flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

第82回川崎市制記念多摩川花火大会

2025-02-19 00:00:00 | 民俗・伝承
(川崎市高津区諏訪)

























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夏宵の多摩川

2025-02-15 00:00:00 | 民俗・伝承
(東京都世田谷区玉川・川崎市高津区二子)
 有志による花火の打ち上げ。





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今治魚行商

2023-09-25 00:00:00 | 民俗・伝承
(愛媛県今治市 2013年7月25日)
 人数は減ったが、変わらず見られる光景である。
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おび通りからくり時計

2021-05-02 00:00:00 | 民俗・伝承

(静岡県島田市本通 2008年3月10日)
 おび通りには、平成11年(1999)に設置されたからくり時計があり、文字盤には県指定無形民俗文化財の島田鹿島踊りの衣装を着た人形が描かれ、毎時登場するからくり人形は島田大祭(帯まつり)の大奴が踊り出す。

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ダイダラボッチ足跡

2020-06-12 00:00:00 | 民俗・伝承

(愛知県豊橋市石巻町南山 2007年5月22日)
 石巻山の山頂近くに凹凸のある石灰岩がある。ダイダラボッチの足跡と呼ばれるもので、対岸の本宮山を跨ぎ、小便をしたら豊川(とよがわ)になったという昔話である。一方、本宮山には対岸の吉祥山を跨いで豊川で顔を洗ったヤマンバの昔話がある。

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石巻山蛇穴

2020-06-10 00:00:00 | 民俗・伝承

(愛知県豊橋市石巻町南山 2007年5月22日)
 石灰岩の水蝕によって形成された岩穴である。昔、雨乞いのため村人が石巻山に登った際、蛇穴から白蛇が現れ社を建てるように告げた。村人が社を建てると岩の割れ目から水が流れ出したという。

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御油花火平成十八年

2019-05-22 00:00:00 | 民俗・伝承

(愛知県豊川市御油町 2006年8月6日)

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平塚七夕

2017-09-01 00:00:00 | 民俗・伝承

(神奈川県平塚市)
 第二次世界大戦の空襲によって旧市域の八割を焼失した平塚は、戦後復興で市街地の区間整理を行い、多数の死者を出した空襲の鎮魂を込めてその市街地で七夕まつりを始めた。
                       

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三河国一宮 流鏑馬 平成二十六年

2014-05-05 00:00:00 | 民俗・伝承

(砥鹿神社例大祭 愛知県豊川市一宮町西垣内)
             

(関連記事:流鏑馬平成二十二年 平成二十四年 流鏑馬試乗平成十八年 祭礼前夕平成十八年 流鏑馬準備

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うなごうじ祭

2014-04-12 00:00:00 | 民俗・伝承

(若葉祭 愛知県豊川市)
 牛久保八幡社の祭礼であるこの祭りは、練りの囃子方である「ヤンヨウガミ」の衆が道で寝転び、その様が尾長蛆(おながうじ)に似ていることから、訛って「うなごうじ」と呼ばれるようになったとされる。然し、これに類似した祭礼は笹踊りと称してこの地方には何ヶ所かあり、その起源も鎌倉時代に遡るとされる。江戸時代前期に中神行忠が記した「牛久保密談記」によると、牧野成時(古白)が、四月八日に若宮社に参詣の折、駿河今川氏の使者に会い、「当国馬見塚(豊橋市今橋町)に一城を築くべし」という知らせを受けた。成時は、「身の誉れ何事か是にしかん。殊に当社に参詣の折に、この吉事を聞くことはひとえに神の御恵み」と大いに喜び社前の柏の葉で神酒を献じた。このことから成時は、牧野家代々の菊桐の家紋を三つ柏に改めたという。以来、四月八日には成時の句「きのふ けふ 若葉なりしか杉の森」を神前の若葉に結んで供え、牧野家の武運長久を祈った。これ以後、句にちなんで若葉祭という名称で祭りが行われるようになったという。また、牛久保城主である牧野氏が、ある年の若葉祭で領民を城中に招き酒食を振る舞った。お酒に酔った領民は真っ直ぐに歩けず、帰る途中にごろごろと路上に寝転んだことから、以来、祭りでその光景を表して行われている風習ともいう。
             

(関連記事:うなごうじ本祭前夜 牛久保の春 宝飯郡第十二大区三小区神社誌 牛久保八幡宮

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うなごうじ本祭前夜

2014-04-11 00:00:00 | 民俗・伝承

(若葉祭 愛知県豊川市)
 明日行われる本祭の前夜、笹踊り等のお練りが始まっていた。
      牛久保駅前

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豊橋祇園祭 平成二十五年

2013-08-03 00:00:00 | 民俗・伝承

(愛知県豊橋市)
 三年振りに、吉田の打ち上げ花火で涼を感じた。
  
 吉田城本丸から
                         

(関連記事:豊橋祇園祭平成二十二年

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岡崎城 切通しの怪物

2013-05-04 00:00:00 | 民俗・伝承

(愛知県岡崎市康生町)
 天保年間(1836-43)藩主本多忠考(ただなか)の頃、東ノ丸の東、菅生郭から上がる切通しの門の道を、藩士狭間弥一兵衛が通り掛かった際、東ノ丸櫓から怪物が現れた。弥一兵衛は咄嗟にそれを切り捨て、その場を立ち去った。翌日その場を訪れると、犬程の遺体があったという。藩主忠考は、櫓を修繕すれば出なくなるのではないかと言い、櫓を直させたのだという。

(関連記事:岡崎城

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三河国一宮 流鏑馬 平成二十四年

2012-05-04 23:00:34 | 民俗・伝承

(砥鹿神社例大祭 愛知県豊川市一宮町西垣内 2012年5月4日)

 私はこの日、休日となったため、自宅から徒歩三分のこの催しに向かった。子どもの頃はそれ程気にならなかった地元の祭りも、近年は何か眼に焼き付けたい思いがしてきたのは何故だろう。
 周囲から連写撮影の音が絶え間なく聞こえたが、私はあえて一枚一枚、その瞬間だけを切り取った。ここにある光景は、今日の撮影枚数全部である。

                    (手に入れると夏病しないという布引)
           

(関連記事:流鏑馬平成二十二年 流鏑馬試乗平成十八年 祭礼前夕平成十八年 流鏑馬準備

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左京ヶ橋

2012-01-10 00:00:10 | 民俗・伝承

(熊本県阿蘇市黒川)
 かつて、中岳噴火口(神霊池)へ向かう者は心身を清めてから登山する慣わしがあったという。阿蘇山上神社裏手より噴火口に至る道は、昔は唯一の火口への道であったとされ、必ずこの橋を渡らなければならなかったという。
 昔、左京某と云う武士がこの橋を渡ろうとしたところ、子蛇が橋の袂におり、左京某の行く手を阻んだ。左京某は不届きな奴とばかりに刀を抜いて斬り捨てようとしたが、忽ち雲が涌き風が起こり、一匹の龍となって天に昇っていった。さすがの左京某もこのことに恐れをなし、それが原因で早死にしたという。以来この橋を左京ケ橋と呼ばれるようになったという。また、心悪しき人が渡ろうとすると目の前の岩が大蛇に見え、渡ることができないという。 


(関連記事:阿蘇山西 阿蘇の信仰 阿蘇赤水

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