雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

西宮北口阪急西宮ガーデンズ前

2008-11-27 04:58:11 | 発想$感想
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『阪急西宮北口』、阪急電鉄の駅の名前である。
西宮北口といえば西宮球場というイメージであった。
高校生の頃、よく乗り降りしたところで懐かしい。
『西宮北口阪急西宮球場前』とアナウンスされていた。

私が高校生の頃と言えば、1950年前後、もう60年も前の話である。
当時、兵庫県の夏の予選が西宮球場で行われていたのである。
予選どころか夏の全国大会復活の初年度、平古場を擁した浪商が優勝した球場は確か西宮球場である。


よく試合もしたし、想い出もいっぱいある。
中学のときは神戸の中学に通っていたのだが、
その頃、明石高校が夏の予選で明石は雨だったので明石駅で解散したら西宮は晴れていて不戦敗。当時も明石は優勝候補の筆頭であった。

高校は学区制でその明石に移った。
その後、明石の伝統は雨でも嵐でも現地まで行くことになっていて、
ジェーン台風の最中、京都での練習試合に出かけて、大阪を出たところで終日電車の中で過ごしたこともあったりした。


西宮球場といえば、
関西に遠征してきた広島の盈進高校、(後国鉄のショートをした箱田がピッチャーで強かった)との練習試合も覚えている。
そのときは四国からは、後ジャイアンツに行った藤田投手の愛媛からの参加もあって、大阪のどこかの高校と4校での強化試合であった。
その当日、『朝鮮で戦争が始まりました』との場内放送があったのを覚えている。
予選前の6月ごろのことだった。

また、この年の夏の予選、同期の溝畑投手が
『この試合は完全試合でした』とアナウンスされたのも西宮球場であった。
完全試合とは何か? そんなことは解らなかった時代であった。
相手はあの進学校、灘高校、確か5-0だったとチームメートのジャッキに聞いたのはずっと後のことである。あんまり意識もしていなかったし、大したこととも当時は思わなかった。若しもっと点を入れて7点以上になっていればコールドで、パフェクトにはならなかったなとも話たりした。

この夏、明石は全国大会に出場している。昭和25年(1950年)の夏である。

そんな思い出のある、『西宮北口、阪急西宮球場前』 である。



昨日の朝日の夕刊にこんな記事が1面に出たので、西宮球場を思い出したのである。
クリックすると更に大きくなります。

この『西宮ガーデンズのコンセプト』は面白くて、最初はそのことを書く積りだったのだが、
こんなホームページの中の「なるほどガーデンズ」に、『西宮北口,阪急西宮ガーデンズ前』とアナウンスされますなどとあるものだから、(お暇な方は見つけてください)
どんどん野球の話になってしまったのである。

この西宮ガーデンズ、電車の中で
『西宮北口、阪急西宮ガーデンズ前』 と60年前の「阪急西宮球場前」に変わって正規に呼称されるそうである。

阪急ブレーブス、名監督が率いて強かった。
今のオリックスの前身である。

あの西宮球場、競輪場になったときは少しがっかりしたが、
『阪急西宮ガーデンズ』 は much better である。
新しい西宮北口のイメージが創造されるかも知れない。
コメント (2)
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