雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

2枚の名刺、山本富雄、山本一太

2008-09-08 04:16:08 | カワサキ単車の昔話

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会社を引退する時、二つのケースに膨大な名刺が残っていた。
私は、結構整理はいいほうである。
名刺も整理された形でケースに収まっていたのである。

どうしようか迷ったのだが、結局全部処分してしまった。
2枚だけを残して。
その2枚が、山本富雄さんと山本一太さんである。

どうしても残しておきたかったのは、あるプロジェクトに関係があったのである。
結局陽の目は見なかったが、ある意味私の会社生活で一番一生懸命になった最後のプロジェクトであったからだと思う。
極端に言うと、唯一実現できなかったプロジェクトであったからかも知れない。
その思い出だけは、何とか残しておきたかったのである。


90年代に入って私の会社生活の最後の時期、
7年間ほど関東地区に二輪車ののユーザーたちが自由に走れるサーキットを造ろうと頑張っていた時期がある。
益子町のサーキットがダメになって、その後出てきた話が、松井田町でのサーキット話であった。

この話は、先方から飛び込んできた。
松井田町は、軽井沢からの碓氷峠のすぐ下の、夏、軽井沢に行く人たちが大勢車で通る有名な峠の茶屋で賑わった町である。
長野オリンピックの開幕にあわせて、東京からの高速道路が計画されていた。
これが出来ると松井田は誰も通らなくなってしまう。
何か町に人が集まるものをと言う町の危機感が、サーキット話に繋がったのである。

場所は軽井沢からの峠道を下りてきた途中から直ぐヨコの、松井田町の町有林を提供しようという町役場の町長さん以下大賛成のプロジェクトであった。
場所も条件も、地元の要請にむしろ乗るという形で進めることが出来た最高のプロジェクトであった。

この話に応援して頂いたのが、この土地の出身の元農林大臣、当時は自民党副幹事長という肩書きの山本富雄さん、山本一太さんのお父さんである。
地元の松井田町の活性化のためにということであったし、一度だけ議員会館でご挨拶したときに頂いた名刺である。
若いころは国体のスキー選手であったという山本さんの印象は政治家には珍しいスポーツ選手のようなすっきりしたものであった。

プロジェクトは上手く進んでいたのだが、
『イヌワシがいるかも知れない』という野鳥の会からの一言で、その調査だけに3年の月日がかかり、とうとう私のほうが時間切れになってしまったのである。
ほぼ、6年の月日が過ぎていた。

立地も良かった。軽井沢は直ぐヨコである。
関東からも、意外に東海からも近かった。
二輪のユーザーたちがツーリング途中に立ち寄るには最高の立地であった。
川重内の審議も許可も既に取れていたし、本当に残念だったのである。

その間、急に山本富雄さんがお亡くなりになって、その後を継がれたのが山本一太さんである。
急遽ニューヨークの国連から戻られて、参議院議員になられた直後、これも議員会館の事務所でお会いした。
初々しかったのをよく覚えている。


その山本一太さんが、今回自民党の総裁選挙に立候補するかも知れないという。
山本一太さんの名刺の裏には、7-12-14と書かれている。
多分平成7年12月、もう10年も前である。

確か、参議院当選直後であったように思う。
10年も立てば総裁への立候補も可能なのである。
もし、当選でもしたら、この名刺も値打ちが出るのだが。

そんな懐かしい名刺のことを、つい思い出した。
ホンダさんの茂木のサーキットが建設中であったそんな時期であった。
コメント
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