな音に対する恐怖心です。

お金がなくなる恐怖心や、愛を失う恐怖心など後から付いてくる訳です。

人間の恐怖心は、何かを失敗したらどうしようという恐怖心がほとんどだと思います。(人間だけしか持ち合わせていない。)

失敗に対する恐怖心が、挑戦する力を削ぎ、課題を先延ばしにさせる。

恐怖心によって課題に対する取り組む姿勢を失ってしまう。

ブレーキをかけながら前に進もうとしている。上手くいくわけがない。

よく先々のことで心配しますが、しかし、恐怖や心配していることの、ほとんど9割は実際には現れません。

そのときになれば、解決の道も現れるもの。

思い煩いは今日の分だけで十分である。

恐怖心や心配は何ももたらしてくれない。力にもならない。

あなたが恐怖を感じているものに真正面から取り組むことで消える。

恐怖心は簡単に消えるほど臆病なのです。

日本家系調査会
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全国戦国大名 森忠政

2010年04月26日 | 全国戦国武将
森 忠政(もり ただまさ、元亀元年(1570年)~寛永11年7月7日(1634年7月31日))は戦国時代の武将。

江戸時代初期の大名。信濃国川中島藩主、のち美作国津山藩の初代藩主。赤穂藩森家初代。森蘭丸は実兄。

尾張国葉栗郡蓮台に生まれる。天正10年(1582年)、織田信長に小姓として出仕するが、同僚との喧嘩を信長に見咎められ、まだ幼すぎるとして母親のもとに返された。結果としてこれが幸いして本能寺の変に巻き込まれずに済んだ。

本姓は源氏。清和源氏の一家系 河内源氏の流れ。八幡太郎義家の四世孫・森伊豆守頼定を祖とする。

系譜:森判官代頼定 - 森二郎定氏 - 森二郎太郎頼氏 - 森七郎光氏 - 森伊豆守氏清 - 森左近大夫頼俊 - 森左京亮頼師 - 森二郎太郎頼長-森七郎右衛門尉頼継 - 森二郎可光 - 森越後守可房 - 森越後守可秀 - 森越後守可行 - 森三左衛門可成 - 森武蔵守長可=森左近衛中将忠政

戒名:本源院殿前作州太守先翁宗進大居士

日本家系調査会



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全国戦国大名 高山右近

2010年04月25日 | 全国戦国武将
高山 右近(たかやま うこん)は、安土桃山時代、江戸時代の武将。重友、長房という名前もある。ドン・ジェスト(ユスト)という名前はクリスチャンネーム(洗礼名)。

キリシタン大名として知られている。

高山氏は摂津国三島郡高山庄(現在の大阪府豊能郡豊能町高山)出身の国人領主である。

出自は秩父氏の一派の高山党の庶流とも甲賀五十三家の一つともいわれる。

慶長19年(1614年)、加賀で暮らしていた右近はキリシタン追放令を受けて、人々の引きとめる中、加賀を退去した。

長崎から家族とともに追放された内藤如安らと共にマニラに送られる船に乗り、マニラに12月に到着した。

イエズス会報告や宣教師の報告で有名となっていた右近はマニラでスペイン人のフィリピン総督、フアン・デ・シルバらから大歓迎を受けた。

しかし、船旅の疲れや慣れない気候のため62歳の右近はすぐに病を得て、翌年の2月4日に息を引き取った。64歳。

右近の死後、その家族は日本に帰国し、現在石川県羽咋郡志賀町代田、福井県福井市、大分県大分市に直系子孫の3つの「高山家」がある。

家紋は七曜、八曜とも伝えられる。

日本家系調査会



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全国戦国武将 雑賀孫一

2010年04月24日 | 全国戦国武将
雑賀 孫一(さいが まごいち、天文3年(1534年)? ~ 天正17年(1589年)5月2日?)は、雑賀衆(紀伊の雑賀荘を中心とした国人。

土豪の地域連合体を雑賀衆あるいは雑賀党とよんだ)の有力者の一人。

鈴木孫一、鈴木孫市ともいう。雑賀孫一とは、個人の名前ではないという。

しかし、実在したのは確か。雑賀衆の有力者鈴木氏の歴代当主が雑賀孫一を名乗ったという説が有力。

石山合戦において雑賀衆を率いて石山本願寺へ入り、織田信長の軍勢を苦しめた。

その後、関ヶ原の戦いでは鳥居元忠を討ち取るなどの軍功を挙げ、浪人を経て水戸藩に仕官した。

正体について不明な部分も多く、鈴木重意(佐大夫)を指すとする説や、重意の息子、鈴木重兼(平井孫一という別名あり)や鈴木重秀、鈴木重朝(関ヶ原の合戦・水戸藩への仕官などの経歴はこの人物と重なる)を指すとする説などがある。

しかし、「孫一」が活躍した年月に開きがあり、鈴木氏の当主は代々「孫一」を名乗っていたという資料もあることから、複数の人間の伝記が混在した可能性が高い。

また、鈴木氏の定紋が「ヤタガラス」(日本サッカー協会のシンボルマークでもある)であるため、孫一は自身の火縄銃にヤタガラスと命名している。

和歌山県和歌山市平井の蓮乗寺内に孫一の墓と伝わるものがあり、法名は「釋法誓」(墓碑には「天正17年(1589年)5月2日」とある。)。三重県熊野市には孫一終焉の地として供養塔がある。こちらの法名は「釋広徳」。

日本家系調査会



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利子 姓

2010年04月23日 | この名字のルーツは?
利子さんという名字は極めて少ない。

「とね」とか「りこ」と読む。

ソネがなまったもの。

岩石や砂が多いやせた土地の意味。

日本家系調査会
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若麻績 姓

2010年04月22日 | この名字のルーツは?
「わかおみ」姓ですが・・・

以前に何度か家系譜のお客様を善光寺徳行坊に招待したことがあり、若麻績ご住職にはたいへんお世話になりました。

一般的に善光寺は本堂のみをさすが、本堂だけではなく、多くの宿坊があり41カ寺の集合体になっている。そのうち15カ寺の住職が若麻績姓で、世襲されています。

一番古い記録には麻績王という人がいたようですが、若麻績姓は、はっきりした記録としては中世からのようです。若麻績ご住職で74代目とか。


善光寺の本尊である秘仏、「善光寺式阿弥陀三尊」は、欽明天皇の時代552年に百済の聖明王から献呈されたものとされ、紆余曲折を経て推古天皇の命により本田善光の手で初め飯田市の元善光寺に、次いで現在の信濃善光寺に遷座したと伝えられるが、若麻績家は本田善光の子孫とも言われている。

しかし、さだかではない。少なくともご先祖は仏様と一緒に来た。一時期、武田信玄によって甲斐善光寺にご本尊を持って行かれた時もご本尊と共に甲斐国に移動した。常に仏様と一緒に居る一族だ。

全国28082番目で約110人。若麻績直の後裔。信濃、武蔵などに存す。

日本家系調査会
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苫米地 姓

2010年04月21日 | この名字のルーツは?
苫米地さんに最初にお会いしたのは、今から十年ほど前に苫小牧でお目にかかった。

そのときは苫小牧と関係する名字かな?と思いましたが、違います。

陸奧国、青森県ですね。青森県三戸郡南部町苫米地という地名があり、苫米地駅という駅もあります。

アイヌ語で沼のような川という意味。

全国3964番目で苫米地姓は約3,000人。陸奥国三戸郡苫米地邑発祥、藤原氏良門流上杉氏族。

日本家系調査会
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