flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

賀茂田園と間川

2019-11-30 00:00:00 | 水のほとり

(愛知県豊橋市賀茂町 2007年1月26日)
 豊川左岸の氾濫原だったこの地は、それまでその氾濫原を蛇行して流れていた間川の改修が行われ、整然とした田園へと変わった。

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赤坂氷川神社の銀杏

2019-11-29 00:00:00 | ふるさとの木々
(東京都港区赤坂 区指定天然記念物)
 享保十五年(1730)に氷川神社が創建される以前からこの地に存在した、樹齢四百年、幹径2.4mのイチョウである。
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威徳山春興院と玉川御所

2019-11-28 00:00:00 | ほとけのいおり

(愛知県豊橋市石巻本町嵯峨 2007年1月26日)
 永禄九年(1566)渡辺助清創建の嵯峨城は、長慶天皇玉川御所の隠し城としている。

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旧越前屋百貨店

2019-11-27 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-
(横浜市中区伊勢佐木町)
 昭和6年(1931)に築造された、RC造7階建の百貨店である。開業翌年には負債により閉店し、鶴屋百貨店(後の松屋)に売却され再開業したが、間もなく寿百貨店と名称を変更し、後に松屋関内店となった。昭和52年(1977)松坂屋に売却され、同百貨店の横浜店西館となった。然し、経営不振により松坂屋は平成20年(2008)に閉店し、旧西館は大丸松坂屋百貨店所有のままJRA(日本中央競馬会)に賃貸され、定員制場外勝馬投票劵発売所であるエクセル伊勢佐木として利用されている。
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新岐阜百貨店解体

2019-11-26 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-

(名鉄グループ 2007年1月25日)
 平成18年(2006)より新岐阜百貨店及び岐阜乗合自動車(岐阜バス)が入居していた新岐阜ビルの解体が始まった。昭和32年(1957)に建設された、RC及びSRC(改修部分)5階建、延床面積24,300m2の建物である。一時は増床、改築の計画もあったが頓挫し、百貨店の売上も最盛期の半分に落ち込んで赤字収支に転落して閉店に至った。そして新駅舎建設のため、北側敷地面積約2,000m2の部分が先ず解体された。部分解体と並行して新駅舎及び商業施設の建設が開始され、平成20年(2008)に全面完成を目指している。但し、将来的に岐阜ー岐南間の高架化計画があり、岐阜駅の築堤部分の高架化、仮駅の設置等、現在行っている名鉄岐阜駅に関する事業は、あくまでも暫定的としている。

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横浜南京町

2019-11-25 00:00:00 | 漂い紀行
(横浜市中区山下町)
 江戸時代末期の開港時に、海岸沿いの外国人街として始まったこの地。関東大震災以降、主に華僑が残ったため、次第に中国人街が形成され、南京町と呼ばれるようになった。戦後は閑散とした街となったが、昭和28年(1953)チャイナタウン復興計画が策定され、「中華街」牌楼門が建てられた。



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新川橋

2019-11-24 00:00:00 | 水のほとり

(愛知県清須市 2007年1月25日)
 庄内川水系の合瀬川、大山川、五条川、地蔵川等の合流による庄内川の氾濫を防ぐため、天明四年(1784)から四年間に四十万両の工費をかけて延長27kmの新川を開削し、開削のための本陣がこの新川橋に置かれた。

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横浜港大さん橋ふ頭

2019-11-23 00:00:00 | 海道・みなと
(横浜市中区海岸通)
 平成14年(2002)それまでの桟橋に代わって整備された、RC造2階地下1階、延床面積44,000m2の構造物である。日本人にはないデザインをしており、文化の交わる港に適応したものといえる。

















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旧宮川家住宅

2019-11-22 00:00:00 | 木のたてもの

(旧所在地:岐阜県羽島郡岐南町徳田 県指定重要民俗文化財 2007年1月25日)
 明治24年(1891)に発生した濃尾地震直後に建てられた八畳四間の民家である。

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旧横浜居留地48番館

2019-11-21 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-
(横浜市中区山下町 県指定重要文化財)
 街路脇に違和感のある構造物がある。明治16年(1883)スコットランド商人ジェームス・ペンダー・モリソンの事務所兼住宅として建てられた、横浜最古とされる洋風建築である。大正12年(1923)関東大震災により2階部分を損壊し、また復興事業の道路拡張によって玄関の向かって右側が解体され、原形を留めなくなった。大正15年(1926)から昭和53年(1978)までヘルム兄弟商会が所有し外国人向け賃貸住宅として貸し出されていたが、神奈川県が取得し、平成13年(2001)保存工事が実施された。
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三宅文楽初代豊松清十郎墓碑

2019-11-19 00:00:00 | いにしえの人びと

(岐阜県羽島郡岐南町三宅 町指定史跡 2007年1月22日)
 幕末の大阪文楽(人形浄瑠璃)の花形で三宅文楽の創始者であり、明治4年(1871)に没した初代豊松清十郎の墓碑である。

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旧露亜銀行横浜支店

2019-11-19 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-
(横浜市中区山下町 市指定有形文化財)
 大正10年(1921)に築造された、RC造3階、延床面積1,520m2の銀行建築である。然しながら、露亜銀行は5年後に日本から撤退、その後J・H・モーガン設計事務所、昭和3年(1928)に横浜市瓦斯局、昭和10年(1935)からはドイツ領事館として使用された。第二次世界大戦後は進駐軍が使用し、昭和34年(1959)からは横浜入国管理事務所となった。その後、昭和53年(1978)から警友病院の別館として使用されたが、平成8年(1996)みなとみらい21地区に移転した。平成22年に耐震工事がされ、県有資産のテナントという形で結婚式場となり、現在に至っている。





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萬年山如意寺

2019-11-18 00:00:00 | ほとけのいおり

(岐阜県羽島郡岐南町三宅 2007年1月22日)
 臨済宗高富大龍寺末の円空仏を安置する寺である。

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Baccarat ETERNAL LIGHTS

2019-11-17 00:00:00 | 漂い紀行
(Yebisu Garden Place 東京都渋谷区恵比寿)




















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三宅八幡神社

2019-11-16 00:00:00 | かみのやしろ

(岐阜県羽島郡岐南町三宅字亀ノ宮 2007年1月22日)
 天正十六年(1588)巨大な亀が棲む池の畔に木曽川の洪水から守る水神として誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀ったのが始まりという。別名を亀ノ宮、今井田神社という。

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