雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

忍者の伊藤さん

2008-11-02 09:26:49 | カワサキ単車の昔話
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一昨日の晩、寝ていたら電話が鳴った。

『伊藤です。西明石で荒木と細谷とで飲んでます。』
電話があるのは、いつも飲み屋からである。
酒が入ると、昔を思って懐かしくなるのか、電話をかける気になるらしい。

伊藤さんは、大阪のバイク屋、忍者の伊藤さんである
こんなに立派なホームページのお店になった。
初めてお会いしたのは、昭和45年末(1970)店の場所は一緒だが小さな小さなお店だった。
40年ばかり前のことである。
ご縁があって、ずっとお付き合いが続いている。

今でも毎年水ナスなど欠かさず、送ってくれる。
電話でも、『今度はかにを送ります』と言ってくれた。
釣りきちだから、自分で釣るのだろうか?

伊藤さんに気に入って貰うのは、なかなか大変である。
荒木、細谷はどうもお気に入りらしい。この前の電話のときも細谷君は一緒だった。
『うるさいのである』
ちゃんとご自分の独特の考えを持っていて、絶対に曲げないところがある。

40年前に、『これからは認証工場の資格を取るべきだ』と言ったら、苦労してその資格を取ったのだが、『認証を持っているところも、ないところも、扱いが一緒だ』と随分と文句を言われたものである。


当時は、大阪で特約店制度をスタートさせようとしていた時期で、船場モータースの岡田さんや伊藤さんには、カワサキの一員のような形でお世話になった。
一緒にこの制度を創りあげた仲間のような気がしている。
販売店の人たちと夜の12時ごろまで営業所で会議などしたものである。

そんな時、船場さんの息子さん(多分今の社長さん)のところに、岡崎のヤマハオートセンターの杉浦さんのところから、バイク販売のDMが入った。
当時は、まだDMも珍しかったし、販売のテリトリー制がよく言われていた。
『これはテリトリー侵害だ。文句を言ってきてほしい。』と船場さんに言われて、
初めてYACの杉浦さんのところに文句を言いに行ったのである。

今は300店舗に近く、750億円の売り上げを誇るレッドバロンも当時は岡崎の1店舗のみの時代であった。

杉浦さん曰く、
『こんな岡崎の片田舎で、安全運転コースも持ち、認証工場の資格もちゃんと取って、一生懸命売ろうとして、大学を卒業した人たちにDMを売って販路を開こうと努力している。』と言われて、『なるほど』と思ったのである。

『解った』と言って帰ってきたのが、杉浦さんとの初対面であった。
彼も『うるさい』ことにかけては『超一流』であったが、その後もずっと気があって、いろんなお付き合いがあったのである。

伊藤さんに、『認証工場を』と言ったのは、杉浦さんの話を聞いたからなのだが、
これは多分、伊藤さんには話していない。
当時でも、二輪車は世界一の商品だったから、それに見合うちゃんとした販売網で売るべきだと思ったからである。

懐かしい伊藤さんの独特の声と話しぶりを聞いて、ふと認証工場のことや船場さん、杉浦さんのことを思い出した。

みんな『うるさい人』ばかりであった。
コメント
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