雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

ものを金に変えるー3 昔話ー14

2006-12-19 06:45:16 | カワサキ単車の昔話
「ものを金に変える」-3

同じ表題で東北とCKD東南アジアのことを書いた。
シリーズの三番目にメーカーと海外販社の昔話を。

カワサキの単車事業は、1965年ごろからアメリカ市場に進出を試み1968年KMCを設立し本格的に参入を図った。
アメリカ市場向けの大型高性能車など積極的な商品開発を続け、1972年にはZ1の投入で大いに活気づき、事業の業容も発展の一途をたどった。

1974年にはどこよりも早く、リンカーンに工場進出を果たし、75年からは現地生産を開始し、ジェットスキーの生産も開始した。

この流れは、1982年頃まで続き、明石の生産台数も55万台に達するのだが、この間の事業部としての損益は、黒字、赤字を繰り返したが、どちらかと言えば苦しい時代のほうが多かった。

ダンピング問題やリンカーン工場でのUAW労働問題、市場での過剰在庫問題などで、83年にはカワサキの単車事業は存亡の危機に直面したのである。


この危機の原因は、単純に言えば、「ものがお金に変わらなかった」仮にお金に変わっても「お金に変わる期間が掛かりすぎた」のがその理由である。

「ものをお金に変える戦略的な仕組みが無かった」のが原因だったと思う。

二輪車は図体は四輪などに比べて小さいが、一台100万円前後、一台あたりの粗利は10万円以上になる。
細いから在庫スペースは取らない上に、販売店の数は多い。
在庫をばら撒くまでは意外に簡単なのである。

販売はメーカーー販社ー販売店ーユーザーと流れ、その一つ一つの段階で、売上も利益も発生する。
然し本当に売れたのは、ユーザーに渡った1回だけであとは単なる車の移動なのだが、売上、特に粗利も発生するので、つい多く造り、多く売り上げたいと思ってしまうのである。

仮に1台あたりの粗利10万円ということは、1000台で1億円、1万台で10億円である。
1万台の在庫をばら撒くのは,そんなに難しくはないのである。
本社とかTOPが利益確保に頑張れと言えば、簡単に頑張れるのである。

一方、1台100万円の商品が1000台在庫になれば10億円の資金が、1万台だと100億円の資金が寝てしまい、それに金利がかかる計算になる。
それも当時のアメリカの金利は年利20%の高金利だったから金利負担が大変であった。

そんな簡単な理屈が解るまでに20年も掛かったということである。
在庫投資をしたときは、事業部も販社も大幅な黒字になり、在庫調整の時期は赤字になるそんな繰り返しであった。

83年にやっと本社の財務も調査団を出し、ユーザンスをつけ、事業部も末端消化や在庫に最大の関心を持ち、販社を専門で担当する関連事業部を造った。
「ものを金に変える戦略的な大きな仕組み造り」が完成して以来、安定して川重の経営を支える存在になっている。

バブル崩壊後、いろんな企業や行政でも多くの問題や破綻が見られた。これらは全てお金が寝てしまったことが原因である。
解るまでに20年もかかったが、バブルでは何の影響も受けなかった。

「ものを金に変える戦略」は事業の如何、大小を問わず、基本的なことだと思っている。



コメント
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