まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

高齢を実感する

2020-01-27 08:49:02 | くらし

私もまた一つ年を取る。
こればかりはみな平等だからなあ、いやだと言っても始まらない。

容貌はいいのよ、若い時から何の自慢もないんだから。
頭の中がハチの巣状になってスカスカ、「なんだったっけ」が口癖。思い出せない。
いやはや。

日常のあらゆる場面で年を実感するけれど。
例えばふたが開けられない、鍋と自分の距離がうまく測れず取っ手とぶつかる、
レンジの電源は入れたがトースターの電源は忘れる・・・
もう数え上げればきりがない、手どころか足の指まで動員しなければならない。

今回は「年を実感」バス関係のことでね。

まず発車時刻10分前にはバス停に並ぶようになったの。
はるか昔両親が泊りに来て、さて帰るとなると1時間も前に駅に着くような時間に家を出ていた。
早すぎると言っても聞かなかったのよ。今じゃその気持ちが分かる。

そしてバス停にあるベンチにどっかと座るようになった。
「思いやりベンチ」なるものがあって、後から来た者でも年寄りは座るの。
敬老パスをもらった当初は、ベンチなんぞそっちのけ、見え張って立って並んでいた。
今じゃ、座っている老女が席を詰めてくれて「こっちに来なさいよ」なんて誘われる。
それでベンチに座って所在なく発車時刻を待っているわけ。
そこで背中を丸めていたりしたら目も当てられない。いやはや。

バス車中?混み具合を見て遠慮するときもあるが、もちろん座る。
降りるときは「バスが止まってから立ってください」の指示をしっかり守る。
止まる前に立ってドアのところで待つ、なんてことはしない。御身大切。
それから悠々と手すりにつかまって、よっこいしょと立ち上がり、
手すりにつかまってステップを踏んで地面に足をつく。
決して、ポンっとジャンプして降りるような若ぶったったことはしない。

ふふふ、年を取ると注意しなければいけないことが多くて大変よ。
なんてったって「今日がいちばん若い!」んだから、今日という日を大事にせねば。
いつぞや、主治医に「古希鬱です」と訴えた時、先生はしばし考えて、
「生きたくても生きられなかった人のことを思えば・・・」と。
今でもその言葉は時折思い出す、ほんとにその通りだわ。重い言葉。
私よりずっとお若い先生なのに、ね。いい先生。

また同級生の訃報が2つ入った。私もそういう年ということね。

コメント (2)
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