flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

錦帯橋

2011-12-31 00:00:51 | STRUCTURE-構造物残影-

(山口県岩国市岩国 国指定名勝)
 錦川を遡っていくと、有名な錦帯橋に差し掛かる。
 長さ193m,幅5m,5連アーチの錦帯橋は、岩国城と城下を結ぶため、延宝元年(1673)児玉九郎右衛門の設計によって築造された。然し、翌年洪水によって橋台ごと流失したため、橋台の敷石を強化して再建し、以降、昭和に入るまでまで橋台は残存し続けた。
                  
 

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美濃柳津

2011-12-30 00:00:25 | 漂い紀行

(岐阜市柳津町)
 訪れたときは梅雨時であったが、先回訪れた2008年秋と比べると涼しく感じた。
 この辺りは元来、近隣の笠松岐南羽島墨俣同様、木曽三川に翻弄された地であったが、河口域で行なわれた宝暦治水により洪水が悪化し、北方奉行であった酒井七左衛門、柳津村の伊藤丹蔵、奥村元右衛門、渡辺藤左衛門、足近村の野田勘右衛門らによって畑繋堤(はたつなぎつつみ)が築かれ水害を防いだ。畑繋太明神はその五人を祀った神社である。
  

(関連記事:柳津城 楊津御厨跡 柳津のみち

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尾崎士郎生家

2011-12-29 00:00:39 | 木のたてもの

(愛知県幡豆郡吉良町上横須賀 1982年5月訪)
 訪れたこの日は、午前中に西尾市を訪れ、午後に吉良町入りをし、吉良町役場、公民館、海蔵寺等を訪れた。明治31年(1898)代表作「小説 人生劇場」の作者尾崎士郎が生まれた年、生家の一角に士郎の父嘉三郎が建てた、旧横須賀三等郵便局を訪れ、現在の所有者である方に説明をいただき、記念に尾崎士郎生家のスタンプを押し、更に裏手にある記念碑を見学した。
 また、道を尋ねたとき、吉良の観光資料をわざわざ取りに行ってくださった農協の方にも感謝したい。


(関連記事:岩場古墳 三河荻原駅最終日 東条城

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慈眼堂

2011-12-28 00:00:45 | いにしえびとの睡

(滋賀県大津市坂本)
 織田信長による比叡山焼き討ち後に復興をした、僧天海の廟所である。 江戸時代初期の禅宗様式を現す建物であり、堂内には国重文の木造慈眼大師坐像を祀る。 境内には天海によって近隣高島から移された、鵜川四十八体石仏の阿弥陀如来座像や 歴代天台座主の墓、桓武天皇の御骨塔などがある。また、隣接して、天海が後陽成天皇から京都法勝寺を下賜された滋賀院門跡や、天台宗務庁がある。
(滋賀院門跡)

(関連記事:日吉東照宮

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阿蘇山西

2011-12-27 00:00:26 | 漂い紀行

(熊本県阿蘇市黒川 阿蘇くじゅう国立公園)
 阿蘇中岳西麓に辿り着く。ここからはロープウェイで火口に向かえるのだが、この日は火山性ガス状態が悪く、滞在中は立ち入り禁止が続いて火口に向かうことができなかった。付近には巌殿寺奥之院や阿蘇山上神社があり、信仰の山の一面も見せている。
         (往生岳)         (烏帽子岳)            (杵島岳)(往生岳)   (南郷谷方面)    

(関連記事:左京ヶ橋

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相模原

2011-12-26 00:00:02 | 漂い紀行

(相模原市中央区)
 訪れたこの日は急遽、この地に宿泊することになった。横浜線相模原駅を市中心駅としているが、駅北側が在日米軍相模総合補給廠となっていることもあり市街化が進まず、事実上、ターミナル機能としては小田急線相模大野駅に譲り、商業面では隣接する町田に譲っているような状況である。そのため、先年政令指定都市に移行したものの、駅前の雰囲気は人口二十万人程度の市勢を感じさせる。相模陸軍造兵廠が存在した当時、相模軍都計画によって形成された都市計画のため、半放射状の道路、区画が成されている。
 

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織田家供養所

2011-12-25 00:00:38 | いにしえびとの睡

(滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)
 天正十一年(1583)羽柴秀吉が織田信長の装身具等を安土城二の丸に埋葬して廟とした。また、一段下の長谷川秀一邸跡には信長の子信雄と、その後三代の五輪塔がある。
(織田信長廟)
(織田信雄・高長・長頼・信武五輪塔)


(関連記事:御堂山北畠信雄本陣地

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錦川

2011-12-24 00:00:33 | 水のほとり

(山口県岩国市)
 島根県境の周南市鹿野、標高1004mの莇ヶ岳(あざみがだけ)より発し、広島湾に注ぐ、全長約110kmの二級河川である。岩国市錦見で今津川と門前川に分かれ、三角州を形成し海に注いでいる。途中には日本三名橋の錦帯橋がある。
  

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旧加納町役場庁舎

2011-12-23 00:00:48 | STRUCTURE-構造物残影-

(岐阜市加納本町 国登録有形文化財)
 大正15年(1926)旧中山道沿いに、建築家武田五一によって設計された、RC造2階建、延床面積534㎡のモダニズム建築である。昭和15年(1940)からは岐阜市加納支所となったが、一時米軍に接収されている。昭和60年(1985)からは岐阜市学校給食会事務所に利用されたが、耐震基準を満たしていないこと等から、平成19年以降は閉鎖され、劣化が進んでいる。
  

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長篠城 昭和五十七年

2011-12-22 00:00:15 | 城郭・城下町

(愛知県南設楽郡鳳来町長篠 国指定史跡)
 この地には昭和五十一年から訪れている。特別多くの遺構を残しているわけではないが、寒狭川と宇連川が合流する要害の地に築かれた城である。
(巴城郭跡)

 永正五年(1508)菅沼元成が築城した。 元亀二年(1571)菅沼氏は徳川家康に属していたが、武田軍による三河侵攻の一端で、天野景貫が攻めている。その後、武田勢に属することになった。 元亀四年(1573)武田勢は甲斐へ撤退し、間もなく徳川家康によって攻められ落城した。以後、家康によって武田勢の侵攻に備えて城郭が拡張された。 天正三年(1575)武田勝頼は二万五千の兵を率いて、奥平信昌が約五百で守る長篠城を攻め囲み、長篠の戦いが始まった。そして、織田徳川連合軍が勝利し、翌年、信昌は新城城を築城、長篠城は廃城となった。

(関連記事:長篠城試掘調査 野牛郭跡 のぼりまつり 鳶ヶ巣山 姥ヶ懐 中山 君ヶ伏床 久間山 舟津 大通寺 医王寺山 天神山 設楽原竹広 柳田前 大宮前 信玄原火踊

(鳳来町記事:鳳来寺山 宇連川大野お井戸の泉 赤引服部神社 三河川合 能登瀬豊岡 川添道乗本 鳳来寺口 三河川合平成二十四年 大草 宇連川川合 奥平仙千代墓所 阿寺の七滝 乳岩峡 乳岩山 川合を東へ 亀淵川 池場 門谷のネズの木 三河槙原 湯谷 平成十一年

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比叡山西塔

2011-12-21 00:00:38 | ほとけのいおり

(天台宗比叡山延暦寺 滋賀県大津市坂本本町 世界文化遺産 国宝 国指定重要文化財)
 東塔から木立の中の参道を歩き、第二世天台座主円澄が開いた西堂域に差し掛かる。途中には先ず浄土院があり、最澄の廟となっている。
    
 更に進むと、弁慶のにない堂と呼ばれる常行堂と法華堂があり、その向こうには文禄四年(1596)豊臣秀吉によって三井寺園城寺金堂を移築した釈迦堂(転法輪堂)がある。
 (椿堂)
(重文 常行堂と法華堂)
   (恵亮堂) (重文 釈迦堂)        (横川へ続く道)
 (弥勒石仏)    

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烏帽子岳 草千里

2011-12-20 00:00:54 | 漂い紀行

(草千里ヶ浜 熊本県阿蘇市永草・阿蘇郡南阿蘇村長野 阿蘇くじゅう国立公園)
 阿蘇五岳の一つ、標高1337mの烏帽子岳北側中腹に広がる、標高1160mの火口跡の草原である。
   

(関連記事:阿蘇山西

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田園調布

2011-12-19 00:00:38 | 漂い紀行

(東京都大田区田園調布・世田谷区玉川田園調布)
 自由が丘から歩いていると、私を呼び止める声がした。私の前職時代の知り合いだった。今は田園調布に住んでいるらしく、すっかり住民という感じであった。知人曰わく、田園調布は不動産価値はあるが、そこに住んでいる人たちは意外と慎ましやかで、買い物や幼稚園に子どもを迎えにいくのも自転車であったりと、地味なものだそうである。
 田園調布は大正12年(1923)目蒲線の開通と共に開発された田園都市多摩川台住宅地が始まりである。イギリス人都市計画家、エベネザー・ハワードが提唱し、欧米に広まった田園都市理念を、渋沢栄一、息子の渋沢秀雄によってこの地に取り入れ、放射状に区画が成された住宅地となった。
     

(地域関連記事:羽田 京急蒲田 蒲田

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安土城総見寺

2011-12-18 00:00:31 | 城郭・城下町

(滋賀県近江八幡市下豊浦 国指定特別史跡 重要文化財)
 安土城主郭の西側は(総の異字体:手偏の総旧字体)見寺の郭である。信長が安土城築城の際、遠景山総見寺を城内に創建し菩提寺とした。
         (重文 三重塔 享徳三年 甲賀長寿寺より移築)
      
(重文 二王門 元亀二年)

   

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わんわん光台寺

2011-12-17 00:00:07 | ほとけのいおり

(山口県柳井市姫田)
 江戸時代中期に創建した黄檗宗光台寺には、明朝様式の楼門があり、その門の下で手を叩くと「ワンワン」と響くことから「わんわん寺」と呼ばれているという。
 国木田独歩旧宅の北側にあたるこの場所には、独歩の曽遊地の碑が建っている。
  

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