電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

倉田喜弘『日本レコード文化史』を読む

2007年12月24日 06時49分39秒 | -ノンフィクション
だいぶ前に入手し、途中まで読んで投げ出していた、岩波現代文庫の倉田喜弘著『日本レコード文化史』を読みました。本書の構成は、次のようになっています。

I. 近代を告げる音 (フォノグラフ、鹿鳴館、など。)
II. 国産化への道 (レコード輸入、外国資本の日蓄登場、など。)
III. 視界ゼロ時代 (はやり歌、政見放送、洋楽、など。)
IV. 対立と抗争 (関東・関西対決、芸術への傾斜、ラジオ出現、など。)
V. 音の大衆化 (電気吹き込み、大衆文化、レコード時代、など。)
VI. 破局への道 (検閲制度、国家総動員法、など。)
VII. 音の追求 (再建、技術革新、LP、オーディオ、CDから音楽配信へ、著作権意識、など。)

全体に、多彩な資料を渉猟した労作で、本格的です。本書の全体を論評することはできませんので、いくつか目からうろこの部分を抜書きするにとどめたいと思います。

「音の大衆化」聴覚のみによって歌が流行するほど、日本人の音楽性は豊かであったのだろうか。(p.178)

これは、「東京行進曲」という流行歌が、映画という視覚の影響で生み出されたものであり、「波浮の港」なども同様であることを指摘したものです。

大衆化の過程で、安売りは避けることのできない宿命であった。(p.212)

最初の廉価盤レコードの出現について、触れた文です。出版業で文庫本が現れるように、広く大衆に受け入れられることを目指すとき、廉価な版が誕生するのは、時代とジャンルを問わず普遍的な現象のようです。

レコードがなければ日本人に歌唱力は付かなかったであろう。逆にいえば、レコードがあればこそ日本人は歌えるようになったのである。こんにち歌うことは人間の本能だといわれているが、それは現代の話であって、ついこの間までの日本人にはあてはまらない論理である。(p.238)

このあたり、「最上川舟歌」のように朗々と歌われる当地の豊富な民謡の伝統を思うとき、いささか疑問な面もありますが、いわゆる西洋音楽の受容過程という範疇で考えれば、まことに妥当な話かと思います。

体裁は文庫本ですが、索引もきちんとついており、何か目的を持って調べるにも便利な、立派な本です。わくわく面白いという類ではありませんが、我が国のオーディオや音楽再生のルーツに興味のある人には、たいへん示唆に富む本です。
コメント