flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

白鷺湖

2012-06-30 00:00:23 | 水のほとり

(石手川ダム 愛媛県松山市湯山柳)
 松山の内陸部、重信川水系石手川に、昭和48年(1973)に築造された利水目的の人口湖である。

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函館南部陣屋

2012-06-29 00:00:25 | 城郭・城下町

(北海道函館市元町)
 南下するロシアに対抗するため、江戸幕府が蝦夷地を直轄する警備として寛政十一年(1799)に設置し、盛岡藩(南部藩)に管理させたのが南部陣屋である。文政四年(1821)に一旦幕府直轄が解除されたが、安政元年(1854)再び直轄となった。明治維新の戊辰戦争の際、南部藩の役人たちは自ら陣屋を焼いて盛岡へ引き揚げたという。

(関連記事:立待岬

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久保古墳

2012-06-28 00:00:01 | いにしえびとの睡

(愛知県豊川市久保町 1982年踏査)
 東三河最大の前方後円墳である船山古墳の南、旧音羽川流路に面する丘陵端に位置し、石室の一部が露出する古墳時代後期の円墳である。

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長岡宮

2012-06-27 00:00:02 | 城郭・城下町

(京都府向日市鶏冠井町 国指定史跡)
 延暦三年(784)それまでの平城京に代わって、水運に恵まれた現在の向日市を中心に、京都市西京区、長岡京市にかけて築造された都である。延暦十三年(794)その水運が仇となり、洪水によって都が壊滅、平安京に移るきっかけとなった。

(築地跡)
(長岡宮跡を貫く阪急線)
(大極殿跡:朝廷正殿)
    (再現された宝幢:幟立て)
(大極殿閤門跡)
(朝堂院跡:正庁)
   
(内裏内郭築地回廊跡)

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西表島

2012-06-26 00:00:01 | 海道・みなと

(いりおもてじま 沖縄県八重山郡竹富町 西表石垣国立公園)
 石垣港から高速艇で35分、石垣島に上陸する。八重山諸島最大の島であり、沖縄県では本島に次ぐ面積であるが、過去にマラリアが発生したこともあって開発が進んでおらず、人口は少なく2300人程である。島内には沖縄県最長の浦内川や仲間川、その付近にはヤエヤマヤシやマングローブ等が自生し、特別天然記念物のイリオモテヤマネコが棲息する。
(唯一の信号交差点)
(仲間川)
前良川
(古見の海岸)

(関連記事:サキシマスオウノキ 由布島 小浜島 竹富島

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伊勢佐木町

2012-06-25 00:00:12 | 街道・宿場町

(横浜市中区伊勢佐木町)
 訪れたときは、この地に宿をとった。西洋、近代的というイメージの横浜とは違い、身近な光景が広がっている。この辺りは元々現在の東京湾の入江であり、江戸の材木商吉田良信によって埋め立てられた吉田新田の一部である。明治7年(1874)伊勢佐木町として町が成立し、以後商業が発展していった。

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伏見稲荷

2012-06-24 00:00:58 | かみのやしろ

(京都市伏見区深草藪之内町 旧官幣大社 名神大社)
 畿内で最も初詣客があるとされる伏見稲荷であるが、境内はさほど大きな社殿はない。千本鳥居を潜ると稲荷塚があり、起源である稲荷山へと続く。
 
 和銅四年(711)伊奈利山の三ヶ峰に宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)が祀られたのが始まりとされる。中世には神仏習合により神宮寺である愛染寺が建立された。然し、明治時代となり神仏判然令によって寺は廃され、稲荷神社が正式名称となった。昭和21年(1946)神社本庁から独立し、伏見稲荷大社となった。
       

(関連記事:直違橋通

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窪野 正八幡社

2012-06-23 00:00:28 | 孝霊天皇流族関係記事

(愛媛県松山市窪野町)
 窪野集落の上方、一遍窪寺遺跡の下方に鎮座する神社である。祭神は玉依比売命(たまよりひめのみこと)を祀る。社殿によると、延久二年(1070)伊予国司源頼義は神領田を寄進し、仁平三年(1153)源頼政は神殿を再建、神領久米田、水田を寄進したという。元久二年(1205)河野通信は一族の弥熊頼重に命じて社殿を補修。弘安四年(1281)には蒙古征討の祈願成就のため、河野通有、通純、満良親王の祈願文と神領百貫を寄進している。また、天文十二年(1543)一族の結束が揺らいでいた時期である河野通宣の室は、大願により筆写大般若経を奉納している。
 

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チャチャ登り

2012-06-22 00:00:01 | 街道・宿場町

(北海道函館市元町)
 ハリストス正教会ヨハネ教会の間にある坂である。チャチャとはアイヌ語で爺さんを意味し、爺さんが登るような姿になる程の急坂の意味という。

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御津山大恩寺

2012-06-21 00:00:37 | ほとけのいおり
(愛知県宝飯郡御津町広石字御津山 1982年再訪1994年加筆)
 御津山北斜面に建つ大恩寺は、飛鳥時代に百済の僧恵灌によって北側の新宮山に開創したという。その後衰退し、室町時代に下総国の浄土宗弘経寺の僧了暁によって大運寺として再興された。了暁の弟子勢誉は、徳川氏の菩提寺である岡崎の大樹寺を開創したことから、大運寺は松平氏の保護を受け、松平親忠によって現在地の御津山へ移された。更に松平広忠によって大恩寺と改められたという。天文二十二年(1553)再興された際に建立された念仏堂(トップ写真:国指定重要文化財)は平成6年に焼失したが、寛文十二年(1672)大垣藩二代藩主戸田氏信によって建立された山門は現存している。
(県文 山門)
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西国街道 向日町

2012-06-20 00:00:44 | 街道・宿場町

(むこうまち 京都府向日市)
 京の羅城門(東寺)から下関に至る西国街道が最初に差し掛かる町である。古代は山陽道と呼ばれる太宰府に至る道であり、付近は長岡京として都の時期もあった。醤油商であった松葉屋の須田家住宅(府指定文化財)等、江戸時代の町並みも残っている。
          

(関連記事:向日神社 元稲荷古墳 北真経寺 鶏冠井

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宮良殿

2012-06-19 00:00:10 | 城郭・城下町

(沖縄県石垣市 国指定重要文化財)
 嘉慶二十四年(1819)に建造された、琉球王国の宮良間切(まぎり:自治体)の頭職、宮良当演の屋敷である。
   

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横浜構造物 平成二十四年

2012-06-18 00:00:24 | STRUCTURE-構造物残影-

(横浜船渠第2号ドック 明治30年)
(横浜ランドマークタワー 平成5年)
(クイーンズタワー 平成9年)
     (帝蚕倉庫 大正15年)
 (横浜生糸検査所 大正15年)
(日本郵船横浜支店 昭和11年)
(神奈川県庁 昭和3年)
(キングとクイーン)
 
(横浜マリンタワー 昭和36年)

(関連記事:横浜税関本関庁舎 横浜みなと MM21 神奈川県庁本庁舎

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恭仁京 山城国分寺

2012-06-17 00:00:31 | 城郭・城下町

(大養徳恭仁大宮 やまとのくにのおおみや 京都府木津川市加茂町瓶原 国指定史跡)
 天平十二年(740)聖武天皇の詔によって平城京からこの地に遷都することになり、木津川に大きな橋が架けられ、平城京で使われていた材料が運ばれた。然し、築造途中の天平十五年(743)工事は中止され、近江紫香楽宮築造に移行したが、翌年には難波京に遷都、更にその翌年には平城京に戻されている。 天平十八年(748)跡地となった恭仁宮を再利用する形で山城国分寺として改修された。然し、元慶二年(882)に伽藍を焼失、再建されるも衰退し、宇治平等院末となり、その後廃寺となった。
(七重塔跡) (大極殿(金堂)跡)

(関連記事:相楽岡崎 木津川

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一遍窪寺遺跡

2012-06-16 00:00:56 | 孝霊天皇流族関係記事

(愛媛県松山市窪野町北谷)
 窪野集落を更に進んでいくと、清水の湧く山に突き当たる。この辺りは、信濃善光寺で二河白道図を感得した一遍智真が、文永八年(1271)この窪寺に閑室を設けて悟りに導いた場所である。
    

 下方には河野氏に縁のある正八幡社が鎮座する。

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