雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

続、岩崎茂樹君のこと

2007-05-17 05:35:45 | カワサキ単車の昔話
seaz companyのtoyamaさんが岩崎茂樹君の話をして頂いた関係から、
私のブログにいろんな所からアクセスがあったのだが、その中の一つにこんなのがあった。

1993年7月25日、鈴鹿8時間耐久レースでカワサキが優勝したときの日刊スポーツの記事である。
この記事にもあるように、このときの8耐はカワサキにとって最高の結果をもたらした。
塚本、北川が5位に入り日本人最高ペアとなったし、日本航空高校の高校生チームがカワサキで参戦したり、4時間耐久では月木チームがクラス優勝を飾ったのである。

7月26日の私の日記には、
「朝の営業報告会、シャンパンでの乾杯から会議はスタートした。この席には居なかったが、岩崎君が一番喜んでいるだろう。-----」と書かれている。



この日刊スポーツ記事にも最後の方にちょっとだけ記述があるのだが、このとき岩崎茂樹君は新設されたモータースポーツ部の部長だったのである。

カワサキにとってたった一度だけの鈴鹿8耐の優勝が、岩崎の直接担当のときでよかったと思う。
このときのスポンサーは伊藤ハムだったのだが、当時博多の「イムズ」に展示スペースを持っていて伊藤ハムと組んで「8耐優勝イベント」を展開したのも懐かしく思い出される。

岩崎君は、モータースポーツ部以前は営業の広報で永く新車発表会なども世界規模で担当していたし、
若い頃にはハーレーに乗っていたり、私と一緒にSPA直入を造ったりしていて一見派手な世界ばかりを歩いたように見られているが。

彼の職務の一番初めは「本社の監査部門」なのである。そんなことで、経理知識なども非常に豊富である。
田崎さんと組んでリンカーン工場関係を担当したり、
イランのCKDのために現地所長として鶴谷君(現川重商事社長)と一緒に苦労したりした。

最後はKMJに来て、物流部門を手伝ってくれたのだが、
彼が川重から異動するときに広報やレースのイメージが強すぎて、「大丈夫ですか」と心配する向きもあったほど、レースやマシンのイメージは強かった。

亡くなる直前まで、しょっちゅう我が家を訪ねてくれていたのだが、彼の博学のいろんな話も聞けなくなった。


ブログのお陰で、「岩崎のこと」 も 「鈴鹿8耐の優勝のこと」 も懐かしく思い出させてくれた。

最初に、ふと書いた岩崎君の記事はこれです
コメント (2)
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