徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

明八橋が消える!?

2016-05-16 23:03:04 | ニュース
 今日の衆議院予算委員会で松野頼久議員の質問の中にとても心配な話があった。質問の大意は、熊本地震の被災に対する政府の支援の姿勢を問うものだったが、その中で松野議員は新町の坪井川に架かる明八橋を例にあげ、個人所有の歴史的建造物についても、歴史的景観を守るという観点から、その補修に政府の支援をお願いしたいという趣旨だったと思う。震災発生以降、新町方面へ行っていないので、被災状況はわからないが、議員の質問から推察するとおそらく個人では補修できないほどの被災状況なのだろう。同じ新町では、吉田松花堂も危ないという話も聞くし、ランドマークともいうべき建造物が消えてしまうのは忍びない。なんとか次の世代まで残してほしいものだ。

▼東京の「日本橋」や皇居の「二重橋」を架設した明治時代の名石工・橋本勘五郎が、熊本へ帰郷後、明治8年に架設した石橋


熊本城石垣のはなし。

2016-05-15 18:49:48 | 熊本
 熊本地震により熊本城の最大の特徴である石垣が各所で崩れ、熊本市の文化財専門家として著名な富田紘一さんも「熊本城の石垣は地震にもびくともしない、とさんざん喧伝してきた自分たちがまるでホラ吹きのようだ」と嘆く。それほど、かつて経験したことのない巨大地震だったということなのだろう。
 この崩れた石垣を文化財として復元するためには、ひとつひとつの石を、元あった位置に戻すことが必要なので、崩落前の写真等と照合しながら気の遠くなるような作業をしなければならないという。四百年前の加藤清正公の築城に携わったとされる石工集団、穴太衆(あのうしゅう)の末裔の方の話では、石垣だけで復元に10年かかるだろうという。もちろんそれに伴う費用も莫大なものになる。また、穴太衆の石積み技術は口伝であり、築城当時の技術は現在は伝わっていないそうなので、はたして同じ形に復元できるかどうかもわからないという。
 いずれにせよ、熊本地震の復旧復興は、まずは民生が先に進められ、文化財はその次になるだろうから、熊本城が元の姿に戻るのは何十年も先のことだろう。それを見るのはわれわれの世代ではないことだけは確かなようだ。


2011年10月1日 熊本城・竹の丸 秋のくまもとお城まつりオープニング

漱石拙を守るべく

2016-05-14 18:46:48 | 文芸
 漱石の「草枕」の十二に次のような一節がある。

木瓜(ぼけ)は面白い花である。枝は頑固で、かつて曲った事がない。そんなら真直かと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜に構えつつ全体が出来上っている。そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。柔かい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守ると云う人がある。この人が来世に生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。

 漱石は「草枕」を執筆する9年ほど前、つまり熊本時代であるが、こんな俳句を残しており、上の「草枕」の一節と呼応している。

木瓜咲くや漱石拙を守るべく

 要するに、木瓜のように頑固で実直で拙い人生を歩みたいということなのだろう。最近、テレビで見かけた某知事のような生き方とは対極にあると言っていいだろう。
 ちなみに、木瓜の花言葉は「一目惚れ」「妖精の輝き」「先駆者」「平凡」だそうである。


鎌研坂公園の漱石句碑

水前寺成趣園の被災状況

2016-05-13 19:57:52 | 熊本
 水前寺成趣園の鳥居が倒壊したり、湧水池が干上がったりという被災状況は、テレビや新聞で断片的に伝わっていたが、全容がよくわからなかった。現場を見に行く余裕もないので、誰か写真でも撮ってくれないかなとネット上を探していたら、なんとブログでお付き合いのある“ひごたろう”さんが写真投稿サイト「フォト蔵」に水前寺成趣園の被災状況をまとめて掲載しておられた。ありがたい。心配していた古今伝授の間出水神社能楽殿などはなんとか倒壊を免れたようだ。

     ひごたろうさんの「フォト蔵



細川家初代の細川幽斎公ゆかりの古今伝授の間。四百年ほど前、京都御所の中に建っていたもの。



昭和天皇在位60年を記念し、八代城主松井家から移築された出水神社能楽殿

不幸な 「漱石来熊120年」

2016-05-12 17:35:26 | 熊本
 今朝の熊日新聞に「漱石来熊120年」の特集記事があった。そうだったな、と漱石記念年のことを思い出した。上熊本駅で行われた記念式典が随分前のことのように思われる。この記念式典が行なわれたのが4月13日。いよいよ記念年が盛り上がるかなと思った矢先、翌日に発生した熊本地震。漱石記念年どころではなくなった。漱石先生にとって、とんだ来熊120年になった。余震はまだ治まる気配を見せない。記念年行事が行われる予定だった施設も被災している。はたしてこれからどんな展開になるのだろうか。

▼向うの上熊本駅前で賑やかに記念式典が行われるなか、ひとりぽつねんとたたずむ漱石像



▼人力車に乗った漱石先生のパレードが通過する京陵中学校は、翌日、避難所となった

おだやかな日常のありがたさ

2016-05-10 23:13:09 | 熊本
 今日から熊本市などでは多くの小・中・高校が再開した。
 ある中学校で、テレビのインタビューに答えて、一人の女子中学生がこんなことを言っていた。

「友だちといっしょにいられることがこんなに幸せだったなんて。日常がこんなに平和だったなんて。」

 まだ余震は治まっていない。この子は学校から帰ったら、また不自由な避難所生活をしなくてはならないのかもしれない。あるいは余震の恐怖におののきながら家で寝なければならないのかもしれない。だからこそ、束の間のおだやかな日常のありがたさが身にしみたのだろう。テレビを見ながら、この子に、そんなおだやかな日常が一日も早く戻ることを願わずにはいられなかった。


▼早くこんな舞台を見られる日が戻ってほしいものだ。

南阿蘇村 「神楽の里・神楽殿」にて 花童あかね・花童ゆりあ(2013.10.27)

戸下の七曲がり

2016-05-09 17:55:07 | 歴史
 今回の熊本地震で大きな被害を被った南阿蘇村。多くの被災地の中でも僕の思い入れの強い地域である。それは僕が社会人としてスタートを切った地域だから。トラックのディーラーに就職した僕が最初に担当したテリトリーが南阿蘇村だった。もっともその頃は、南阿蘇などという名前ではなく、長陽村、白水村、久木野村に分かれていた。今回、崩落した阿蘇大橋もまだ架かっておらず、立野から谷へ下って戸下温泉を通り、戸下の七曲がりを登って行ったものだ。まだ舗装されていない道路に、先行車がいようものならもうもうと砂埃を浴びせられた。今日のようにモダンな建物もなく、高森へ向かう街道沿いには美しい田園風景が広がっていた。その頃は、桜の季節に白水村の一心行の大桜に見物客が群がるということもなかった。中松に古いユーザーがいて頑固おやじで有名だった。担当になって挨拶に行ってもロクに会釈も返してくれなかった。何度となく訪問したが、ほとんど会話らしい会話はなかった。僕が担当地域が替わり、挨拶に行った時、このおやじがひと言「ご苦労だったな」と言った。涙が出るほど嬉しかった。来る日も来る日も通った戸下温泉も、その後、立野ダム計画で廃泉となった。南阿蘇村がテレビのニュースに出る度に、あの50年近く前のことが懐かしく思い出されてならない。

▼毎日上り下りを繰り返した戸下の七曲がり

冨田勲サウンドは永遠に・・・

2016-05-08 19:49:04 | 音楽芸能
 世界的なシンセサイザー奏者で作曲家の冨田勲さんが、5日、亡くなった。
 冨田さんはNHK大河ドラマの第1作「花の生涯」からお名前だけは知っていたのだが、冨田サウンドを認識して好きになったのは、やはりNHKの「新日本紀行」テーマ曲からである。あのノスタルジックで哀愁を帯びたテーマ曲を聞きたくて、「新日本紀行」は毎回見ていた。ほかにも数え切れないほどの名作が残されたが、その中でも特に代表的な3曲を、追悼の心を込めてあげてみた。
 ちなみに「新日本紀行」の中で僕が最も忘れられない回が、昭和51年(1976)9月に放送された「おわら風の盆」。


▼新日本紀行



▼きょうの料理

わたしが子どもだったころ

2016-05-07 19:30:59 | 
 下の写真は昭和33年当時の熊本城の風景です。宇土櫓のみが熊本城唯一の観光スポットでした。昭和35年に天守閣が再建されるまで、本丸は殺風景なものでした。出入り自由でしたので、僕は幼稚園の頃、厩橋脇の須戸口門から一気に本丸に登り、頬当御門を通り抜けるのが帰り道のお決まりのコースでした。熊本最大の観光スポットとなった今日の姿とは別世界の風景が広がっていたのです。

▼60年前のことを思い出して、再び熊本城の再建を!



▼こんな光景が再び見られる日が必ずやって来る!

文豪と地震

2016-05-06 19:19:43 | 歴史
 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が熊本にいた頃、地震に遭ったことがある。日清戦争の戦時下で、八雲が熊本で2番目の坪井西堀端35番地の家に住んでいた明治27年8月のことである。地震の頻発に庭で夜を明かしたことを友人宛の書簡で述べている。この家は現存しないが、数年前までこの家のすぐ近くにあった地蔵堂が残っていた。しかし、今はこれも撤去され、八雲を偲ぶものは何もない。熊本市立図書館「図書館講座・郷土史」資料には次のように書かれている。

 明治27年8月8日 阿蘇山が爆発。熊本でも地震が頻発。12日付チェンバレン宛書簡には「庭で夜を明かさなければならなかった」とある。
 この8月は、もっぱら『東の国から』の仕上げに専念。全国から結集する若い兵士の姿や錦山神社(加藤神社)や藤崎八旛宮を中心に必勝祈願に沸き立つ戦時下の熊本の観察が、ルポルタージュ風の「願望成就」(初出は翌年1月の『アトランティック・マンスリー』)の執筆をうながす。


数年前まで残っていた八雲ゆかりの地蔵堂

余震のまにまに(13)

2016-05-05 20:29:54 | ファミリー
 YouTubeのチャンネルの方にも熊本地震へのご心配やご激励のメッセージをたくさんいただきました。ほとんどが舞踊団花童への温かいメッセージです。
 皆様、お見舞い本当にありがとうございます!
 お礼が遅くなりまして申しわけありません。

K・Aさん
熊本から、力を戴くとは思いませんでした、感謝いたします。中、南米でも、ヘンな雰囲気になってきたようですが、頑張ります。一日も早い復興を祈ります。
Gracias muy boniita chica y baile, Suerteee, AAnimoooooooo!

MM7さん
熊本城が再建される事を祈っています。

T・Hさん
可愛い、成長版を期待していますが、悲しいです。

O・Tさん
とてつもなくこわかったでしょうに 何か、まだ困っているでしょうに助けに行けないのが悲しいです。
案じています。いつも楽しませ、なぐさめてくれるこの子たちに、早く、平穏な日々が戻りますように。

HARUさん
一日でも早い熊本・大分の復興を願います。

0904さん
熊本地震で亡くなった方々のご冥福をお祈りすると共に被災した方々にお見舞い申し上げます。

MIZさん
大地震、早い復旧と活動の再開を願っています。五年前の大震災被災地の東京から。


▼みんなで頑張って うつくしい熊本を取り戻しましょう!

南阿蘇


熊本城


水前寺成趣園




余震のまにまに(12)

2016-05-04 19:14:03 | ファミリー
 明日が端午の節句だが、軒菖蒲は魔除けの意味もあるというので、今日、孫たちの健やかな成長と熊本地震の終息を祈って菖蒲を屋根に投げ上げた。





 先日、藤崎八旛宮に地震終息を祈願したばかりだが、天神さんは「学問の神様」であるとともに厄除けのご利益もあるというので、今日、近くの天神さんにお参りしようと出かけた。最も近い草分天神は、地震直後に鳥居が崩壊しているのを確認していたので、今日はもう一つの池田町にある岩立菅原神社へ行ってみた。しかし、予想以上の悲惨な状況で、もはや神社の体をなしていない。甚大な被災を確認するだけに終わった。


笠木、島木、貫、神額などが崩落した岩立菅原神社の一の鳥居


二の鳥居や狛犬なども倒壊し、社殿には近付けず。

残念な高校総文祭の中止

2016-05-03 16:24:55 | イベント
 今年度の熊本県高校総合文化祭が、主会場の県立劇場が熊本地震で被災し使用できないなどの理由により中止されるという発表があった。残念でならない。僕が毎年必ず見ることにしていて今年も楽しみにしていたマーチングバンドや郷土芸能のパレードは、中心市街地の初夏の風物詩として親しまれ、高校生たちの元気な声とパフォーマンスに、見ているわれわれも元気をもらったものだ。地震からの復旧・復興を目指す熊本市民を元気づける意味で、パレードだけでも実施できなかったのだろうか。




▼2014年度パレードの一部

余震のまにまに(11)

2016-05-02 20:03:06 | ファミリー
 ずっと気になっていたわが家の墓を見に行った。全壊だった。ショックではあったが、ご先祖がわれわれの身代わりになってくれたのではないかと考えると心が和らいだ。帰ってすぐに石材店に見積もりを依頼した。

 去る3月11日に宮城県名取市閖上地区で行われた東日本大震災追悼イベントで、鹿本農高郷土芸能伝承部の皆さんが山鹿灯籠踊りを奉納したことを、先月このブログでご紹介した。
 このイベントを見ていた名取市在住の方から、熊本地震のニュースを聞いて、あの鹿本農高の皆さんは無事だろうかというお問い合わせが数件あった。これを僕から鹿本農高に問い合わせていたが、郷土芸能伝承部のN様から全員無事であるとのご連絡をいただいた。それによれば、地震発生直後の緊急速報からすぐに仙台市、名取市、閖上地区の皆様から、心配・励まし・アドバイスなどが届いたそうである。そして今も定期的に連絡が届いているという。これを聞いて宮城県と熊本県の被災者が遠く離れていながら心と心が繋がっているような気がしてとても嬉しかった。

▼鹿本農高郷土芸能伝承部(2014年の熊本県高校総文祭パレードより)