flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

長崎港

2009-02-28 00:00:11 | 海道・みなと
 大浦海岸通りから、中島川河口を経て港に差し掛かる。元亀二年(1571)に開港し、江戸時代には鎖国の中唯一の国際貿易港として栄えた長崎港も、現在は離島を結ぶ航路の起点としての機能が主体となっている。
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紺屋谷

2009-02-27 00:00:59 | ご近所漫ろ歩き
(愛知県豊橋市石巻本町)
 私が考古学に接する機会を多く与えてくれた場所が、この馬越紺屋谷である。付近には、長火塚古墳をはじめ、多くの古墳と遺跡が存在する。
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旧長崎税関下り松派出所

2009-02-26 00:00:51 | STRUCTURE-構造物残影-
(長崎市松が枝町 国指定重要文化財)
 旧香港上海銀行長崎支店の隣には、寄棟平屋造りの建物がある。明治31年(1898)に税関派出所として建造されたもので、煉瓦造、延床面積221㎡である。平成10年から半解体による修繕工事が行われ、平成14年に、長崎市べっ甲工芸館として活用されている。
 
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牛久保駅舎

2009-02-25 12:00:46 | 木のたてもの
(東海旅客鉄道飯田線 愛知県豊川市牛久保町)
 明治30年(1897)豊川鉄道牛久保駅として開業した。昭和18年(1943)豊川海軍工廠輸送路線として国有化され、日本国有鉄道飯田線となった。その際、改築されたのが現駅舎である。昭和59年(1984)国鉄末期の合理化策により、構内踏切から管理の要らない跨線橋に転換され、平成4年には夜間無人駅化となった。平成7年には売店が廃止され、平成20年には、2番ホームの屋根が改築されている。
 

(関連記事:豊川駅舎
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旧香港上海銀行長崎支店

2009-02-24 00:00:36 | STRUCTURE-構造物残影-

(長崎市松が枝町 国指定重要文化財)
 建築家の下田菊次郎が設計し、明治37年(1904)に竣工した、石造及び煉瓦造三階建、建物面積364㎡のイギリス系銀行の跡である。その後は警察庁舎、長崎市歴史民俗資料館として使われ、昭和62年(1987)に国際交流会館建設に伴い解体されることになったが、市民運動により保存されることになり、平成4年から半解体修繕及び耐震工事が始まった。そして、平成8年には「旧香港上海銀行長崎支店記念館」としてスタートしている。
      

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西枇杷島学童専用陸橋

2009-02-23 00:00:37 | STRUCTURE-構造物残影-
(西枇杷島歩道橋 愛知県清須市西枇杷島町)
 東海道線枇杷島駅東の煉瓦トンネルをくぐり、小田井方面に向かう途中には、コンクリートで造られた歩道橋がある。旧国道22号線(現主要地方道名古屋祖父江線)の自動車交通量増加により、横断中の西枇杷島小学校児童の死亡事故が発生したのを機に、昭和34年(1959)日本で初めて設置されたという歩道橋である。橋桁と欄干は鉄製で、全長47mを測るが、県道拡幅のために、間もなくその役割を終える。
  
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旧バンザイ炭酸水会社工場

2009-02-22 00:00:29 | STRUCTURE-構造物残影-

(Banzai Airrated Waterfactory 長崎市小曽根町)
 明治35年(1902)ロバート・ネール・ウォーカーによって建てられた、煉瓦造二階建のラムネ工場である。現在は宝製綱というロープ製造会社の工場として利用されている。
  南山手乙九号館とラムネ工場)

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立春の龍城

2009-02-21 00:00:17 | 城郭・城下町
(愛知県岡崎市康生町)
 辺りに梅の香りが漂う季節になった。また、東ノ丸跡付近では、岡崎公園史跡整備計画に伴う、園路設置工事がされていた。
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南山手乙九番館

2009-02-20 00:00:43 | 木のたてもの
(長崎市南山手町 国選定重要伝統的建造物群保存地区)
 明治中期にロシア人実業家G・ナパルコフによって建造された、二階建、面積206㎡の洋館である。平成4年から修理保存が開始され、平成14年からは、須加五々道美術館として利用されている。
(南山手乙九号館とラムネ工場
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枇杷島駅

2009-02-19 00:00:13 | RODEN-哀愁のRailway-
(東海道線 城北線 愛知県清須市西枇杷島町)
 明治39年(1906)に開業した駅である。近年行われている整備事業によって、駅東地区の整備及び木造の駅舎が改築された。以前私は、東海道線が豪雨で運休した際に乗り合わせ、この枇杷島駅で降り、代替えで名鉄西枇杷島駅まで向かったことがあった。その途中に、やや冠水した高さの低いレンガトンネルがあり、足元を濡らしながら、腰を屈めながらくぐったことがあった。そのトンネルも整備により姿を消した。また、平成20年末に橋上駅舎が完成したため、翌年に旧駅舎は取り壊され、地下道も埋め立てられた。
(埋め立てられた地下道)(解体された旧駅舎)


(関連記事:枇杷島駅’09春
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古賀野氏宅

2009-02-18 00:00:21 | 木のたてもの
(長崎市南山手町 国選定重要伝統的建造物群保存地区)
 ドンドン坂を下り、右手に向かうと右側に存在する住宅である。
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大垣の湧水

2009-02-17 00:00:47 | 水のほとり
(岐阜県大垣市西外側町)
  水都大垣の由来は、地下水が豊富なことである。大垣城北西の八幡神社の境内には、平成16年に掘られた自噴水があり、絶えず湧き続けている。


(関連記事:水都大垣平成二十年
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長崎ロシア領事館跡

2009-02-16 00:00:41 | いにしえの人びと
(長崎市南山手町)
 明治初期、この地にロシア領事館が設置された。明治37年(1904)に起きた日露戦争により、一時国交断絶となり閉鎖されたが、明治39年(1906)に再開されている。領事館建物は今は残らないが、周辺の石垣や石段が往時の面影を残している。
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七州城大手

2009-02-15 00:00:25 | 城郭・城下町
(愛知県豊田市)
 天明二年(1782)の挙母城(桜城)移転によって、新たに城下町が築かれた場所である。二層の大手門のあったこの付近には、往時の面影が随所に残り、また、天明七年(1787)には崇化館という藩校も設けられた。
 
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ドンドン坂

2009-02-14 00:00:00 | 街道・宿場町
(長崎市南山手町)
 マリア園の横には、港の望められる真っ直ぐな坂がある。一説には雨が降ると、ドンドンと轟く音がするところから名付けられたという。
 
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