flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

豊川閣東京別院令和五年

2024-12-20 00:00:00 | ほとけのいおり

(曹洞宗円福山妙厳寺 東京都港区元赤坂)

 初午のこの日。

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寛喜寺明王院

2024-11-11 00:00:00 | ほとけのいおり
(真言宗飯盛山 神奈川県鎌倉市十二所 2016年2月10日)
 寛喜三年(1231)鎌倉幕府四代将軍藤原頼経によって発願された。寛永年間に火災により本尊である不動明王像以外は全て失っている。





















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稲荷山別願寺

2024-10-28 00:00:00 | ほとけのいおり
(神奈川県鎌倉市大町)
 真言宗能成寺として開山し、弘安五年(1282)公忍のとき、一遍に帰依して覚阿と改名し、時宗となった。境内には室町幕府に対し永享の乱を起こし自害した鎌倉公方足利持氏の宝塔(供養塔)と、一夜菜稲荷の祠がある。昔、名越に住む稲荷を信仰する村人が夢中枕頭に白髪の翁が立ち「我は汝の日頃信ぜる佐竹稲荷の化身なり。此度の悪疫の流行、庶民の難渋まことに不愍のいたり、見るに堪へざる所なり。されば、我が祠前に菜種を蒔き、其れわ摘みて服用すべし。必ず効験あらん」と告げた。村人は祠前に菜種を蒔き、一夜にして菜五寸余になったという。故に一夜菜稲荷と呼ばれるようになった。





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修禅寺

2024-10-27 00:00:00 | ほとけのいおり
(曹洞宗福地山修禅萬安禅寺 静岡県伊豆市修善寺 2015年6月13日)
 大同二年(807)空海によって真言宗桂谷山寺として開創されたという。建仁三年(1203)鎌倉幕府二代将軍源頼家は北条氏によって修禅寺に幽閉された。頼家は川のほとりに住む面打師夜叉王に自分の顔を写した面を頼んだ。夜叉王には桂という娘がおり、頼家の幽閉先に奉公させることにした。然し、翌年に北条氏臣が修禅寺へ夜討ちを謀り、桂は頼家の顔を写した面をつけ頼家の身代わりになったが、頼家も討ち死にした。建長年間(1249-55)南宋渡来僧蘭渓道隆によって臨済宗に改められ、その後兵火によって荒廃したが、北条早雲によって再興された。

















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豊川閣令和四年

2024-09-26 00:00:00 | ほとけのいおり
(曹洞宗円福山妙厳寺 愛知県豊川市豊川町)
 天保時代に再建された総桧造の法堂が解体され立願所となり、位牌堂であるRC造の宝雲殿の場所に新法堂を建立するため昭和41年建造の宝雲殿も解体された。































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愛染院跡と溶岩塚

2024-09-16 00:00:00 | ほとけのいおり
(静岡県三島市一番町 市指定天然記念物)
 かつて愛染院は三嶋大社の別当(神宮寺)であったが、安政大地震によって倒壊し、再興されないまま明治維新の神仏判然令によって廃寺となった。溶岩塚は富士山の噴火によって流出した溶岩が凝固したもので、愛染院のあった辺りでは塚のように盛り上がっていたためこう呼ばれた。
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光明山正覚院圓照寺

2024-08-28 00:00:00 | ほとけのいおり
(埼玉県入間市元加治 2014年11月26日)
 元久二年(1205)二俣川の戦い(横浜市旭区)で討死した武蔵七党加治家季の菩提を弔うため、子の加治家茂によって創建された。



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浄戒山定勝寺

2024-07-31 00:00:00 | ほとけのいおり
(長野県木曽郡大桑村須原 2014年11月8日)
 嘉慶年間(北朝1387-9)木曽親豊により創建され、文安五年(1448)木曽川氾濫による被害を受けたが、木曽家賢によって再建された。慶長三年(1598)犬山城主で木曽代官でもあった石川光吉(貞清)によって本堂、山門、庫裏が造営され、国指定重要文化財となっている。



















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大御堂

2024-07-27 00:00:00 | ほとけのいおり
(茨城県つくば市筑波)
 奈良時代、筑波山中腹に筑波山寺が創建され、後に筑波山知足院中禅寺となって山頂の筑波山神社と習合した。然し神仏判然令によって中禅寺は廃寺となり跡地は筑波山神社拝殿となった。昭和5年(1930)に至り、神社隣接地に筑波山大御堂として再興され、東京都文京区の護国寺の別院となっている。
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楊梅山観音寺

2024-07-24 00:00:00 | ほとけのいおり
(長野県塩尻市贄川 2014年11月8日)
 大同元年(806)創建とされ、武田勢が木曽氏を攻めた際、兵火により焼失した。慶長二年(1597)再興され、現存する楼門は寛政四年(1792)、本堂は安永四年(1775)に造営されたものである。









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寝覚山臨川寺

2024-07-10 00:00:00 | ほとけのいおり
(長野県木曽郡上松町上松 2014年11月6日)
 浦島伝説のある木曽川寝覚の床のほとりに臨済宗臨川寺はある。創建時期は不詳ながらこの地に浦島堂と呼ばれる弁天を祀ったのが始まりとされ、寛永元年(1624)尾張藩主徳川義直の命により木曽代官山村良勝が堂宇を造営したという。






























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聖岩山玉林院

2024-07-08 00:00:00 | ほとけのいおり
(長野県木曽郡上松町上松 2014年11月6日)
 天正十年(1582)木曽義元二男で出家した木曽玉林によって創建された。明治27年(1894)上松宿の大火によって伽藍を失ったが、江戸時代中期に造営された楼門と黒松は現在も残る。















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東勝寺跡

2024-07-04 00:00:00 | ほとけのいおり
(臨済宗青龍山東勝寺 神奈川県鎌倉市小町 国指定史跡 2017年1月17日)
 鎌倉幕府第三代執権北条泰時によって創建されたという。元弘三年(1333)新田義貞の鎌倉攻めの際、北条高時が東勝寺に逃げ込み、火を放って自害したことから寺は焼失した。その後間もなく再興され、関東十刹第三位になる程に復興されたが、戦国時代に廃寺となっている。昭和50年(1975)の発掘調査では石垣、石敷、門跡が検出され、北条家の紋である三鱗の紋瓦片が出土している。













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太平寺跡

2024-06-28 00:00:00 | ほとけのいおり
(神奈川県鎌倉市西御門 2017年1月17日)
 弘安年間(1278-88)開創の鎌倉尼五山筆頭の尼寺である。弘治二年(1556)里見義弘の鎌倉攻めの際、住職の青岳尼が義弘と共に安房に向かい正室となったため廃寺となった。仏殿は舎利殿として円覚寺に移築され現存(国宝)。本尊は安房に持ち出されたが、後に東慶寺に移された。



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満光山来迎寺

2024-06-24 00:00:00 | ほとけのいおり
(神奈川県鎌倉市西御門 2017年1月17日)
 永仁元年(1293)創建の時宗寺院である。





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