雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

逝ってしまった球友

2008-09-30 04:25:12 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
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昨日はお葬式に行ってきた。

山本寿男、高校の野球部のチームメイトである。
一度も『山本』と彼を呼んだことがない。ずっと『ヤンチ』であった。
彼が社長をしていたときもそう呼んでいた。
一番仲が良かったし、いっぱいの想い出を共有している仲間であった。

9月のはじめはぴんぴんしていたという。
来月17日の同窓会を楽しみにしていたとか。

昭和8年生まれ、終戦翌年に中学入学組みは旧制中学の最後の入学生である。
新制中学が出来て、2年生になっても下級生の入学はなかった。
中学時代3年間、高校1年をあわせて4年間、運動部で最下級生を経験した年次である。

ヤンチも今日葬儀に来ていたジャッキも関も私も、そんなしんどい運動部生活を過ごしてきた年次である。
高校2年になって、やっと後輩が出来て、みんな下の苦労が解り過ぎていて、下の面倒見はみんな無茶苦茶良かったように思う。

学生時代、大学の頃も学校は違ったが、明石駅で出会ったら学校へは行かずに遊びに行ってた仲である。お陰でヤンチは7年かかって大学を卒業した。


今日の葬儀は北港運輸の社葬であった。
彼は社長、会長をして、今相談役だった。
1960年、彼が入社したときに生まれたという現在の女性の社長の弔辞に、私は涙が止まらなかった。
ヤンチは学生のころから、よくもてたが最後まで女性に涙して貰ってと思った。

住友系の運輸会社だが、よく頑張ってたと思う。
弔辞の言葉にも、彼の仕事ぶりがよく出ていた。
私が現役のときは仕事でも関係があったので、どんな仕事ぶりだったかは、ちょっとは解っている。
運送会社の少々荒っぽい人たちを束ねて面倒を見てゆく仕事は彼の天職だったのだろう。


奥さんともしばらくぶりであったが、
あまりに急だったので、と言っておられた。

会場には今にもモノを言い出しそうな、ヤンチのいい写真があった。
葬儀には何度も出席しているが、涙が止まらなかったのは初めてだった。
六甲国際で関、大塚、ヤンチでゴルフをしたのが最後であった。

来月17日の同窓会は、楽しみにしていたと言う。
私はどうしようかと思っていたのだが、『行くことにしよう』と思っている。
彼の話が出るだろう。
それを一緒にするのが、ヤンチへの供養になるだろう。

それにしても、みんなもう年である。
葬儀に出席できない同僚もいた。そんな何人かの連中から電話もあった。
健康には、注意しなくてはならないと思う。
コメント
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