flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

富士宮てくてく

2006-05-31 00:00:20 | 漂い紀行
(静岡県富士宮市)
 湧玉池から東の丘に上がってみる。
福石神社のある辺りは元城町といい、城があったようである。
街の地図には市役所と書かれているところが…更地となっていた。
 街を東西に横切る広い通りに戻り、街角の案内所に寄り地図を貰う。「床がギシギシした市役所はだいぶ前に引っ越しました、新市役所は七階からは富士も望め、名物の富士宮やきそばもあります」ということで、新市役所に向かってみる。お昼の閉店間際の食堂、大手外食産業が入っており、やきそばはメニューに無かった…。展望食堂で富士宮市街を眺めながら昼食。五月晴れの予報が次第に空全体が雲に覆われ始め、山は輪郭さえわからなくなっていた。
 帰路、市役所から戻るコース上にある、幾つかの寺院に寄ってみた。
平等寺の三門は、廃仏毀釈によって取り壊される運命であった、富士東泉院日吉神社から移築したものという。そして先程の元城町、城山公園にある若之宮浅間神社、その横には溶岩流が縄状に収縮し固まったがもの見られた。
 富士宮には、いわゆる博物館というものがなく、史跡等を「歩く博物館」と称しているが、富士山の信仰や富士登山の歴史を展示する、ふるさと展示室があって、富士山あっての富士宮という感を与えた。
 帰り間際、富士宮駅でようやく名物やきそばを食すことができ、とりあえず思い残すことなく富士宮の地を離れた。
        

(関連記事:富士宮 富士山本
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湧玉池

2006-05-30 00:00:24 | 水のほとり
(静岡県富士宮市)
 平安時代の歌人、平兼盛が「つかふべき 数にをとらむ浅間なる 御手洗川のそこにわくたま」と詠んだ湧玉池。
富士山本宮浅間大社に隣接するこの池は、富士山の浸透水が溶岩の間から湧出したもので、国指定特別天然記念物に指定されている。水温13℃、湧出量毎秒3.6kl.であり、インシュリンに似た働きをする「バナジウム」が含まれている。

 この日も参拝客と共に、“霊水”を求める人たちが訪れていた。そして私も戴くこととした。この豊富な湧水は、神田川(御手洗川)の源であり、潤井川に注ぎ、やがて田子の浦 駿河湾に流れ着く。
         

(関連記事:富士宮てくてく 音止滝
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富士宮

2006-05-29 00:00:30 | かみのやしろ

(静岡県富士宮市)
 空は晴れているが富士の山は次第に雲に包まれていった。
近づけばまだ間近に見えるかと思い、原の宿から富士宮へ向かった。
 身延線ルートは初めてである。
全体の四分の三の列車が終点の、西富士宮で下車。商店街を歩いてみる。いつものことながら、前もって何も調べずに来たため、雰囲気で漂うと、富士山本宮浅間神社の前に辿り着いた。

 駿府の静岡浅間神社と同様の朱塗り社殿。
慶長九年(1604)に徳川家康が造営したものであり、国宝、重要文化財となっている。境内には湧玉池という富士湧水があるが別項で。

 神社起源は、大日本根子彦太瓊尊(オオヤマトネコヒコフトニノミコト=孝霊)天皇年間(B.C290~B.C215)に富士山が噴火をし、辺りの村人の生活の場が失われた。
活目入彦五十狭矛尊(イクメイリビコイサホコノミコト・垂仁)はこれを憂い、垂仁天皇三年(B.C31)に浅間大神を祀り、山霊を鎮めたという。それから何度となく山麓を遷座し、現在のところに移ったのは大同元年(806)平城天皇の勅命によるものと伝えられている。
   

(関連記事:富士宮てくてく 富士山本 音止滝 白糸の滝 上井出

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東海道 原宿

2006-05-28 00:00:52 | 街道・宿場町
(静岡県沼津市原)
 五十三次、十三番目の宿。
早くから自動車の往来が多かったのと、新道の開通が遅かったことによりる道路の拡幅等で当時の面影はほとんど無い。然しながら、裏に入ると当時のからの寺院や神社などがあり、一部に商家の建物がみられた。当時は二十五軒の旅籠があったという。変わってないのは駿河湾沿いに続く千本松原と、今日は望むことのできない富士の山である。
 「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠」といわれるように、白隠は原の松陰寺で得度し、後に臨済宗中興の祖となった。
松陰寺には白隠の墓がある。
            
(関連記事:沼津宿 吉原宿 東田子の浦
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信濃往還 柿木道下

2006-05-27 00:00:17 | 街道・宿場町
 豊川市(旧一宮町)東上町、JR飯田線江島駅下方
谷間の起伏の続く道が、とよがわ沿いの平地に差し掛かるところである。
近年の松本川河川改修によって途中の木橋、松本橋が無くなってしまい行き止まりとなった。
また現在残る道路も、将来とよがわ河川敷内に取り込まれる予定となっているため、姿を消すことであろう。

(関連記事:北岡 東上本村
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信濃往還 北岡

2006-05-26 18:00:55 | 街道・宿場町

 愛知県豊川市旧一宮町、蟹川と長良女川の谷に挟まれた、本宮山から延びる舌状台地に位置し、とよがわを見下ろす信濃(吉田)往還(伊那街道)沿いに集落のある地である。
 この地は元々、東上村であったが、室町時代の文安四年(1447)に起きた、とよがわ洪水による流路変遷によって、南隣の松原村の中に川ができてしまった。
幾度となく起きる洪水に、寛永七年(1630)に松原村庄屋が分村を決意し、山林開墾によって新たに誕生したのが北岡新田村の始まりである。

 明治9年に信濃(吉田)往還が伊那街道となり、新道が眼下川沿いに造られ、旧道は住民だけの利用となったこともあり、以後はひっそりとしたところとなった。
  
(関連記事:一宮道標 柿木道下

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衣浦観音

2006-05-25 06:00:20 | 大きな仏さま
 高浜市やきものの里かわら美術館に隣接するところには浄土宗祷護山観音寺があり、衣浦観音が立っている。
像は陶製で、鉄筋コンクリート造りの基礎を含める高さは8mあるが、この材質では日本一ということである。
4年の歳月をかけ、昭和34年、地元の鬼瓦職人と陶管窯元が製作建立したものという。
 私は脳裏に、「瓦観音」の文字が浮かんだ。

(関連記事:三州高浜
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三州高浜

2006-05-25 00:00:35 | 漂い紀行

(愛知県高浜市 2003年5月25日の日記から)
 三州陶器瓦と吉浜人形のこの街を二十年ぶりに駅を降りたち、変貌ぶりに少々驚いた。前回訪れたときは、正直田舎感を否定できない印象であったが、今回訪れると駅が建て変わり、周囲は高層住宅群となっていた。そしてまた、思い出のポイントも幾つか無くなっていた。

 辺りは近郊の焼き物産地“朱泥”の街を意識したようで、瓦にちなんで「鬼の道」と称する遊歩道が設けられていた。一番、印象に残っている“土管坂”も健在であり、次第に細かな記憶が甦ってきた。
 以前、衣浦大橋たもとは閑散としたイメージであったが、“かわら美術館”ができ、潤った感じに変わっていた。古代の瓦と芸術瓦、そして版画の展示がされていたが、思いのほか観覧者は多く、兎角美術館は閑散としたところが多いが、土地柄の特徴を活かした点が、成功へと導いたようである。
 また美術館に隣接するところには観音寺があり、「衣浦観音」が立っていた。
陶製でコンクリート造りの基礎を含める高さは8mあるが、この材質では日本一ということである。4年の歳月をかけ、昭和34年、地元の鬼瓦職人と陶管窯元が製作建立したものという。
私は脳裏に、「瓦観音」の文字が浮かんだ。
  

(地域関連記事:衣浦観音 高浜市図書館 三河高浜平成二十二年

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八橋かきつばた園

2006-05-24 00:00:14 | ふるさとの木々
 この日は羽島市から愛西市、そして知立市へと移動の日であった。
先回、秋に訪れたときは、紅葉と紫 という不思議な取り合わせを見せていたが、本番の「かきつばたまつり」も終盤となり、日の当たるところでは枯れ始めていた。
然し日陰ではほぼ見頃といった感じであった。
滞在時間は短かったが、大勢の見物客の中、暫しの紫を堪能できた。

(関連記事:鎌倉街道八橋
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佐屋街道

2006-05-23 00:00:29 | 街道・宿場町
(愛知県愛西市)
 東海道の陸の脇往還といわれた佐屋街道(下街道)は、宮宿から桑名宿に通じていた。
 徳川家康が大阪夏の陣に向かうため、東海道を通り、宮からは陸路を通って、この佐屋から桑名に渡ったといわれている。このときの道が佐屋街道の前身である。
また、天候に左右される海路の迂回路として、寛永十一年(1634)に街道の整備が行われ、正式な街道となった。

 海抜ゼロメートルの旧佐屋町には一昨年に一度訪れているが、駅周辺を歩いただけであった。今回は、街道付近を代官所跡、佐屋三里の渡し場跡まで向かってみた。保存を行っているわけではないので、残るものもほとんど無いが、若干の雰囲気だけは感じられた。
 また、眼の守護神といわれる星大明神にお参りをし、持病の回復を願った。
  
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竹鼻大仏

2006-05-22 06:00:44 | 大きな仏さま
(佐吉大仏 岐阜県羽島市竹鼻町)
 竹鼻大佛寺佐吉堂には、「仏の佐吉」と呼ばれた永田佐吉が江戸中期に建立した、像高4.9m、青銅製の釈迦如来像がある。
 明治24年(1891)濃尾地震により大佛寺の堂宇を焼失し、露座となっていたが、昭和37年(1962)、佐吉堂を建造し、その中に安座させた。
 
 
(関連記事:竹鼻街道 竹ヶ鼻城 竹鼻別院の藤 竹鼻平成二十年 岐阜大仏
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竹鼻街道

2006-05-22 00:00:01 | 街道・宿場町

 ほとんど訪れたことのなかった岐阜南部地域、その最初として、羽島市竹鼻を訪ねた。
 竹鼻街道は美濃路の起宿から大垣宿を短絡的に結んだ脇往還として栄え、木曽川、長良川と繋がっている逆川を運河とし、水運にも栄えた竹鼻の町は、往時の古い家並みを多く残している。また、行脚しながら仏像を彫った円空出生地でもあるこの辺りには、藤の竹鼻別院や「仏の佐吉」と呼ばれた永田佐吉が江戸中期に建立した竹鼻大仏の大佛寺など、寺院も多い。
 竹鼻別院は、明治19年から呼ばれるようになった院名である。
嘉禎元年(1235)親鸞が関東からの帰途、三河の柳堂で教化したとき、葉栗郡門間庄、河野通勝等九人の者が教えを受け、木瀬(岐南町三宅)に草庵を結び親鸞を迎えた。これを「河野九門徒」と言い、濃尾真宗門徒の始まりであり、この草庵が竹鼻別院の前身とされる。
 文明二年(1470)蓮如巡化の際、洪水で流れた草庵を再興し「河野御坊」と名付けた。その後河野御坊は専福寺と改称されたが天災、兵火等で落ち着くことはなかった。慶長九年(1604)教如はその功に報い、寺を「御坊」とし新加納村からこの竹ヶ鼻村に移し、五十四ヶ寺を配下にした。竹鼻の下町にあった「御坊専福寺」は、再度の火災に遭い現在の地に落ち着いたのは、宝暦十年(1760)のことであった。

 今回、日曜日であったが歴史民俗資料館が休みであったため、市役所の当直の方に資料を提供して頂き、散策を行った。
        
(河野門徒関連記事:下印食 三宅 黒田 円城寺
竹ヶ鼻城 竹鼻平成二十年 <大須から高須へ

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のんほいパーク動物園

2006-05-21 00:00:36 | ご近所漫ろ歩き
 自然史博物館で過去に生きた動物を見た後、今生きる動物達のところへ向かった。
ここからは、私の子供の頃の記憶がよみがえる。
我が家に残る古い記念写真を思い出しながら、懐かしさを感じた。
私を肩車する父、そしてキリンが写っている。
微妙に位置関係は変わっていたが、ほぼ以前と似た光景であった。ただ、カンガルーのいるオーストラリア園、ふれあい動物園は新たなゾーンのようであった。
その他モンキーアパート、サル山ランド、1歳を迎えたオランウータンの赤ちゃん、極地動物館、夜行性動物館、郷土の動物園などを見てまわった。
        
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由比宿

2006-05-20 00:00:35 | 街道・宿場町

(静岡県庵原郡由比町)
 岳南富士岡駅で買った硬券切符を駅員に渡すと、珍しそうに見ていた由比駅を降りる。
左に行くと薩峠、間の宿の寺尾、倉沢の町並みだが、曇り空であるので次回にすることにして、右の由比宿方向へ足を運ぶこととした。
 旧東海道町屋原の町並みを通り、由比川の手前で右に細く分かれる道がある、これが旧道である。橋が無いので、新道を渡り対岸の旧道へ向かうが、すぐ新道に合流した。
 川を越えると十六番目の由比宿である。また、この由比より身延道(塩の道)も分かれていた。本陣跡は由比本陣公園となっており、由比宿交流館や広重美術館がある。園内を観た後、町の名産桜えびの丼を食した。そして付近の神社仏閣にお参りをし、夕刻の由比町を後にしたが、東隣の 蒲原町 が静岡市清水区となり、西隣の 清水市 も静岡市となった今、郷土愛が深い地なのだろうと思った…。
         町屋原の町並み
(関連記事:興津宿

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岳南富士岡

2006-05-19 00:00:28 | 水のほとり
(静岡県富士市)
 比奈から富士岡に入る。
幼稚園のある医王寺には、丘の上に薬師堂があり、人々の信仰を集めている。
またここには山本勘助の墓があるが、私の住んでいるまちにも遺髪の墓があり、分骨か供養塔的なものかもしれない。
寺の前には柳並木で整備された規模の大きな湧水池があり、人々が絶えず訪れていた。
    
 富士岡の町並みを歩き、岳南富士岡駅に向かうと、車庫はあるが無人の駅。
以前は主力であった、松本電鉄同様の旧東急線車両(赤がえる)が留置されている。錆びた車体は往時からの年月と時世を表すような寂しさを持っていた。
 暫くすると吉原行きの電車がコトコトとやってきた。
天候と相談しながら、次は由比に向かうこととし、岳鉄線窓口で東海道線硬券切符を買って乗り換えた。
   

(関連記事:富士 広見公園ふるさと村 吉原宿 田子の浦 岳南原田 比奈 富士鷹岡 音止滝
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