flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

稲荷公園の桜

2011-08-31 00:00:13 | ふるさとの木々


(愛知県豊川市緑町)

     

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地獄組合

2011-08-30 00:00:39 | まちの違和感
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神田上水復元遺構

2011-08-29 00:00:02 | 水のほとり

(東京都文京区本郷)
 本郷給水所公苑内には、昭和62年に付近から出土した、神田上水復元遺構(石樋)がある。神田上水は天正十八年(1590)から築造された小石川上水を始まりとし、拡張するかたちで井之頭池を源とする神田上水が築造され、元和頃に完成したものである。明治34年(1901)に廃止された。

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上賀茂

2011-08-28 00:00:21 | 水のほとり

(京都市北区)

(関連記事:上賀茂神社

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旧大正屋呉服店

2011-08-27 00:00:56 | STRUCTURE-構造物残影-

(広島平和記念公園レストハウス 広島市中区中島町 世界文化遺産)
 昭和4年(1929)に呉服店として建造された、RC造、地上三階地下一階の建物である。昭和18年(1943)に、繊維統制令により呉服店は接収され、広島県燃料配給統制組合となった。爆心地から170mの距離にあり全焼したが、躯体は残存した。昭和32年(1957)広島市の所有となり、建物を修繕するも、平成8年、市は老朽化を理由にこの建物を取り壊すと発表した。然し、各種平和団体から猛反対を受け、更には文化庁やユネスコから世界遺産抹消の可能性が伝えられ、解体が凍結された。
  

(関連記事:平和記念公園 旧広島物産陳列館 元安川 広島城 広島城内の軍事施設

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大海の放下 平成二十三年

2011-08-26 00:00:23 | 民俗・伝承

(愛知県新城市大海 県指定無形民俗文化財)
 鍋づる万灯から豊川牛淵橋を渡り大海に向かう。途中、暗闇であったが、第二東名による開発が始まっていた。乗本中山砦が削られ、豊川に新しい橋脚が立ち、新昌寺と鳥居強右衛門墓所の間に築堤が現れていた。そんな著しい変化の中、大海の集落に入った。
 
 放下は、鉦と太鼓で「門がかり」、「出」、「ねり」、「そそり」という歌に合わせて演奏し踊る。この際、団扇を背負った太鼓持ちが、三つ巴になるように配置し踊るのである。

 放下は平安時代末期、中央の政治が乱れ、寺院で養われていた僧侶たちが地方に流浪した。その際、各自が所属していた寺院の信仰と行事の作法を基にして、流浪をしながら芸能を披露したのが放下僧と呼ばれる者である。その後、一遍などの遊行僧によって念仏踊りが次第に浸透し、各地の集落に溶け込んでいった。然し、南北朝時代の争乱で放下は一時廃れ、室町時代に再興したとされている。江戸時代入ると、放下に限って辻放下と呼ばれる流しの芸能者が行なっていたが、その後は村民が行なうようになったという。この大海周辺地域でも遊行僧が隣郷鳳来寺を訪れ、伝えていったものとされる。

(関連記事:大海の放下平成十九年 鍋づる万灯平成二十年 乗本万灯平成十九年 乗本万灯平成二十年 火おんどり採火式 火おんどり(信玄原火踊)

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金龍地獄大仏

2011-08-25 00:00:56 | 大きな仏さま

(大分県別府市鉄輪)
 像高5mのコンクリート製の阿弥陀如来立像である。昭和10年(1935)に建立されたが、台風によって破損し、建て替えられている。


(関連記事:鉄輪 海地獄

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御茶ノ水

2011-08-24 00:00:41 | 水のほとり

(東京都千代田区神田駿河台・文京区湯島)
 かつてこの辺りは神田山と呼ばれていた。徳川秀忠の時代に水害防止用の神田川放水路と江戸城の外堀を兼ねて東西方向に掘削され、現在のような地形となったという。その頃、神田山北側の曹洞宗金峰山高林寺境内(現元町公園、寺は明暦の大火で向丘に移転)から水が湧き出し、この水を将軍のお茶用の水として献上したことから、この地が御茶ノ水と呼ばれるようになったとされる。

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上賀茂神社

2011-08-23 00:00:23 | かみのやしろ

(賀茂別雷神社 京都市北区上賀茂本山 名神大社 旧官幣大社 山城国一宮 世界文化遺産 国宝 国指定重要文化財)
 社伝によると、神武天皇の頃に賀茂山の麓に賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)が降臨したと伝える。 『山城国風土記』には、玉依日古尊(たまよりひこのみこと)の子孫である賀茂県主の一族がこの社を奉斎したと伝える。玉依日古の妹である玉依日売尊(たまよりひめのみこと)とその父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は下鴨神社(賀茂御祖神社)に祀られている。
             

(関連記事:賀茂川 大徳寺

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広島平和記念公園

2011-08-22 00:00:47 | STRUCTURE-構造物残影-

(広島市中区中島町 世界文化遺産 国指定名勝 国指定重要文化財)
 この地を訪れたとき、東日本大震災、福島第一原子力発電所の事故直後であったため、相当に感慨深いものがあった。
 昭和20年(1945)8月6日、この地において人類史上初めて核兵器が実戦使用として投下され、14万人が命を落とした。
 昭和29年(1954)広島平和記念都市建設法が制定され、同年、建築家丹下健三の設計により開園した。公園内には原爆死没者慰霊碑、原爆供養塔、平和の鐘、原爆の子の像があり、昭和30年(1955)には、広島平和会館原爆記念陳列館(現広島平和記念資料館)が開館し、本館は国指定重要文化財となっている。平成14年には新たに国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が建設された。内部には平和祈念・死没者追悼空間が設けられている。
(平和記念資料館)  (原爆死没者慰霊碑)
     (平和祈念・死没者追悼空間)

(関連記事:被爆地長崎 浦上天主堂 旧大正屋呉服店 旧広島物産陳列館 元安川 広島城 広島城内の軍事施設

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八名 市川

2011-08-21 00:00:05 | 街道・宿場町

(愛知県新城市市川)
 夕刻の別所街道(川添道)をエコ乗り物でひた走る。雨上がりの辺りには霧が所々に広がっていた。
 
 豊川に注ぐ深沢川から街道を離れ、沢伝いに狭い道を上がっていく。ここまでは知っている光景だが、ここより先は旧新城市域で唯一、私は足を踏み入れていない場所である。上がるとすぐ、豊川用水の深沢川を跨ぐ水路橋が現れる。そして鬱蒼とした急坂を暫く進むと、市川の集落に辿り着く。
 
 古来は「卒川村」と言われ、江戸時代には東隣の乗本村に属し、山に囲まれた集落であったため、「市川組」とも呼ばれた。
 
 この日は送り火行事である「鍋づる万灯」が行われる日であったため、若干の他方の人が見られたが、集落は静寂を呈していた。辺りは三遠南信のいわゆる国境いの村を思わす「天空集落」が広がっている。民家を繋ぐ、ジグザグの細い道を上がっていくと、そこには鎮守があり、その向こうに見える万灯山からは日没を待つ人々の声が聞こえた。
  (白鳥神社)  

(関連記事:乗本 富山 水窪 天龍

(新城市(旧市域)記事:桜淵笠岩 境川 さるおと しのんば 川添道八名井 信濃往還中村定池根古屋 杉山村の諸城 今出平館 真向遺跡 臼子 臼子城 鳳来寺道吉水 徳定 徳定城屋敷 欠下城 五葉城 高城砦 半原陣屋 八名半原 富永神社 平井大谷城 平井国広城 一鍬田天王まつり 豊栄神田 夷ヶ谷城円ノ平館 大海の放下 火おんどり 旗頭城 富岡コスモス迷路 今水寺跡 宇利城 設楽郡川路村の諸城 設楽原竹広 設楽原柳田前 設楽原大宮前 設楽原丸山 新城城 御堂山北畠信雄本陣地 矢部古墳群上ノ川古墳 タイカ遺跡 設楽原決戦場まつり 石田城 建長寺遺跡 楠遺跡 杉山荒井古墳 蛇紋岩地帯植生 新城駅舎 桜淵 海倉 庭野ムクの木 鳥原日吉神社 日吉神社の楠 舟着から せいじゃ淵 井道厳島明神社 井道城 慈廣寺 瓶割峠 段林5号墳 摩訶戸4号墳 庭野神社 夏の桜淵 杉山竹生神社 段林遺跡 来迎松城 信玄塚 岩広城 大ノ木遺跡 勝変塚古墳 大原古墳鏡石 しのんば平成二十四年 島田氏墓所 断上山9号墳 宗堅寺菅沼家墓所 山縣三郎兵衛昌景之碑 慈眼寺館 大入遺跡 キシの清水 東新町駅2番線 豊川早滝橋から 茶臼山城 茶臼山古墳 北下遺跡 萩平遺跡 武田四将訣別之跡 桜淵平成二十六年 野田城大橋築造地 桜淵平成二十七年 西屋敷川砂防堰堤 大ノ木遺跡石棒状岩石 設楽原歴史資料館 新町八幡砦 野田 信玄原バイパス築造地 簑着騒動半田春平屋敷跡 城北 新城古城 堂塚古墳 屋川遺跡 比丘尼城 石座神社 宇利 天神宮

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鉄輪

2011-08-20 00:00:45 | 孝霊天皇流族関係記事

(かんなわ 大分県別府市鉄輪)
 鎌倉時代までは背後の鶴見岳の影響により、至るところ噴火活動による荒廃地帯であったこの地を、建治二年(1276)遊行中であった一遍智真が鶴見権現(火男火売神社:ほのおほのめじんじゃ:祭神火之加具土命:ほのかぐつちのみこと)の導きによって、玖倍理湯の井(くべりゆのい:それまでの付近の呼称)を鎮めて整備したとされ、一遍が開いたとされる石風呂(蒸し湯)の跡がある。
(廃業ホテル)
(建設放棄)
(いでゆ坂) (むし湯 足湯)
(熱の湯飲湯場跡)(洗濯場跡・鉄輪銀座通り)

(関連記事:金龍地獄大仏 海地獄 上人ヶ浜

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初夏の富士

2011-08-19 00:00:56 | 漂い紀行
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尊良親王墓所

2011-08-18 00:00:13 | いにしえびとの睡

(京都市左京区南禅寺下河原町)
 尊良親王(たかよし(たかなが)しんのう)は、延慶三年(1310)後醍醐天皇の第一皇子として生まれた。元弘二年(1332)元弘の乱が起きると、後醍醐天皇と笠置、そして河内へと移ったが、捕らえられて土佐国へ流された。翌年、肥前国彼杵郡に移り、大宰府に入って九州を鎮め、京に戻っている。建武二年(1335)足利尊氏が鎌倉で離反すると、新田義貞らを率いて東に向かったが、箱根で敗退する。翌年、九州から上洛した尊氏に後醍醐天皇方が敗れると、子恒良親王と共に新田義貞に招かれ越前国金ヶ崎城(福井県敦賀市)に移ったが、翌延元二年/建武四年(1337)落城し、自害した。胴部は金ヶ崎に、頭部はこの南禅寺に埋葬されたという。

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広島へ

2011-08-17 00:00:08 | 漂い紀行

 中国、四国地方最大の都市、広島を訪れた。
(京橋川)
(昭和23年に防火帯として造られた平和大通り)
(本通り)

(関連記事:平和記念公園 旧大正屋呉服店 旧広島物産陳列館 元安川 広島城 広島城内の軍事施設 広島市立図書館 平和観世音菩薩像 国泰寺愛宕池 旧日本銀行広島支店

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