雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

第2回MFJ全日本グランプリ

2008-09-27 04:56:01 | M/Cレース
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MFJの第1回大会は相馬が原である。
この大会はカワサキにとって散々な結果であった。誰一人いいところには入らなかった。

第2回が名古屋東山である。
この大会の少し前からレースを本格的に担当をした。
その1回目の大会だからよく覚えている。

高橋鉄郎さんと、確か名古屋まで、初めて名神を走ったうな気がする。
そのころ、高速道路を走った人は珍しい時代であった。

この2回大会から、
第3回四国愛媛、第4回東北郡山、第5回北海道札幌手稲山の4年間は、現地でレースを見ることが出来た。
私自身ある意味、レースに夢中な時期でもあった。

山本隆君がその時のレースの写真をブログで紹介してくれている



このころは、モトクロスと言えばスズキが断然強かった。
東の鈴木誠一、久保和夫などの城北ライダースは、矢島、榎本、菅家など多士済々だった。
西のマウンテンライダー小島松久。

ヤマハは荒井市次の一匹狼みたいな感じだった。
ホンダはファクトリーでの参加はなかった時代である。

カワサキは
三橋、安良岡、梅津、岡部、(カワサキコンバット)山本、歳森(神戸木の実)と頭数は多かったが、やっとレースに参加した時期と言えるだろう。
星野一義(カワサキコンバット)のノービスクラスでの全日本デビュー戦でもあった。

写真は125ccだと思うが、本命の久保が前を走っていたが途中でトラブル。
歳森がぶっちぎってその後みんなカワサキ勢が走っていたのである。
荒井が5位か6位にいて、これは『どうころんでも優勝』と思っていたのに、
後4周くらいから荒井に一人ずつ抜かれて、とうとう2位岡部、3位山本、4位歳森となってしまったのである。

それでも、全日本でカワサキとしては、初めての入賞で大喜びであった。



旧い写真をよく持っているものである。
これは山本隆だろう。
マシンは12ccツイン、赤タンクのカワサキである。
カワサキは、マシンと言うか車体のデザインに関しては意外に新しいことをいろいろやったと思っている。

誰が、そんなことを考えたのか、誰の指示でやったのかよく解っていないが、
バイクの顔とも言えるタンクは当時はメッキタンク、タンクマークがついて、ラバーのニーグリップが付いているのが普通でした。

どなたかマシンに詳しい人、調べてみて下さい。
私のは単なる『ウロ覚え』ですが、当時のカワサキはこんなことをやっています。

1.タンクの色塗装、カワサキと文字を入れたのも珍しかった。
2.市販車のタンクの色塗装。(A1)
3.ニーグリップのゴムをなくした。(マッハ)
4.タンクマークをタンクから無くした。(マッハ、Z)
5.シートの後ろに、弁当箱みたいなのを引っ付けた。

などなど、
『赤タンクのカワサキ』はそのハシリです。

いずれにしても40年も前の、昔話です。
コメント (2)
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