まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

三渓園 日本庭園の古建築

2024-03-22 09:44:28 | 建築物

何度三渓園に行っても園内の建築物の名称が覚えられない。由来も分かっていない。
「ほんとうの大金持ちはすごいわねえ、こうやってこんな立派なものを後世に伝えて
ちゃんと残していくんだから」
なんて会話を交わしながら、ざざっと見ていくだけなのだから。ほんと困ったもんだ。
年上友なんぞ「あのくらいの建物がいいわね」と横笛庵を見てのたまうから、年下友に
「前にも言ってたわねえ」とからかわれる始末。さらに上を行く驚きの我ら、
「この建築物は初めて見たわよね」と旧矢箆原家住宅などがある外苑施設に行っての感想。
原三渓さん、呆れるだろうな。嘆くだろうな。

いかに軟弱な三人か分かろうというもの。そういうわけで今回も三重塔には上りません、
臨春閣の上の方には行きません、とだいぶ端折ったことは言うまでもない。はい。

で、説明は概略を全てHPからお借りしましたが、内心、建物と合っているかどうか不安で
おどおどしていることは内緒です。

横浜・本牧に広がる175,000㎡の起伏ある地形を持つ園内には、京都や鎌倉などから集められた
三重塔や茶室などの歴史的建造物等が巧みに配置されています。
季節ごとに咲き誇る梅、桜、藤、

蓮、紅葉などの花々や鮮やかな新緑がこれらの歴史的建造物をいっそう際立たせ、
古建築と自然が調和した姿を楽しむことができます。

 

旧燈明寺三重塔

1457年(室町時代の康正3年)に建てられた、園内の建造物の中で最も古い建物。
1914年(大正3年)に、現在の京都・木津川市の燈明寺から三溪園へ移築された。

鶴翔閣

1902年(明治35年)に原三溪が自らの住まいとして建て、以後20年にわたる三溪園造成の足がかりと
なった。横山大観や前田青邨といった日本画家たちが滞在し絵を制作するなど、日本の近代文化の発展にも
関わった文化サロンとしての役割も果たした場所。

 

臨春閣

江戸時代はじめの1649年(慶安2年)に、現在の和歌山県岩出市の紀ノ川沿いに建てられた紀州徳川家の
別荘「巌出御殿」と考えられた建物。

 

 

聴秋閣

 

旧東慶寺仏殿

 

旧矢箆原(やないはら)家住宅

飛騨白川郷の一部(現在の高山市荘川町)にあった、入母屋合掌造りの民家。
御母衣ダム建設の水没地域にあったため、1960年(昭和35年)に三溪園に移築された。

 

横笛庵

 

旧燈明寺本堂

旧燈明寺三重塔と同じく、京都・木津川市の燈明寺にあった室町時代の建物。

 

恥ずかしくなるくらいまことに大雑把な紹介です。

 

 

コメント (2)
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