flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

西田川西郷橋

2016-03-31 00:00:00 | 水のほとり

(愛知県蒲郡市五井町西郷・清田町橋詰 1998年10月3日)
 昭和30年3月に架橋された、趣のある橋。

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経堂

2016-03-30 00:00:00 | 漂い紀行

(東京都世田谷区経堂)
 小田急線で栄える経堂を歩く。比較的区画整理された街並みは、住みやすさを感じる。経堂の地名の由来は、松原弥右衛門という帰化人医師が、自らの屋敷内に現在経堂駅前にある福昌寺を創建し、弥右衛門が所蔵する医学書を村人が経本と勘違いして、屋敷を「経堂」と呼んだ。や、経典を納めた石室の上に小堂が建てられ、それを「経堂」と呼んだ。また、かつては経堂在家村といい、寺を創建した松原弥右衛門が俗人であったために、「在家」の名が付いた等がある。
              

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三ツ山古墳 平成十年

2016-03-29 00:00:00 | いにしえびとの睡

(愛知県豊橋市牟呂町坂津)
 現在公園となっている前方後円墳の三ツ山古墳は、昭和43年から昭和62年までに4回の測量調査が行われ、今年度は墳丘の確認調査が行われた。今回訪れたときは、トレンチ(掘杭)の跡が残っていた。
  

(関連記事:三ツ山古墳昭和58年 平成12年

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世田谷代官屋敷界隈

2016-03-28 00:00:00 | 城郭・城下町

(東京都世田谷区世田谷)
 旧来の世田谷の雰囲気を残すこの辺り。普段は閑散とした通りも師走・新年の四日間は人々でごった返す。彦根藩井伊家の領地であった付近二十村(荏原郡世田谷村、宇奈根村、小山村(尾山台)、上野毛村、下野毛村、新町村、瀬田村、太子堂村、弦巻村、野良田村(中町)、八幡山村、馬引沢村(上馬・下馬・野沢=駒沢)、用賀村、多摩郡和泉村、岩戸村、大蔵村、緒方村、岡本村、鎌田村、横根村)は、吉良氏臣であった大場家が代官を務めた。代官屋敷前のボロ市通りで開かれるボロ市は、天正六年(1578)北条氏政により奨励された楽市に始まる。毎月一と六のつく日に開かれ、豊臣秀吉の小田原征伐まで続いた。その後は農耕具、古着市、正月用品を売る歳の市として十二月十五日に開かれるようになり、明治以降は十二月十五日、十六日、一月十五日、十六日の四日間となった。
   
               

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守公神社日時計

2016-03-27 00:00:00 | いにしえの人びと

(愛知県豊川市国府町的場)
 末期の三河国府推定地ともされる(あるいは白鳥台地国府の城下町)一角に守公神社がある。その境内に板書きで日時計とある傍に、中央に穴の開いた石が置かれている。建造物の礎石のようにも見えるが、穴が小さく本当に日時計として使われたのかもしれない。

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弦巻砦

2016-03-26 00:00:00 | 城郭・城下町

(東京都世田谷区弦巻)
 弦巻(つるまき)の高所に、吉良氏により世田谷城の南側を守る砦として応永年間(1394-1428)に築かれたものである。天正十八年(1590)吉良氏朝のとき、豊臣氏勢による小田原征伐によって世田谷城と共に接収され、後に廃された。跡地の一角に弦巻神社が鎮座するが、明治41年(1908)に村内の神明社と八幡社を合祀し弦巻神社となるまでは、この地には稲荷社が鎮座した。稲荷社の勧請時期は伝わっていないが、城郭の鎮守として稲荷神を祀ることは珍しくなく、弦巻砦時代から存在したものかもしれない。
    

(関連記事:奥沢城と九品仏

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宝飯 相楽 平成十年

2016-03-25 00:00:00 | 街道・宿場町

(愛知県蒲郡市相楽町 1998年9月5日)
 蒲郡市と御津町の境、相楽(さがら)を訪れる。御堂山の東麓に広がるこの地は、明治9年(1876)に合併して相楽村が誕生するまでは、丹野村(中世は多野村)と山神村であった。付近は平地が少なく、その傾斜を利用して蜜柑が多く栽培されている。
   
 旧多福院地蔵と十王仏 寛永九年造立
 兎上(とがみ)神社に熊野神社と八幡神社を合祀して成立した相楽神社 写真は旧拝殿
 墳丘に楠が生え稲荷祠のある平林古墳(円墳 直径13m 横穴式石室)

(関連記事:相楽山へ 御堂山全福寺跡 荒井古墳 相楽から三河湾を望む

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都電13系統新宿入出庫用線路跡

2016-03-24 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-

(東京都新宿区歌舞伎町)
 碁盤の目に整理された新宿の靖国通りから斜めに弧を画く歩道がある。ここには昭和45年(1970)まで使用されていた都電13系統(新宿-水天宮前)の回送用の線路があった。昭和49年(1974)跡地を新宿遊歩道公園として整備し、都会の小さなオアシスが造られた。

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柳田國男館 日夏耿之介記念館

2016-03-23 00:00:00 | 学びのやかた

(長野県飯田市追手町 2000年8月19日)
 飯田線伊那路号で北へ向かう。天竜川に沿い始めると、乗り堪えのある感じとなってくる。それは三信鉄道時代そのままの紆余曲折を繰り返し、天竜の流れと共に登竜するからである。そして二度目の伊那都飯田に到着した。飯田城二の丸であったところには、飯田市美術博物館が建てられ、丘陵上であることから、対岸の松川や鼎(かなえ)、赤石方面が望められる。美術博物館は基本設定を「伊那谷の自然と文化」とし、常設展示を「豊かな伊那谷の自然とその生いたち」と「伊那谷の風土とそこに生きる人々」としている。特別展示は、開館10周年記念として脊椎動物化石研究者、長谷川善和氏のコレクションから「ゾウ化石の発掘から復元まで」と、人形美術家、川本喜八郎展が催されていた。川本喜八郎展では三国志と平家物語の人形劇用人形を主に展示していたが、飯田周辺が江戸時代中期以降、人形浄瑠璃が盛んになったこと、また同氏が飯田市で開催される人形劇カーニバル飯田に関わったこと等を理由に同氏記念館を市内に建設する計画があるようだった。本丸跡には美術博物館分館として柳田國男館と、日夏耿之介(ひなつこうのすけ)記念館がある。民俗学の盛んな信州地方において、飯田藩士柳田家に養嗣子としての経緯等から、所縁の地として東京世田谷喜多見から國男の書斎「喜談書屋」を移築し、資料等を開放している。これは、没後の理想の姿であると思う。また、柳田國男記念伊那民俗学研究所が開設され、活動も始められている。隣接して建つ日夏耿之介記念館は、飯田出身の近代文学者であり、建物と共に作品、遺愛品が展示されている。これら文化施設をみて、伊那地方の中核地らしい部分を感じることができた。

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久留米滝山

2016-03-22 00:00:00 | 漂い紀行

(東京都東久留米市滝山町)
 東久留米市は東京都北端の都市の一つであり、高度成長時代に団地が多く造られた。小平市に接する滝山地区もその一つであり、多摩26市で1位の多摩市に次ぐ2割超えの高齢化人口となって高齢者を多く見かける。訪れたときは西部地域センター前で奥三河花祭りが催され、ばちの舞、いちの舞、花の舞等が舞われているところであり、懐かしい「国境いの村」の情景が浮かんだ。
             

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改修直前の帯川

2016-03-21 00:00:00 | 水のほとり

(愛知県宝飯郡一宮町大木 2000年8月17日)
 二級河川帯川の平成の改修が下流から順に行われている。今は緩やかな弧を描いている帯川も、昭和の改修までは、幅5m程度の細い水路が紆余曲折する川であった。また、昭和24年(1949)までは、現在のように佐奈川に注がず、本野ヶ原付近で南東方向に川道が逸れ、隣の谷川町の段丘を下り、古豊川の跡に流れる松原用水に流れ込んでいた。然し、増水の際に用水のある下郷(したごう)と呼ばれる低地が洪水となるため、既に豊川海軍工廠建設のため改修されていた佐奈川に付け替えられたものである。

(関連記事:帯川 宮本橋 一宮の大堀 御山塚橋

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小平

2016-03-20 00:00:00 | 街道・宿場町

(こだいら 東京都小平市)
 師走の武蔵野、文字通り平らなまちを訪れる。小平霊園に程近い西武新宿線小平駅を降りると、南側は商業地域であるが、北側は住宅地や農地が広がり、狭い路地が多くある。小金井街道、青梅街道等が通り、市東部の花小金井も小平市域で、沿道は愛知三河を思い起こさせるロードサイド店が目立つ。「花小金井」は近くの玉川上水の桜並木と小金井公園に因む。
 小平駅北口
 親水整備された玉川上水の分水、小川用水
  
  

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東端貝塚

2016-03-19 00:00:00 | いにしえの人びと

(愛知県安城市東端町 市指定史跡 1998年7月25日)
 安城市の南西、碧南市との境を流れる長田川左岸に位置する縄文時代晩期中葉の貝塚である。昭和26年(1951)と昭和53年(1978)に調査が行われ、縄文土器の他、平安時代から室町時代の灰釉陶器及び中世陶器と、アカニシ、アサリ、オキシジミ、ハイガイ、マガキ等の貝殻が出土している。
 
 東端町から碧南市西端町を望む
 かつて入江だった場所に育つ稲穂

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等々力緑地

2016-03-18 00:00:00 | ふるさとの木々

(川崎市中原区等々力)
 多摩川右岸に面積436,000m2の広い公園が存在する。陸上競技場、野球場、テニスコート、サッカー場、プール、とどろきアリーナ等の運動施設を備え、更には川崎市の歴史や美術を展示する市民ミュージアムがある。昭和16年(1941)に計画され、昭和36年(1961)に造成を開始、いまだに変化を遂げる総合都市公園である。
 
               旧日本鋼管トーマス転炉
   

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三輪 吉沢

2016-03-17 00:00:00 | 国境いの村

(#三遠南信 愛知県北設楽郡東栄町三輪/静岡県磐田郡佐久間町浦川字吉沢 1998年7月19日の日記から)
 東栄に降り立つのは昭和56年以来3度目である。今回は中心部の本郷地区へは向かわずに、旧三輪村周辺を散策した。以前訪れたときは古い駅舎であった東栄駅も、「ふるさと文化交流館」として生まれ変わり、デザインも「花祭り」を強調したまちを印象づけるものとなっていた。往時は難所であった池場坂に通じる別所街道沿いには、「従是左本郷信濃道・従是右水久保遠山道」と刻まれた道標が立つ。「三輪」を西から東へ歩くと、やがて相川静愛橋を越え、愛知県から静岡県佐久間町旧吉沢村へと差し掛かった。相川上流の風土に暫く浸りながら、再び「三信三輪」へと戻り、帰路についた。
  

(関連記事:鷲の渕の滝 浦川出馬 三河川合 三輪平成二十五年

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