まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

路線バスは楽し ⑧

2017-05-05 09:04:48 | くらし

めずらしく男性に話しかけられた話。

バスはぐいぐいと急坂を上りてっぺんに来ると今度は桜道の急坂を下っていた。
例のごとく後部座席に座ってぼーっとしていたらお隣の男性が、
「この辺も家がいっぱい建っているねえ」って桜道両横の家々を眺める。。
「昔はねえ、桜を見ると墓地が浮かぶからってみんな敬遠していたんだけどねえ、家なんか少なかったよ」と続ける。



そういえば、私が横浜に就職した昭和40年代、部屋を借りたおばちゃんちの周りもそれはそれはのどかだった。
おばちゃんちはその桜道てっぺんから反対方向の斜面にある。
前の空き地は家庭菜園、その向こうにちょろちょろと小川が流れ、
更にその向こうにはいまやわが町内に建て替わった広い広い原っぱがあり、原っぱを突っ切って、
狭い田んぼのあぜ道をくねくね上ると先には地の農家さんが数件。中の一軒が牛を飼っていた。
私も両親も横浜で牛の鳴き声を聞いてびっくり仰天、横浜で牛の鳴き声を聞こうとは夢にも思わなんだ、ね。

そんなだったから男性の話は容易に想像できる。
「この下に中学校があるでしょ」 はい、鎌倉街道にあります。
「5時に校庭に悪がき集めてこの坂道を歩くんだよ」 えっ教師をしていたんですか?
「いやいや違うけど、10人くらい集めるんだよ、それでこの坂上って墓地の中通って鎌倉街道に出て
帰るんだ。鎌倉街道に吉原ってバス停あるでしょ」 はい、あります。
「東京にも吉原ってあるでしょ。それに引っ掛けていい女が待ってるよって発破かけるんだ」 あらま。

バスは桜道下りて鎌倉街道への交差点で信号待ち。
「この道も舗装されてなかったから土ぼこりが舞い上がってねえ、トラックなんか通ったらひでえもんだった。
口押さえたもんだ」 
とそこまで話して、男性はその鎌倉街道にあるバス停で降りて行きました。
相槌はすべて胸の中で。唯一口に出したのは「いつ頃のことですか?」ってそれのみ。
「昭和30年代の前半だね」

路線バスは、時に、かっての懐かしき時代の思い出話が聞ける。その当時の風景を蘇らせることができる。

コメント
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