★雨が上がって、三木アネックスパークでの、秋のON ANY SANDA に、山本隆君の呼びかけで、F21Mが集まるということなので、覗きに行ってきた。
永年、バイクの仕事には携わってはきたが、バイクのことは殆どよく解らない。
バイクマニアは逆にマシンの細々としたことに詳しくて、そんな連中と話していたら、無茶苦茶詳しいので余計に敬遠してしまうのである。
そんな私だが、幾らかでもマシンのことで話が出来るとしたら、
このF21Mぐらいかも知れない。
★これが山本隆君、60おじさんが持ち込んだF21Mである。
カワサキがこのマシンを造ったきっかけは、ズズキが本格的なパイプフレームの250を開発して、モトクロスで久保、小島などがヨーロッパ遠征などやり始めたからである。それまではバックボーンフレームの市販車ベースのマシンが主流だったのである。
クロームモリブデンのヘリコプターのパイプを曲げて、セリアーニタイプのフォーク、エンジンは238cc単気筒、極力軽くと確か90kgを切ったのではなかったか? 21Mは前輪のタイヤサイズから名づけられたのではなかったかと思う。
エンジンは当時のモトクロスチーム監督故安藤吉郎さん(吉郎ノ吉には人遍が付くのだが見つからない)が開発、その他は全て当時のモトクロス職場の松尾勇さん手作りである。設計図など何もなかった。べニア板に釘を打ってフレームの形を合わせ。パイプに海岸の砂をつめてパイプを曲げて作った。鈴木は久保和夫、小島松久の2台だったが、
カワサキは、三橋実、安良岡健、山本隆、歳森康師、梅津次郎、岡部能夫、星野一義と確か7台を揃えたのである。作る手伝いを少しはやったので、何となくうろ覚えだが仕様も覚えているのである。
青森のMCFAJの全日本に初出場以来抜群の成績で、モータショーに出品すると言ったら、安藤さんがひどく反対をするのである。なぜ?と聞いたら、
『125ccの市販車ベースのエンジンが238ccのレーサーにまでして、尚持つというのは、如何に過剰品質か、設計者としてはカッコ悪い』と仰るのである。反対を押し切って出品したのだが、そんな話もあった、想い出のF21Mである。
そんな、F21Mは、4台しか集まらなかったと言うべきか、4台も集まったというべきか?
当時のマシンは、グリーンではなくて、『赤タンクのカワサキ』だったのである。
★マシンは4台だったが、カワサキのレースを支えたビッグネームが、沢山顔を見せた。
ずっと監督などを務めた大津信君、
ライダー時代もあって、ずっとカワサキのレーシングチームに名を連ねた安井君。今も尚現役なのか?
私が現役最後の国内担当で、レースや遊びに全力投球だった20年前ごろのカワサキファクトリーの中心メンバーたちである。
久しぶりに、旧い話に花が咲いた。
★これは、ヤマハの往年の名ライダー宇野順一郎さんである。私も名前だけしか知らないまさに往年のライダーなのである。
昨年だったか、ここで初めてお会いした、山本隆君よりはもう少し上で、片山義美さんたちと同年代なのだろう。
一緒に写っているのは、初めてお会いしたが、ヤマハのモトクロス名ライダー故荒井市次さんのお嬢さんだとか。
荒井市次さんとは、直接カワサキとは契約はなかったのだが、いろいろお付き合いのあった懐かしいライダーである。
もう何年も前になるが、このコースで山本隆君と火花を散らしたのが彼の最後のレースとなったのだろう。
★このほかにも、いっぱい写真を撮ってきたので、Facebook のアルバムにおさめてあります。
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