flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

しまなみ海道の車窓

2014-11-30 00:00:00 | 海道・みなと

(広島県尾道市・愛媛県今治市) 来島海峡大橋からの小島・大三島
 尾道大橋から

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ラグナマリーナ

2014-11-29 00:00:00 | ご近所漫ろ歩き

(愛知県蒲郡市海陽町)
 この海岸を歩くのは何年振りであろうか。この地の埋め立て造成には、地元は当初から疑問視していたが、案の定の状態が続いている。遊園地もプール以外が不振で、今夏からハウステンボスを再建したH.I.Sが経営に参画した。
        

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聖ザビエル天主堂 平成二十六年

2014-11-28 00:00:00 | かみのやしろ

(愛知県犬山市明治村 旧所在地:京都市中京区河原町三条)
 イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルの布教を記念して、明治23年(1890)フランス人神父ビリオンによって建てられた、建築面積586m2,煉瓦造、木造併用のゴシック様式建築である。昭和48年(1973)現在地に移築復原されている。
     

(関連記事:聖ザビエル天主堂平成十四年

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群馬音楽センター

2014-11-27 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-

(群馬県高崎市高松町)
 高崎城跡には昭和36年(1961)に建造された、RC造2階地下1階、延床面積3,936m2,アントニン・レーモンド設計のモダニズム様式の音楽ホールがある。

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京都国立博物館 平成知新館

2014-11-26 00:00:00 | 学びのやかた

(京都市東山区茶屋町)
 前日にオープンした平成知新館(平常展示館)「京(みやこ)へのいざない」展の夜間貸切観覧及び桂米團治によるミュージアム落語を鑑賞した。先ず、地階にあるホールの柿落としとして、桂米朝長男、五代目桂米團治によるミュージアム落語が催され、主に美術品を題材にした上方落語が行われた。また、同じ米朝事務所の桂紅雀氏の落語も行われた。画期的であったのは、通常舞台袖にいる出囃子( 三味線、太鼓、笛、当り鉦)を表に出して、一つずつ再現したことである。また、それら出囃子の楽器も博物館の備品として所持していることが分かった落語では京都のイントネーションや京都とその他関西との関係、人間性も紹介されていた。続いて館長の挨拶、上席研究員(学芸員)による国宝書画の解説があり、その後は国宝重文の「京へのいざない」貸切り観覧(80名程度)があって、展示室私だけ?のような空いた空間での観覧ができた。
      
     重文 旧正門  明治28年 片山東熊設計
 平成知新館は、昭和40年(1965)建造の旧新館の老朽化に伴って改築された。SRC造地上4階地下2階、延床面積18,000m2,構造及び展示ケースそれぞれが耐震、免震構造となっている。平成10年に計画、設計されてからようやく開館に至った。

(関連記事:京都国立博物館平成二十五年

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中間海岸

2014-11-25 00:00:00 | 海道・みなと

(鹿児島県熊毛郡屋久島町中間)
 屋久島南西側の海岸である。付近は太平洋と東シナ海の境であり、ウミガメの産卵地でもある。

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アルセナーレ

2014-11-24 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-

(Arsenale イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア県ヴェネツィア市カステッロ 世界文化遺産)
 カステッロ地区の中央、ラルセナル運河を跨ぐように旧国立造船所アルセナーレはある。西暦1104年に開設されたこの造船所は、ヴェネツィア共和国時代、16000人もの工員が一日に大型のガレー船一隻を造る程の生産性を持っていたという。現在はイタリア海軍の軍事施設となっている。また、ヴェネツィア・ビエンナーレの会場にも利用されている。
    

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今治城 平成二十六年

2014-11-23 00:00:00 | 城郭・城下町

(吹揚城 美須賀城 愛媛県今治市 県指定史跡 日本100名城79番)
 復元が完了した吹揚の城も、月日が経つにつれ落ち着きをみせていた。また、堀の水も満ち潮によって嵩を増すところで、海城を改めて感じさせる光景であった。
        

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三谷弘法山 平成二十六年

2014-11-22 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-

(愛知県蒲郡市三谷町)
 九年振りの三谷弘法山。以前と変わらない子安弘法大師像と、立ち入り禁止が解除され、永遠の愛を誓うカップルが、南京錠に付いたハート形プレートに願い事を書き、フェンスに掛ける場所となった蒲郡観光ロープウェイ山頂駅跡。そして閉鎖が進んだ三谷温泉街の光景。
              

(関連記事:三谷弘法山平成十七年 星越峠 蒲郡観光ロープウェイ 三谷海岸平成二十三年

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Meiji village reproduction railway

2014-11-21 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-

(愛知県犬山市明治村)
     
京都電気鉄道115車輌
 明治44年(1911)に梅鉢鉄工所で製造された、全長8.38m 全幅2.02m 定員43名、イングリッシュ・エレクトリックの制御機を持つ路面電車である。大正7年(1918)からは京都市電気局ZN115となり、昭和30年(1955)からは京都市交通局15となった。昭和36年(1961)まで使用され、引退後は明治村に譲渡、竣工時復原を経て動態保存されている。

           
蒸気機関車12号
 明治7年(1874)イギリスで製造された製造番号2421-23、2気筒単式の飽和式タンク機関車である。明治42年(1909)鉄道国有法により 、鉄道院160形165番と改められた。新橋-横浜間等で使用された後、大正7年(1917)尾西鉄道(後の名鉄尾西線)に払い下げられ、同社の12号と改番された。昭和32年(1957)現役を退き廃車扱いとなったが、昭和38年(1963)名鉄ラインパーク(後の日本モンキーパーク)に動態保存され、明治村開村時に移転。鉄道100年を機に動態復元され、村内移動鉄道として二軸客車と共に運行を開始した。稼動しているものとしては、現存最古の機関車である。(全長: 7,696mm全高: 3,683mm全幅: 2,423mm 重量21.34t)

       
二軸客車
 ハフ11(天野工場(東京都墨田区)製) 明治42年(1909)青梅鉄道メ4客車として導入され、大正14年(1925)高畠鉄道(山形県)ハ2として譲渡された後、昭和11年(1936)雄勝鉄道(後の羽後交通)ハフ11を経て明治村に譲渡された車両である。ハフ13・14 大正元年(1912)新宮鉄道(後の紀勢線)によって自社製造され、昭和17年(1942)雄勝鉄道を経て、明治村に譲渡された車両である。

   
六郷川鉄橋
 明治10年(1877)東海道線蒲田川崎間の六郷川に架けられた複線鉄橋である。当時の橋の全長は約500mで、本橋(中央部)と避溢橋(両端部)からなり、本橋部に長さ約30mの錬鉄製トラス桁(ポニー・ワーレン型)六連が使われていた。イギリス人土木技師ボイルが設計し、ハミルトンズ・ウインザー・アイアンワークス社で製作されたものである。明治45年(1912)東海道線の複々線化に際し、御殿場線の酒匂川鉄橋に転用され、昭和40年(1965)まで使用された。


尾西鉄道蒸気機関車1号
 明治30年(1897)アメリカ ブルックス社製の前輪2軸、動輪2軸、従輪1軸タンク式の機関車である。明治31年(1898)開通の弥富-津島間、同33年開通の弥富-新一宮間で使用された。大正14年(1925)尾西鉄道と名古屋鉄道が合併した際に名古屋鉄道の所有となり、昭和10年(1935)信越線二本木駅に隣接する日本曹達内の工場専用機として入替作業に従事した。昭和28年(1953)犬山遊園地に移され、その後明治村に移された。

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高崎城

2014-11-20 00:00:00 | 城郭・城下町

(群馬県高崎市)
 正長元年(1428)和田義信によって築城された「和田城」が始まりとされる。永らく和田氏の居城であったが、天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐の際に落城している。慶長二年(1597)井伊直政が和田城跡を改修し、旧地である近隣箕輪城から社寺を移築するも、慶長五年(1600)近江佐和山に転封となった。以後、慶長九年(1604)下総臼井から五万石で酒井家次入封、元和二年(1616)越後高田十万石で移封。戸田松平康長が常陸笠間から二万石で入封、元和三年(1617)信濃松本へ移封。藤井松平信吉が常陸土浦から五万石で入封、元和五年(1619)丹波篠山へ移封。下総小見川から安藤重信が五万六千石で入封、養嗣子の重長(重信の外孫)と、その子重博が継ぎ、安藤氏の三代で高崎城が拡大された。また重長のとき、徳川忠長が所領の駿河を没収されてこの地に幽閉され、寛永十年(1633)城内で自刃した。元禄八年(1688)重博は六万五千石で備中松山へ移封。下野壬生から大河内松平輝貞が五万二千石で入封、宝永七年(1710)越後村上へに移封。相模厚木から間部詮房(まなべあきふさ)が五万石で入封、享保二年(1717)越後村上に移封。再び松平輝貞が入封。以後、輝規、輝高、輝和、輝延、輝承(てるよし)、輝徳(てるあきら)、輝充(てるみち)、輝聴(てるとし)、輝聲(てるあき)と大河内松平氏が続き、明治維新を迎えた。
 市重文 東門
 県重文 乾櫓と模擬石垣

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養源院

2014-11-19 00:00:00 | ほとけのいおり

(浄土真宗南叡山宗達寺 京都市東山区三十三間堂廻り町)
 三十三間堂の東、京都国立博物館の南に建つ寺院である。文禄三年(1594)豊臣秀吉の室、淀によって、小谷城で自害して父の浅井長政、祖父の久政二十一回忌供養のために天台宗の寺院として建立された。現存する本堂は、伏見城から移築されたものという。
     
 

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尾之間

2014-11-18 00:00:00 | 漂い紀行

(おのあいだ 鹿児島県熊毛郡屋久島町尾之間)
 屋久島の南側に位置するこの地は温暖で、リゾート型宿泊施設が点在する。「おのあいだ」は、「おないだ」「おねら」とも言い、尾之間三山である本富(もっちょむ)岳、耳岳、割石岳を「見上げる」という意味からきているとされる。
   
    

(地域関連記事:中間海岸 栗生 大川の滝 安房

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ヴェネツィア・カステッロ

2014-11-17 00:00:00 | 水のほとり

(Castello イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア県ヴェネツィア市カステッロ 世界文化遺産)
 サン・マルコ地区からパラッツォ・オ・デ・カノーニカ運河を挟んで東は、カステッロ地区である。ヴェネツィアの中で最も範囲の広い地区であり、商店より住宅が多く、下町的要素が漂う。カステッロという言葉は、カステルム (castellum:貯水槽)が由来とされ、低地であるヴェネツィアにおいて、何らかの水道施設が関係しているのかもしれない。 また、作曲家アントニオ・ヴィヴァルディは、カステッロのブラーゴラ教会近くで生まれ、同教会で洗礼を受けたという。
 ヴィン運河
 エマヌエーレ2世像
 グレーチ運河
 プレタ運河
 デ・ラ・ペスカリア通り
 サン・ジョヴァンニ・イン・ブラーゴラ教会
 テラッツェラ通り
 サリタ・ピニャテル
 スグディ・エ・デS.テルニタ運河
 ピシーナ・サン・マルティーノ
 ゴルネ運河

 アルセナーレ界隈
 ラルセナル運河

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土岐政経墓所

2014-11-16 00:00:00 | いにしえびとの睡

(土岐氏累代墓所 愛媛県今治市本町)
 河野氏領である伊予国の大井郡紺原(今治市大西町紺原)に居住していた土岐政経は、父頼政の菩提を弔うため紺原に円浄寺を建立した。文禄三年(1595)政経は没し、同寺に葬られた。その後今治城下町構築の際、円浄寺と共に現在地に移されている。然し、享和三年(1803)不審火により隣接する二寺院と共に焼失したが、間もなく再建されている。

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