flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

多武峯内藤神社

2019-12-31 00:00:00 | かみのやしろ

(東京都新宿区内藤町)
 三河岡崎出身で高遠藩初代藩主である内藤清成は、慶長七年(1602)当地(後の新宿御苑)を与えられ、江戸屋敷を構えた。その際に屋敷神として先祖とする藤原鎌足を祀ったのが始まりという。明治に入り屋敷地の大半が官有地になったため、神社は現在地に遷された。境内には明治5年(1872)に移された駿馬塚があり、徳川家康が清成に「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と言い、清成が乗った馬は千駄ヶ谷、大久保、代々木、四谷を走り死んでしまった。文化十三年(1816)に至り、馬を埋めた樫の木の跡に「駿馬塚」を造り碑を建てたという。






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萩平日吉神社

2019-12-30 00:00:00 | かみのやしろ

(愛知県豊橋市石巻萩平町大門 2007年2月5日)

 豊川水系間川支流安川沿いに鎮座する神社である。神社の前の安川はかつて山王渕と呼ばれ、明治維新の神仏判然令以前は山王権現と呼ばれた。「参河国内神名帳」に「佐井天神」と記載され、平安時代には存在したと推定される。西郷七ヶ村(入文村・成沢村(石巻小野田町)・中山村・西川村・萩平村・平野村・馬越村(石巻本町))の総氏神であり、江戸時代には加納藩士西郷元安が先祖の地であるこの西郷を訪れ、山王権現に雨乞面を奉納している。

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権田原

2019-12-29 00:00:00 | 漂い紀行
(東京都港区北青山)
 かつて権田氏が住していたからとされるこの地は、都心ながら明治神宮外苑、赤坂御用地となっており、緑が豊かである。
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医神社

2019-12-28 00:00:00 | かみのやしろ

(愛知県豊橋市石巻中山町太陽寺跡 2007年2月5日)
 医(くすし)神社の鎮座する山は堂山と呼ばれ、天台宗の白星山太陽寺械明院があったという。故に付近は太陽寺郷と呼ばれていた。「太陽寺縁起」によると、平安時代末期の長承三年(1134)右大臣徳大寺成忠が創建し、十六の伽藍を建立、その子清蓮が入山したという。医神社は当初、小槻天神と呼ばれ、太陽寺の鎮守であったが、「参河国内神名帳」に名が見えることから、太陽寺創建以前からあることが分かる。南北朝時代の延元三年(1338)太陽寺は大火で焼失。再建するも大永二年(1522)に再び火災(兵火か)に遭い、廃寺となった。その後、太陽寺の仏像はこの医神社に祀られた。

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旧明治神宮外苑競技場石垣

2019-12-27 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-
(東京都港区北青山)
 外苑通りの青山通り入り口にある両側の石垣は、大正13年(1924)競技場築造の際に設置されたものであり、江戸城の遺構ではない。





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野田城庚申塔

2019-12-26 00:00:00 | 石のまもり

(愛知県新城市豊島字本城 2007年2月1日)
 野田城の三の丸跡にある、青面金剛三猿像庚申塔。

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南町田

2019-12-25 00:00:00 | 漂い紀行
(東京都町田市鶴間)
 神奈川から西に向かうと差し掛かる東京。町田市の南端に位置する鶴間地区の一角、東急田園都市線南町田駅は昭和51年(1976)に開業した。平成12年(2000)には隣接してグランベリーモールが開業し、それまでの通勤利用のみから商業施設利用へとシフトした。その後、再び開発によりグランベリーパークと名を変え、たまプラーザテラスや、ららぽーと豊洲等に似た雰囲気の「街並み」が広がった。













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浄岩山円通寺廃寺

2019-12-24 00:00:00 | ほとけのいおり

(愛知県新城市豊栄字東平 2007年2月1日)
 文明元年(1469)に創建され、永正二年(1505)に至り、隣接して臼子城と後に佐宗勝重屋敷が築かれた。寺は廃寺となり、如来像や役の行者、庚申塔等の石仏が入る堂宇が残されている。

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門真

2019-12-23 00:00:00 | 街道・宿場町
(大阪府門真市)
 企業城下町である門真(かどま)は、高度成長期に人口が増加し、松下電器からの税収も多かったが、工場の海外移転や経済成長の低迷等で大阪府の中でも財政力指数が低い自治体となった。また、淀川からの氾濫の歴史があり、現存する歴史資料が少なくなっている。











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多芸神社

2019-12-22 00:00:00 | かみのやしろ

(愛知県新城市豊栄(臼子)字東平 2007年2月1日)
 創建は明らかでないが、臼子城の大手門にあたることから、その当時から鎮座したと推測する。旧臼子村の産土神であり、大正5年(1916)に山村竹生神社に合祀されたが、以後も崇敬され続けている。

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旧高倉筋

2019-12-21 00:00:00 | 街道・宿場町
(大阪市中央区石町)
 大川(土佐堀川:旧淀川)側の低地から、上町台地に上がる階段がある。南北に延びる高倉筋の途中に、江戸時代に築かれた石段である。







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臼子東平遺跡

2019-12-20 12:00:00 | いにしえの人びと

(愛知県新城市豊栄(臼子)字東平 2007年2月1日)
 豊川水系野田川支流臼子川左岸の斜面に位置する縄文時代中期から晩期の遺跡である。

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天満橋

2019-12-19 00:00:00 | 水のほとり
(大阪市中央区天満橋京町・北区天満)
 土佐堀川(大川)に架かる天満橋筋の橋である。天神橋、難波橋と共に浪華三大橋の一つであり、江戸時代は幕府直轄管理の公儀橋であった。現在の橋は昭和10年(1935)に築造されたものであり、昭和45年(1970)上段に高架橋が築造されて「重ね橋」となった。また、この地は京街道が通り、熊野街道の起点である港、渡辺津(わたなべのつ)であった。その後、当時の京阪電車終点である天満橋駅開業により、ターミナル機能を持った水辺となっている。








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上穂山

2019-12-18 00:00:00 | ご近所漫ろ歩き

(雁峯山 愛知県新城市 2007年2月1日)
 本宮山を穂の山と呼んだ太古、東に辛なる峯を上穂山と呼んだ。「かみほ」は次第に「かんほう」と変わり、雁峯山となったという。

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鳥辺山妙見堂

2019-12-17 00:00:00 | ほとけのいおり
(京都市東山区五条橋東)
 徒然草「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ」と書かれる通り、辺りは無数の墓標に覆われている。その中に「妙見大菩薩」の扁額を掲げる妙見堂がある。神仏習合により、妙見菩薩と同一視されていた天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祀るため、鳥居と備前焼の狛犬があるが、日蓮宗通妙寺が享保六年(1721)から管理する飛び地境内である。また、小堀遠州作の庭を眺めるために造られた舞台がある。







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