雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ単車の昔話-61

2007-05-26 05:29:16 | M/Cレース
 
 仙台時代ー3  モトクロスレース


仙台には1967年から4年間居たのだが、
この前半の2年間は、カワサキの国内モトクロスが最も充実していた黄金時代といっていい。

マシンもF21Mなどのほか 90,125ccも充実していたし、
メカニック陣も松尾勇さん以下経験豊かな人材が揃っていた。

何よりも、ライダー布陣が他メーカーを圧倒して、質量共に揃っていたのである。

神戸木の実の山本隆、歳森康師、
カワサキコンバットの梅津次郎、岡部能夫、星野一義、
ジュニアには清原明彦、従野孝司。
誰が優勝してもおかしくないメンバーであった。

その頃、東北は毎月のようにレースがあって、これらのライダーたちが大げさに言うと殆どのレースで優勝している。

例えば67年の東北でのレースの優勝回数は、私の日記の記録によると、
山本5回、星野6回、歳森3回、岡部3回、梅津2回と凄まじいし、
68年も同じような傾向で、更にジュニアに清原、従野の名前が出てきている。

たまたま67年は郡山、68年は札幌と、
MFJ日本グランプリが北で開催され観戦の機会に恵まれたが、

67年は90cc山本125cc星野、
68年は逆に90cc星野、125cc山本が優勝している。
250ccはこの頃からヤマハのDT1が登場して互角の戦いとなっている。

いずれにしても、初期のレース担当として契約やレース運営で苦労してきたが、
レースを離れて仙台に来て、花開いた時期のレースが目の前で展開されたのは感慨ひとしおであった。

仙台での後半は、優勝の回数は減少したが、
山本隆君による各県の白バイ隊員の指導や、
今の菅生の前身である宮城県の村田町に東北MFJに関係していた佐藤さんが個人で造った仙台テクニカルハイランドなどへの協力や、
ジュニアの東北チャンピオンであった服部謙治君への援助、などレース仲間との交流が多かったのである。
現在、星野インパル社長の金子豊君などもその頃はまだ秋田に居て、しょっちゅう出入りしていた。


仙台での4年間、レースばかりで遊んでばかりいた訳ではないが、レースに割いた時間は結構多かったと思う。
それが即販促に繋がったそんな環境であったし、デーラーの関心も高かった。


この時代に活躍した山本隆君がつい先日、三木のアネックスパークで開催されたヴィンテージモトクロス 「ON ANY SANDA」 で当時のマシンF21Mで、昔を彷彿させる走りを見せてくれたのは、私にとって40年前を懐かしく思い出させてくれた出来事であった。
コメント (5)
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