まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

奥の細道 『俳句でてくてく』

2016-08-03 08:23:36 | 


 裏表紙に残りのお二方

奥の細道」刊行300年を記念して、赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊、林丈二、松田哲夫の路上観察学会5人衆が
「徘徊は俳諧に通ず」を合言葉に「奥の細道」へ。
ちなみに、
路上観察学会(ろじょうかんさつがっかい)とは、路上に隠れる建物(もしくはその一部)・看板・張り紙など、
通常は景観とは見做されないものを観察・鑑賞する団体。だそうな。
頭が固い私もこの団体に入れていただければ柔らかくなって、違う目線で路上を見ることができるかしら。

豪雨のみちのく路、吹雪の越後路、猛暑の加賀路を1997年7月7日から2001年1月18日まで1年半の歳月をかけて膝栗毛。
道中で採集した珍品奇景。
詠んだ奇句怪句に、泉下の芭蕉翁も腹よじる?数千点から238点を厳選した新機軸のフォト句集。
そうそう、1頁に写真があってエッセイ風な短い文章があって俳句がある。
多々のフォト句な中で私のいちばんのお気に入りは、石巻にて南伸坊さん、俳号南方さんね。

石巻が一望できる日和山公園に、奇妙な芭蕉主従の像がある。
曾良の手が俳聖の背中を貫いているように見える像だ。
(いやいや写真をお見せできなのがつらいところ、まさかコピーするわけにはいかない。
ここは皆様の豊かな想像力で補ってくださいませ)
おそらくは、山道をこのような形でのぼっていくところをうつしたものだろう。
しかし、像のあるのが頂上であるために誰もが怪訝な顔をしてこれを見ている。

そこで南方さん、「これはネ、芭蕉の背中がかゆくなったところです」と言い切っての奇句。
『ここですかそうそうそこがきもちいい』
こういうの、大好きよ。

大変楽しく読ませていただきました。はい。

閑話休題

 佐渡の海

巻末に建築探偵・藤森照信教授の『奥の細道』特別講義が掲載されていて。そうなんだと思ったところ

怪説!「海の細道」は名句を生まない!?

藤沢周平「海坂藩」のモデルは鶴岡じゃない村上だ。鶴岡、村上と続けて歩いた体験からいうと鶴岡じゃなくて村上だって。
城山の臥牛山の上までのぼり今はなき石垣の端に立って
「江戸時代に生まれて、村上の殿様になりたかった」と思ったそうな。

芭蕉と曾良が歩いた村上から糸魚川まで日本海沿いを歩いてみて、村上が一番印象深い街になるような気がするって。
日本海沿いの小藩の城下町の知られざる魅力を存分に味わうことができたそうな。

海道・越後路ならではの情感。
出雲崎、親不知、市振とつづく道は、日本海沿いにしかないような情感があった。
古い宿場町がつづくのだが、脇道の向こうにはすぐ海があり、波の音が聞こえ潮風が吹いてくる。
海を意識しながら人家が軒を連ねるなかを歩いていく。こういう空間の体験は、山形県から新潟県にかけての
海沿いの道でしか味わったことがない。少なくとも太平洋側や山陽路にはなかった。

あああ、藤森教授、よくぞ言ってくださった!私の日本海側贔屓理由を代弁してくださって嬉しい、なんだかスッキリ。

そして、海の細道で読んだ句があまりに少ないことから、海に俳句は似合わない!?
山道は名句を生むが、海道は名句を生まないという法則でもあるんだろうか。
それって芭蕉も曾良も山国生まれに起因するんじゃないか、と結論付けているところがこれまたそうなのかと納得して。

コメント
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