雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

私の人生と 『レースの世界』

2016-07-01 05:52:59 | 自分史

人生80年を少し過ぎた。

その半分の40年をカワサキの二輪事業とともに過ごした。

川崎航空機と川崎重工業にその籍はあったのだが、20年は販売会社に出向してマーケットの最前線にいたしその時はレースに色濃く関係していたのである。

 

 その原点とも云える写真がコレである。

 

 

 昭和37年ころ、カワサキのレースはモトクロスから始まった。

 三橋実が率いるカワサキコンバットが主流で、それに神戸木の実から山本隆、歳森康師が加わっていた時代である。

 富士の裾野で行われていたMCFAJの全日本の時で、左から4人目は星野一義だがまだ契約はしていないノービス時代である。

 

  

 

 同じ写真の当時は珍しいカラー版だが、この6人が契約ライダー、左から安良岡健、三橋実、歳森康師、山本隆、岡部能夫、梅津次郎で、赤タンクのカワサキと呼ばれていた時代である。

カワサキがGPレースに参加する昭和41年(1966)9月までは、レースの主力はモトクロスであった。

私の第1期のレース担当の時期である。

 

それから20年以上も経って、1988年10月、3度目の販売会社担当の時期が始まって、10月1日に新職場に赴任するのだが、一番最初にやったのが、カワサキファクトリ-25周年OB会 芦屋の名門『竹園旅館』で盛大に開催し、レース活動中心の展開を図ることを、先輩方やレース仲間たちに誓ったのである。

カワサキの二輪事業を支えた錚々たるメンバーたちとライダーたちである。

 

 

  

 

 真ん中は兵庫メグロの西海社長その両隣は川重の副社長を務めらてた、山田熙明、高橋鐵郎さん、Z1の大槻幸雄さんもおられるし、2列目私の隣が、後川重社長を務めた田崎雅元さん、その横が平井稔男さんである。

 

 その時、招待したレースOBたちと、当時のカワサキ現役ライダーたちである。

  

   

 

 

 そして1990年代のカワサキの『第2期レース黄金時代』が始まるのである。

 1990年代は、8時間耐久レースを頂点とする『ロードレース』主力の時代であったと言っていい。

 4時間耐久にも6時間耐久にも優勝し、ルマン24時間にもカワサキチームがMFJを代表して参加したりした。

 その頂点が カワサキの初めての鈴鹿8時間耐久レース優勝なのである。

 

   

 

  この優勝を目の前で見たし、そんなレース活動の中に私もいたと言っていい。

 急にこんなことを思いだして書いているのは、

 KAZE の機関誌が送られてきて、今年はカワサキも鈴鹿8耐『本気かな』と思ったりしたからである

 

  

    

 

 KAZA 機関誌の今月号は『鈴鹿8耐特集』 でこんなチラシが挟まれていた。

 

 その中にこんな名前を発見した。

 『レオン・ハスラム』 知ってたわけではない。

調べてみたら  2013,2014年の鈴鹿8耐の優勝チームのライダーなのである

   

   

★1990年代の夏、7月は半月以上を鈴鹿サーキットで過ごしていた

 20万人の観衆で鈴鹿が人で埋まったあの時代、8耐最盛期であった。

 

 伊藤ハムレーシングのラッセル・スライトも頑張ったが、その時代日本人ライダーたちも大いに頑張った時代である。

宗和・塚本・多田・北川 たちトップライダーたちも、6耐・4耐優勝の若手ライダーも月木レーシングの総監督は岩城滉一がやったりしていて、カワサキのパドックはいつも賑やかだったのである

春の2&4には、星野一義がわざわざカワサキのパドックに、私や岩崎茂樹にわざわざ挨拶に来てくれたりたりして、『星野がなぜカワサキのパドッに・・・』と不思議がる人が大勢いたのである。

 

独特のレースの世界、そこには単なる勝負の世界だけではなくて、ベースに『人の繋がりがある

はじめのころから言えばもう40年以上にもなるのに、ずっとその時代のままの関係で繋がっている。

私のFacebook トモダチには、そんなレース関係者やライダーたちがいっぱいなのである。

 

 

  

 

 いまの私のFacebook だが、ここに並んでいる人たち、親しくお付き合いのあった、みんなレース関係者なのである。

カワサキだけでなく、ホンダ・スズキ・ヤマハ・BS の人たちが一緒に並んでいるのがいい。

吉村太一ちゃんなど、星野と同い年で彼らが17歳のころからのお付き合いなのである。

もう何年前になるのだろう。 

東北大震災のあった年の3月4日、平井稔男さんが主宰した『カワサキの想い出そして未来』に全国から集まってくれた仲間たちである。

 

Facebook のバックの写真、多分この写真から変わることはないだろう。

『レースの世界』は私の人生の『バックボーン』なのである。

 

コメント
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