flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

尾張旭 平成十六年

2015-07-31 00:00:00 | 街道・宿場町

(愛知県尾張旭市 2004年12月6日)
 名古屋市のベッドタウンとして人口増加にある尾張旭は、矢田川、そして瀬戸街道沿いに発展したまちである。旭の地名はいわゆる好字を用いたものであり、明治39年(1906)の合併により旭村が成立するまでは、新居村、印場村、八白村という村々であった。

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口之津港

2015-07-30 00:00:00 | 海道・みなと

(長崎県南島原市口之津町)
 天草鬼池から島鉄フェリーで島原半島口之津に入港する。かつては島原鉄道と接続していた口之津の地は、永禄五年(1562)島原領主有馬義直がイエズス会ポルトガル人宣教師であり医師・商人であるルイス・デ・アルメイダを招いて貿易港を開いたのが港の始まりとされる。口之津の意味は、有明海入口の津(港)を表すという。明治11年(1878)には長崎税関口之津支庁が開設され、三池炭鉱の石炭海外直輸出港となった。雲仙普賢岳災害復旧により運転再開された島原鉄道も、平成20年には加津佐ー島原外港間が廃止され、口之津駅も廃止された。

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西大谷

2015-07-29 00:00:00 | ほとけのいおり

(京都市東山区五条橋東)
 清水寺の下方には数多くの墓標がある。これは、墓地下方にある大谷本廟檀徒の墓地であり、西大谷は西本願寺(東大谷は東本願寺)を表す。弘長二年(1263)親鸞はこの地において荼毘に付され、文永九年(1272)東山吉水に廟が建立された。慶長八年(1603)に至り、廟(大谷影堂)をこの地に移転、仏殿が建立され大谷本廟と称した。(慶応三年に焼失、現存する仏殿は明治三年再建)寛文元年(1661)には、背後に大谷墓地が開園している。
 
  妙見大菩薩 鳥辺山延年寺旧跡
     円通橋

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フェッラーリ広場

2015-07-28 00:00:00 | 街道・宿場町

(Piazza de Ferrari イタリア共和国リグーリア州ジェノヴァ県ジェノヴァ市)
 旧市街最大の広場であるフェッラーリ広場は、ジェノヴァの金融及び官庁街でもある。1877年、政治家ラファエレ・デ・フェッラーリ公爵の名をとり整備され、中央には1936年設置の円形噴水を配している。
 
      アールヌーヴォー様式のバラッツォ・デッラ・ボルサ・ヴァローリ(旧証券取引所)ダリオ・カルボーネ設計 1912年
   旧証券取引所とイタリア信用銀行
  パラッツォ・デル・クレディト・イタリアーノ(旧イタリア信用銀行)1914年と ジェズ・エ・デイ・サンティ・アンブロージョ・エ・アンドレア教会
 ジェズ・エ・デイ・サンティ・アンブロージョ・エ・アンドレア教会とドゥカーレ宮
  ドゥカーレ宮 1783年再建及びパラッツォ・デッラ・ラジョーネ・リグーリア(旧リグーリア州裁判所) 1925年
 ガリバルディ騎馬像とカルロフェリーチェ劇場

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修善寺

2015-07-27 00:00:00 | 街道・宿場町

(しゅぜんじ 静岡県伊豆市修善寺町 2015年6月12日)
 伊豆半島の中央、修善寺に降り立つ。下田街道の中間地点であるこの地は、修禅寺の門前町、そして温泉地として栄えた。修禅寺は、大同二年(807)真言宗桂谷山寺として始まったとされる。鎌倉時代に至って臨済宗修禅寺となり、その後北条早雲によって曹洞宗に改められた。
  
 廃業した水月ホテル
 日枝神社
  桂川(修善寺川)虎渓橋から
        修禅寺
  桂橋
   
 
 筥湯

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豊川進雄神社例大祭 平成二十七年

2015-07-26 00:00:00 | かみのやしろ

(愛知県豊川市豊川西町 県指定無形民俗文化財)
 現在は毎年七月第三金曜・土曜・日曜に行われている進雄(すさのお)神社の祭礼であり、万治三年(1660)小笠原義忠が衰退していた煙火を再興させたものという。祭りには多額の費用がかかり、それを補うため、地元の若衆に呼びかけ荒地を開墾し、田畑を増加させることでその費用を充て、そして若衆に花火の製法を教え、彼らを東西二組に分け花火を競わせたのが今に続く慣わしであるという。今でも参加する家の玄関先には、祭礼で使用する手筒が看板のように置かれている。夜は手筒煙火の奉献が行われるが、昼間は元宮稲田神社へ向けての神輿渡御や山車が練る。この祭礼が終わるとこの地方は梅雨明けをし、本格的な夏がやってくる。
 笹踊り
    「綱火」
  手筒煙火奉献者参拝
  手筒煙火開始
        

(関連記事:進雄神社例大祭平成十六年 平成十九年 平成二十年

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吉良 正法寺古墳

2015-07-25 00:00:00 | いにしえびとの睡

(愛知県幡豆郡吉良町乙川字西大山 国指定史跡 1990年7月7日踏査)
 この日は先ず幡豆町を訪れ、役場、歴史民俗資料館、寺部城跡、須佐之男社の順に巡った。歴史民俗資料館では、原始時代からの漁民の暮らしが理解できたが、同館長曰く幡豆町は歴史や文化財に対して力を注ぎ出したのは、周辺地域より遅かったとのことであった。次に西隣の吉良町を訪れる。吉良町は8年振りであるが、海岸地域は初めてであった。地域文化広場内にある歴史民俗資料館では、吉良氏が有名なこのまちにおいて、思いのほか原始・古代が栄えていたことが分かった。訪れたときは、一昨年に発掘調査が行われた、中根山遺跡の出土品が展示されていた。続いて、三河湾を見下ろす丘陵地に存在する正法寺古墳を訪れた。全長89m,西三河最大の前方後円墳であり、多数の円筒埴輪や形象埴輪が出土した。その埴輪から5世紀前半に築造と推定されている。
 昨年度に整備された古墳公園

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Atami Ruins '15

2015-07-24 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-

(静岡県熱海市)
 高度成長期に最盛期を迎えた熱海は、その後右肩下がりに衰退し、多くの昭和遺物を残した。前回訪れたときに残っていた東海岸町の熱海グランドホテル建物も取り壊され、隣接するホテルニュー大和跡地と共に、開発業者ゼファーによる北棟20階、南棟21階450室のホテルが計画された。然し平成20年、同社の民事再生により開発業者が破綻し計画が頓挫した。更に隣のつるやホテルがあったところは 、平成21年に10階建メディカルコンプレックス併設複合商業施設「suUhaa(スーハー)熱海」(後にaune(あうね)熱海に変更)が建てられたが、開発業者であるジョイント・コーポレーションが民事再生を申請し、事業が頓挫、建物が未開業のまま放置されている。また、和田浜地区では、バブル崩壊と共に閉館した松濤館や、老朽化した建物にシートが覆われ、更なる哀愁を漂わせている海浜ホテル等がある。
  松濤本館跡
    遊廓のあった渚町
              ニューフジヤホテル寮

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鬼池港

2015-07-23 00:00:00 | 海道・みなと

(熊本県天草市五和町鬼池)
 本渡バスセンターから旧五和町の鬼池港に向かう。鬼池港は有明海を挟んで島原半島口之津港まで島鉄フェリーが運航している。この区間は福岡県大牟田市から長崎県島原、熊本県天草を経由して鹿児島県阿久根市に至る国道389号線の海上ルートでもある。



 天草四郎像

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新緑の清水寺

2015-07-22 00:00:00 | ほとけのいおり

(北法相宗音羽山清水寺 京都市東山区清水 世界文化遺産 国宝 国指定重要文化財 2015年6月4日)
 前日の雨模様と打って変わり、梅雨入り前の好天となった。そして相変わらず京は人々で賑わっていた。
   
 重文 釈迦堂 寛永八年
      
 修理中の阿弥陀堂
  

(関連記事:清水寺平成二十二年夏 清水寺平成二十二年秋 二寧坂

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ジェノヴァ サント・ステーファノ教会

2015-07-21 00:00:00 | かみのやしろ

(Chiesa di Santo Stefano イタリア共和国リグーリア州ジェノヴァ県ジェノヴァ市セッテンブレ通り)
 972年に創建されたこの教会は、1306年、アボットニッコロ・フィエスキによって、現存する八角形の聖堂及び四角形の塔の築造が開始された。その後も教会施設が増築され、第二次世界大戦で被害を受けたが、間もなく修復されている。
 

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図書館を考える上で

2015-07-20 18:00:00 | 学びのやかた

 まず、これからの図書館、特に民間が行う場合は、図書館単体での運営は、全く付加価値も利益も生まないと考える。比較的近い関係にある博物館、美術館、その他文化施設との連携。さらに学校教育、職業訓練、生涯教育、福祉施設等との密接な連携および、それら施設とトータル的なマネジメントを行ってこそ、利用者に対しての新たな付加価値、限られた予算の運用が図れると考える。また、委託などといった自治体側に偏ったマネジメントはやめ、予算が安定している自治体は、自治体独自での運営を図り、負債の多い自治体は、設置、運営から所有まで全て民間が代わって行い、自治体に貸すといったことまで行うのが現状の教育文化行政において妥当であろうと感じる。そして、予算の節約目的で自治体から受託されただけの民間企業は淘汰されていくことだろう

 以前、そのまちを底辺から知るなら、駅、職安、図書館を見ればわかると言ったことがある。図書館はあまねく人を迎え入れ、全ての人に公平に情報を知る機会を与えている。しかし、きれいごとだけを言っても始まらないのである。図書館はリタイア・セミリタイアの人たちの拠り所と言っても過言ではないと思う。悶々とひたすら本を読み、ただ読書が趣味というなら未だしも、何も活かされるわけでもなく、活字しか信用できないような狭い視野となってしまうようなら、提携する職業訓練や本人に似合ったサークル等を紹介し、将来の納税につなげることが、両者にとって最善の策の一つであろうと考えます。図書館は本人自身の学習意欲を尊重すると言いますが、実は中途半端で勿体無いものと言えるであろう。学習するきっかけを得た利用者が、もう一歩誘導、方向付けをさせることが、双方のプラスになることは明らかである。図書館が他の施設と密に提携することも重要だが、図書館の中あるいは図書館員が各種教育資格を持ち、利用者のために行動をとれるようにできることが理想と言えるだろう。縦割り行政の弊害を打破するため、各種施設や教育部門等に多数の民間人を入れ、総合的に教育文化を整備する必要もあろうかと考える。また、これからの図書館は単体の持ち物の「図書館」ではなく、あらゆる教育部門の書棚・書庫であるべきと思う。

 以前、話題にしたことがある。図書館に観光案内所があればと。私が今まで訪れた46都道府県646自治体で、平日は役所へ、休日は図書館に訪れてそのまちの状況を把握しているが、その地の詳しいことが分からず、住民の方々に聞くことが多い。特に小さい自治体ほど苦労する。そこで、図書館が観光案内所を兼ねていれば、平休日問わず、そのまちのことを訪れた人のコアな要望まで所蔵している資料を使って案内することができ、そのまちの活性化につながるのではないかと、経験上感じている。名所旧跡や歴史などを観光地向きにわざわざピックアップしなくても、資料を使ってその人に合ったものをレファレンス技術で紹介できれば、訪れた人はきっと満足できるだろう。

 価値を向上させる策は、いくらでもある。

 私の考えとしては、現状では基本的に自治体業務及び公益事業は民間が請け負うものではないと考えている。(非営利組織は除く)
第一の理由として、営利換算ができないこと。売上に対する対価ではなく、入札による「契約年棒」という収入となる。数値的には安定はするが、運営予算的には余裕がない→人件費削減→従業員処遇低下→定着率の低下→職業専門性の低下につながる。そもそも、自治体は経費削減を大前提に委託させることを認識しなくてはならない。
第二の理由として、受託者:二つの顧客(自治体・市民)という構図になるため、契約の打ち切りを恐れ、毅然とした対応ができない、あるいは過剰な遠慮に陥る可能性がある。よって、本来の業務権利が減少あるいは失われる恐れがある。

 ただし、自治体が委託していない部分も合わせて受託することで、...有意義」な受託はできると考えている。第一に、自治体の委託業者との「二重組織体」を解消させれば、無駄が削減でき、受託メリットの可能性はある。
第二に、役所の代名詞ともいえる「縦割り」を、その広く新しい受託範囲組織によって連携を密にすれば、業務としての存在価値が格段に上昇するだけでなく、予算効率も上げることができる。
第三に、いわゆるハコモノ施設の所有権を民間に譲る、あるいは新規設置にあたっては、民間単体で設置させ、自治体はそれを借りるという形にする。(PFI方式の官有民営より進んだ形)それによって自治体は管理運営の負担を解消でき、民間にある程度の商業的自由を与えることによって税収、雇用を創出できる。また、同様施設を継続させることを条件に施設の転売譲渡を認めさせることで、他業者参入の機会を与える。

官民運営の方策

「自治体の民間委託について」をさらにもう少し考
えてみる。
 民間(法人)所有および設置の施設(備品・資料は自治体所有)を自治体に貸し、一定の権限を与えられた上で運営する。一定の権限というのは、自治体所有物に対しては直接干渉しない範囲で、業務の付加価値や効率化をつくりだすことに関して、自由に活動できる裁量を持つことである。また、施設の自治体への貸し出しに関して、民間が建設した単体の施設に対し自治体から賃貸料を徴収するスタイルにするのか、あるいは施設併設(または隣接)の商業施設等(ショッピングセンター・アウトレット・道の駅等)を並行運営許可および税制優遇することを条件に、社会教育施設の部分を無償貸与にする。併設施設は商業施設に限らず、関連社会教育施設や学校、社会福祉施設等の連携価値を付...加させることのできる組合わせも適当であろう。

 本来、社会教育というものは営利の天秤にかけるものではない。しかし、自治体が財政難を理由にして自治体直営を放棄するに至った場合、民間が運営できる策を考えるのは当然である。

 今、多くの自治体や受託する民間企業が行っていることは、人件費削減を理由に将来の自らの税収と利益を失っている行動であることが残念でならない。
 

 近年、図書館の業務に対する給与の低さの問題が取り沙汰されている。私は前職で業務に対する単価を算定する仕事をしていた。予め地域の最低賃金や業務内容の負荷度を踏まえた上で下限単価を決め、動作、内容、時間を計算し、この仕事に対して幾ら以上必要かを提示する仕事であった。いわゆる「一円玉を拾うには、一円以上のコストがかかる」という考えである。図書館の業務は担当内容によっても差は出てくるが、総体的にみて少なくとも時給単価は1000円は超えると判断する。しかし、実際には地域最低賃金から150円程度の間を基本時給としている。では何故その問題が解決できないのか。まず、全体を客観的に見た場合の仕事の幅にあると考える。図書館の基本業務は「管理」が主体を占める。そして、貸出・返却・予約といった業務の他に、読み聞かせ...やおはなし会、人形劇といった子ども向け活動、選書、相互貸借、書評等がある。しかし、その大部分は「管理」である。よく「無料貸本屋」と呼ばれるが、それは貸出の部分が書店で言うところの販売で、選書も取り寄せも書評も書店にはあり、業務の大きな違いはなく、故に図書館には書店関連出身者も多い。このようなことから、専門職でありながらも他の社会教育関連よりも価値が低くみられがちであり、よって給与への反映もされにくい。同じく社会教育施設である美術館には、管理と同様の業務ウェイトを占める交渉業務がある。館が企画展を行う場合、他館からの資料借用が必要となり、さらに展示のPRや図録の作成がある。次に博物館は、管理、資料交渉の他、研究業務がある。所蔵品には考古資料、歴史資料が多く含まれており、それらの研究と共に、発掘調査等に携わる場合がある。また、自然系博物館に至っては、さらなる専門的研究や動植物の飼育があって、業務の分担はされているとはいえ、明らかに業務の幅が広い。

 時代はインターネット全盛であり、誰でも情報の取得は容易となっている。自館のどこに何があるかパソコンで検索して案内する程度のやり取りでは、利用者にとって特段有り難みはなく、店員さんと間違われても仕方がない部分もあろう。もう一歩、相手に有益に繋がる程度の案内・誘導をもって、利用者にさまざまな機会を与えるべきである。前項で触れた、他社会教育施設との連携について改めて考えてみると、図書館を○○の本棚という位置づけとして、例えば教育支援センターと図書館というように、より建設的な図書館利用を図る。毎日図書館内で開講される多岐に渡った各種セミナーを、他分野経験のある図書館員、自治体職員、外部有識者等で講師を務め、資料の活用と共に学習・就業機会を多く与える。開かれる講習内容に則した図書の展示をする。いわゆるリタイア利用者が多い図書館において、その利用者の興味に近い講習案内の書かれた栞を貸出の際に本に挟み、自立・行動を促すといった活動も有効ではないだろうか。それら活動が、利用者本人の生活が潤い、いずれ税収としてまちも潤うのである。その他、学校や福祉施設と図書館をカリキュラムで組み込むことで、学校教育としてのインターンシップや身障者の活動機会提供、高齢者の学習意欲促進等、可能範囲であると考える施策は多く存在する。

 このように提供する側・受ける側にプラスとなる行動を、是非自治体ならびに受託業者は考えていただきたい。

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韮山から修善寺へ

2015-07-20 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-

(伊豆箱根鉄道駿豆線 静岡県伊豆の国市・伊豆市)
 韮山駅から駿豆線で修善寺に向かう。かつて伊豆半島を一周する鉄道の分岐点が計画された大仁を過ぎるとカーブとなり緩行となる。そして、間もなく終点修善寺に差し掛かる。
   

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瀬長島

2015-07-19 00:00:00 | 城郭・城下町

(沖縄県豊見城市瀬長)
 名前通り、本島と長い瀬が繋がる周囲1.8kmの島である。那覇空港南側に位置するため、飛行機の着陸を間近に望むことができる。瀬長島はアマミキヨ(阿摩美久:琉球創成神)が豊見城で最初に降臨した地とされ、また島全体が瀬長グスクの跡である。終戦後米軍に接収され、グスクの遺構は破壊された。1977年に日本に返還されている。
          
 カートの人たち
          
 那覇空港遠望
   
 オスプレイ
     
 自衛隊機の後方には民間機
  外国人も撮影に
   
      瀬長島と飛行機着陸

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幸田 青塚古墳

2015-07-18 00:00:00 | いにしえびとの睡

(愛知県額田郡幸田町坂崎字弁天 1990年6月30日踏査)
 経塚古墳の程近くにある、全長38m,高さ3mの前方後円墳である。内部は竪穴式石室を持ち、直刀、金銅製鍔、鹿角製柄頭、硝子製小玉等が出土している。外部施設として周濠、埴輪(水鳥形)があり、出土品から6世紀初頭の築造と推定されている。また、青塚の名は大塚や王塚が変化したものと考えられている。

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