(愛媛県西条市三芳 2007年5月30日)
大明神川の堤防を下り、両側の柱のみが立つ石鳥居に出合う。旧郷社宮内神社の一の鳥居のようである。神社に近づくにつれ、沿道には寄進の名を刻んだ玉垣が多く現れ始める。いつも感心するのは、この地方は神仏に対してや、公共のものに対し、寄進する気持ちの高いこと。私もつくづく反省させられる。その中で私の姓と、知る名前を発見した。明治時代この地の医師の家で生まれ、我が一門に嫁いだ娘、嫁いだ後に故郷に寄進をしたようである。本殿の玉垣には、その娘の実家の当主の名があった。宮内神社の創始は分からないが、延文四年(1359)の旱魃の際、神主藤原松麿によって雨乞いを行ったという。また、文安六年(1449)の棟札が残っている。神社境内は藪椿の社叢となっていて、季節には華やかであろうことが想像できた。
(愛媛県西条市大町 2007年5月30日)
大正10年(1921)に讃予線(1933-予讃線)の駅として開業し、現在の駅舎は昭和43年(1968)竣工したものである。この駅で普通列車観音寺方面と伊予市方面の運転系統が分かれている。
(四国旅客鉄道予讃線 香川県丸亀市新町 2007年5月29日)
高架化された丸亀駅。私が最初に知った丸亀駅は、昭和51年(1976)地上駅の頃である。明治22年(1889)讃岐鉄道の駅として開業した丸亀駅は、香川の玄関口である高松駅よりも古い。
(関連記事:丸亀城)
(愛知県豊橋市石巻町南山 2007年5月22日)
かつては石豊山とも呼ばれた標高368mの石巻山の中腹、230m地点の石巻神社鳥居前に広がる温泉(鉱泉)地である。昭和35年(1960)登山道が整備され、保養施設が建ち始めた。昭和42年(1967)には豊橋市自然科学資料館が開館し、昭和48年(1973)には登山道が県道379号石巻山線として再整備された。私が初めて訪れた昭和53年(1978)頃は最盛期で、夜は遠くからでも山上の灯りが見える程であったが、次第に衰退し多くの施設は廃業した。