(東京都台東区蔵前)
かつて国技館があったため全国的に知られた蔵前は、江戸時代、天領の年貢を蓄える幕府の浅草御蔵を設けるため背後の丘陵地である鳥越山を崩して隅田川の一部を埋め立て、水運のため掘り割りが設けられたことに始まる。故に凹凸のある傾斜地となっており、まちを歩くと道が平らでないことに気づく。また、川沿いで倉庫が多く、職人気質な地域性から近年は「東京のブルックリン」と呼ばれているようである。
(東京都台東区蔵前)
かつて国技館があったため全国的に知られた蔵前は、江戸時代、天領の年貢を蓄える幕府の浅草御蔵を設けるため背後の丘陵地である鳥越山を崩して隅田川の一部を埋め立て、水運のため掘り割りが設けられたことに始まる。故に凹凸のある傾斜地となっており、まちを歩くと道が平らでないことに気づく。また、川沿いで倉庫が多く、職人気質な地域性から近年は「東京のブルックリン」と呼ばれているようである。
(愛知県豊橋市雲谷町ナベ山下 国指定重要文化財 2006年10月4日)
寺伝によると、神亀四年(727)関東に向かう途中で行基が、この山の地景を奇特に感じ、寺院草創の志を抱き修行をしていたところ、観音様が姿を現して「山の形にちなんで山号は「船形山」、観音様に因んで寺号は「普門寺」と名付けよ」と告げたという。行基はその観音様の姿を自ら彫り、告げられた内容を聖武天皇に報告したところ、堂塔建立が命じられて普門寺が開創されることになったという。現在でも背後の山の中腹には当時の数百以上の堂宇の遺構が残されている。この跡は嘉応年中(1169-71)に比叡山の僧兵によって攻められ焼き討ちに遭うまでの遺構と推定される。養和年間(1181-2)源頼朝叔父の化積によって中興され、現在の位置に再建されたとみられる。その頃、寺に沿って峠越えの鎌倉街道が開かれ、今はひっそりとした隠れ里ながら、往事は人々の往来で賑わったのだろう。辺りは山の南東斜面に位置するため西日が当たらず、至るところ苔生して緑一色の光景が広がっていた。
(東京都世田谷区駒沢公園)
東京ゴルフ場、東京オリンピック(戦前)候補地、東映フライヤーズ本拠地駒沢球場、国体会場、東京オリンピック第2会場、都立公園と、広い敷地故の利用変遷のヒストリーを持つ駒沢オリンピック公園である。
(愛知県豊橋市雲谷町上ノ山 2006年10月4日)
隠れ里雲谷(うのや)に鎮座する武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀る鹿嶋神社は、神亀年間(724-8)高宮大明神として創建とされる。応永三十三年(1426)現在地に遷座し、鹿嶋神社と改称したという。
(東京都大田区・品川区)
大正11年(1922)池上本門寺参詣客の輸送を目的に、蒲田ー池上間(1.8km)が池上電気鉄道として開業したのが始まりであり、翌年雪ヶ谷(雪が谷大塚)まで延伸され、昭和3年(1928)に五反田まで開通した。また、雪ヶ谷から分岐させ中央線国分寺駅への延伸を目指し、新奥沢に至る新奥沢線を同年に開業させている。然し、昭和9年(1934)競合を阻止するため目黒蒲田電鉄の五島慶太によって池上電気鉄道は買収され、国分寺延伸計画は白紙となり、昭和10年(1935)新奥沢線は廃止された。戦後は五反田から先泉岳寺を経由して三田線と相互乗り入れする計画が浮上したが、山手線を乗り越えるための鉄橋を築造しただけに留まった。
(東京都渋谷区恵比寿西 2016年1月26日)
恵比寿西に鎮座する恵比寿神社は、昭和34年(1959)まで天津神社と称し恵比寿駅の傍にあったが、開発によって現在地に移転し、恵比寿という地名に因んで、えびす神社の総本宮である西宮神社(兵庫県西宮市)より蛭子命を勧請、恵比寿神社と改められた神社である。