flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

天地山永福寺の石仏

2017-02-28 00:00:00 | 石のまもり

(愛知県豊川市野口町長万 2000年11月19日)
 曹洞宗永福寺の境内には多くの石仏がある。
 舟形光背聖観音 安永四年(1775)乙未 八月吉祥日
 庚申塔 笠付角柱形青面金剛(左手:法輪、弓、女人 右手:錫杖、矢、剣)・邪鬼・三猿像 元文五年(1740)庚申天十一月十七日 三州宝飯郡野口村中
 丸彫地蔵像

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阿仏尼墓と智岸寺稲荷

2017-02-27 00:00:00 | ほとけのいおり

(神奈川県鎌倉市扇ガ谷)
 尼寺である浄土宗東光山英勝寺の北側には、横須賀線沿いに二つの「やぐら:鎌倉地域特有の横穴墓」がある。向かって左側のやぐらの中にある塔は伝、阿仏尼の墓であり、現在は多層塔であるが、かつては卵塔(無縫塔:僧侶の墓)であったという。阿仏尼は藤原為家の側室であり、冷泉為助(れいぜいためすけ)、為守を産んだ。阿仏尼は歌人であり、また『うたたね』や『夜の鶴』等を書き記している。為家の没後、正室の子である二条為氏と相続争いとなり、訴訟のため鎌倉に移り住んだ。このとき書き記したのが紀行文『十六夜日記』である。右側のやぐらの中には稲荷祠があり、智岸寺稲荷という。寛永十三年(1636)に英勝寺が創建される以前、この地には智岸寺があり、東慶寺の旭山尼の隠居所であったという。英勝寺が創建して以降、やぐらを利用して稲荷祠が置かれ、故地である智岸寺の名を冠にしたものと考えられる。
   

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鵜飼嶋永昌寺の石仏

2017-02-26 00:00:00 | 石のまもり

(愛知県宝飯郡一宮町江島字寺裏)
 旧鵜飼嶋村永昌寺境内の小堂には、左手に宝輪・弓・不明、右手に鉾・矢・剣を持つ明治二十七年十二月造立の舟形光背の青面金剛・三猿像庚申塔と、笠付角柱形の三十三観音塔がある。

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化粧坂

2017-02-25 00:00:00 | 街道・宿場町

(けわいざか 神奈川県鎌倉市扇ガ谷 国指定史跡)
 源氏山から亀ヶ谷に下る坂を化粧坂という。鎌倉七口の切通の一つであり、往時は幹線道路の一つであった。化粧坂の名の由来は、度々付近で行われた戦いの際、討ち取った敵方に死化粧を施してから首実検(身元検分)を行ったためという説がある。
          

(関連記事:二階堂切通 獅子舞の谷 極楽寺坂 名越切通 亀ヶ谷坂

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国府山国分寺

2017-02-24 00:00:00 | ほとけのいおり

(愛知県豊川市八幡町本郷 2000年11月5日)
 三河国分寺跡にある曹洞宗国府山国分寺の堂内。元々の国分寺は平安時代末には荒廃し、現在の国分寺は、永正二年(1505)近隣の西明寺末として創建したものである。
  

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源氏山

2017-02-23 00:00:00 | 漂い紀行

(神奈川県鎌倉市扇ガ谷)
 後三年の役(1083-87)では、源頼義(八幡太郎)が陸奥安倍氏討伐に出陣する際、この山頂に白幡を立て、氏神の岩清水八幡宮に戦勝を祈願し出征したと伝わる。また、源頼朝もこれに習い平家追討の際、この地で源氏の戦勝を祈願したとされる。故に「源氏山」と呼ばれるようになり、昭和40年(1965)葛原岡神社に隣接する山頂一帯が源氏山公園として整備された。
      

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法雲寺地蔵

2017-02-22 00:00:00 | ほとけのいおり

(愛知県豊川市白鳥町下郷中 市指定文化財 2000年11月5日)
 天台宗白鳥山法雲寺の境内にある地蔵堂には、鎌倉時代初期製作と推定される寄せ木造りの地蔵菩薩像がある。伝承では弘法大師が作製したとされ、同寺の『地蔵菩薩縁起』によれば、弘法大師が作製した同じ大きさの地蔵像は、高野山延命寺(神奈川県逗子市)、白鳥山法持寺(名古屋市熱田区)とこの白鳥山法雲寺の三躰であるとしている。

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葛原岡神社

2017-02-21 00:00:00 | かみのやしろ

(神奈川県鎌倉市山ノ内)
 浄智寺の背後、源氏山葛原ヶ岡の一角に葛原岡神社がある。元弘二年(1332)後醍醐天皇朝臣日野俊基は、鎌倉倒幕計画に参加した罪でこの葛原ヶ岡で斬首され最期を迎えた。死の直前、「秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらむ」と詠んでいる。その場所に明治20年(1887)明治天皇が忠臣顕彰で従三位を送り、俊基を祭神として神社が創建された。隣接する源氏山公園の一角に俊基の宝篋印塔があり、また幕府評定衆を務めた藤原仲能の墓がある。
       

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豊川河口三河湾

2017-02-20 00:00:00 | ご近所漫ろ歩き

(愛知県豊橋市 2000年11月4日)

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浄智寺と天柱峰

2017-02-19 00:00:00 | ほとけのいおり

(神奈川県鎌倉市山ノ内 国指定史跡)
鎌倉五山第四位である臨済宗浄智寺は、弘安六年(1283)鎌倉幕府第五代執権である北条時頼の三男宗政の菩提を弔うために創建したという。後嵯峨天皇第二皇子高峰顕日や、夢窓疎石らが住持を勤め、当時は七堂伽藍を備え、多くの塔頭(たっちゅう:境内末寺)が建ち、数百人の寺院関係者が住居していたという。南北朝時代に火災によって伽藍を焼失したが、間もなく再建されている。然し、その後次第に衰退し縮小。関東大震災により残された往時の伽藍を失っている。また、背後の天柱峰(標高97m)は、中国元の僧で鎌倉時代に浄智寺の住持も勤めた竺仙梵僊が名付け、ここからの景色を愛したという梵僊が塔所「楞伽院」(りょうがいん)を建立し、詩文集「天柱集」を著した。
  鎌倉十井 甘露の井
                 

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天間山聖観音

2017-02-18 00:00:00 | 石のまもり

(愛知県豊川市平尾町天間 2000年11月3日)
 財賀寺に向かう道中にある、舟形(光背)の石造観音である。

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東慶寺

2017-02-17 00:00:00 | ほとけのいおり

(臨済宗松岡山東慶総持禅寺 神奈川県鎌倉市山ノ内)
 弘安八年(1285)に北条時宗の室覚山志道尼が開創したという。以後尼寺として、東慶寺に駆け込めば離縁できる女人救済の寺として明治4年(1871)まで続いた。永正十二年(1515)に火災に遭い所蔵品を焼失しているという。明治35年(1902)男僧の寺となり、明治38年(1905)釈宗演が中興開山し現在に至っている。
              後醍醐天皇皇女用堂尼墓
 時宗室覚山志道尼墓
     釈迦如来像が立つ中興釈宗演墓
          

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樽井永昌寺の庚申塔

2017-02-16 00:00:00 | 石のまもり

(愛知県豊川市樽井町西坪 2000年10月29日)
 曹洞宗永昌寺の境内にある笠付角形の庚申塔である。青面金剛とその足元に邪鬼、三猿が彫られている。

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鎌倉馬道

2017-02-15 00:00:00 | 街道・宿場町

(神奈川県鎌倉市山ノ内)
 横須賀線北鎌倉駅と主要地方道横浜鎌倉線の南、円覚寺と馬道の境界を成す石塁がある。鎌倉街道が円覚寺の境内を通る道程であったため、門をくぐらずに通り抜けるために設けられた道がこの馬道である。
   円覚寺を望む

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玉蔵寺の石仏

2017-02-14 00:00:00 | 石のまもり

(愛知県豊川市本野町東浦 2000年10月22日)
 曹洞宗本国山玉蔵寺の境内にある聖観音像(西国三十三観音塔)と如意輪観音像である。
聖観音には「奉納西國三十三観音・貞享元甲子八月十八日三州宝飯郡本野村」とあり、如意輪観音には「宝暦三癸酉天六月十七日・信木善恭禅定尼」とある。

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