雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

LOVEとばら

2007-05-19 14:50:13 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
5月19日 ラブとバラ
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月19日

2007-05-19 14:37:47 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
5月19日のバラ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガレージ

2007-05-19 14:34:23 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
ガレージと小さな池

画像貼り付け練習中です。まだ、連続して貼れません。
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武雄市へのお礼と三木市のブログ

2007-05-19 09:39:40 | 樋渡啓祐さんのこと
昨日、大西議員からコメントを頂いたのがきっかけで、「武雄市のブログ」を更新したのだが、

樋渡さんは早速「武雄市物語」に取り上げてご紹介頂いた上に、ブログにもコメントを頂いた。武雄のタケタクさんからもコメントを頂いたし、三木市の大西さんやジーン景虎さんからもコメントを頂いた。

何か、新たな広がりの気配も感じるし、自分の気持ちを纏めてお礼に代えさせて頂きたいと思います。



ブログには自分の想いを率直に書きたいと常に思っている。

私事だが、もう10年も前現役の最後の頃、
想いを共有する仲間たちの輪を繋ごうと「共感ネットワーキング」と称して10万人、100万人の輪にしようとの活動を展開したものである。

今もKAZEやNMCAにそんな思いが引き継がれているとは思うが、
最近改めてSNSなどといわれる時代になって、「タテ型の組織を越えたネットワーキング」のようなものが出来ないかと思うようになった。

インターネットという格好の中心を持たない仕組みが出現し、
ブログなどという知らない方とも自由に会話の出来る仕組みも出来て、
「何か共感できる、共感する仲間の輪」を拡げていけるそんな気持ちになっている。

武雄市や三木市のかたも、バイクやレースを愛するユーザーも、販売店の人たちや昔お世話になった人たちも、
タテ型で完結することなく、無限の広がりのあるヨコの世界で、特に枠をはめずに、
「何となく共感する仲間たち」が自然に集まるのは、何かの力になったり世の中のお役に立つのではと思ったりしている。



樋渡さんは今朝のコメントで、
「---ブログを書いている僕たちの仲間を勇気付けることになるでしょう。ブログと市民参加、そして情報共有。武雄は壮大な実験場となるかも知れません。」
更に
「三木市も市長さんが前向きな方なので、そうなっていくと思います。期待しています」と結んでおられる。

武雄と三木は何となく「共感できる」いろいろなものを持っていると思っている。
それは自治体という組織をこえて繋がり広がる可能性があるのではないか。
こんな夢みたいな話は非常に面白いと思っている。

タケタクさんとは以前にも何度かコメントを頂いた。いつもきれいなブログである。武雄のイメージ向上に間違いなく貢献されている。




三木の「はばカフェin三木 ~やっぱり、ぼちぼち息長く」というブログのジーン景虎さんからも「三木も捨てたもんではないですね」というコメントを頂いた。

ブログの大先輩で、ラジオなどいろんなカテゴリーで更新されているのだが、「三木市」というカテゴリーだけでも既に143本の記事が書かれている。
毎日、本当に沢山のコメントの入る人気ブログで、三木市長のブログにも何度かコメントを出されている。
ご自身のブログにも薮本さんの写真や、三木市政に関すること、イベントなどなど100回を越える記述があるのだが、残念ながら、三木市側からの反応は鈍いと言わざるを得ない。多分ご存知ないのだと思う。

この他にも「えみこな奮闘記」という三木市に直接関係のあるFMみっきいやホースランドなどのお仕事をスパイシー三木さんと一緒にやっておられる方のブログもあって、そのプロフィールの出身地に「神戸の隣の田舎町、人に聞かれたときわかってもらえないので神戸と答えます。」と書かれています。

このほか昨日ご紹介した市会議員さんのブログ。
最近、お世話になっているオンブズマン三木

三木市では、
市長の週末日記
お庭番日記


市民ふれあい部長の小西さんのブログ。4月まで教育委員会におられてお世話になった。お話をするとホントに面白いのにブログになると少し固すぎるかな。電話で「お喋りになるまま書かれたら。」とつい言ってしまいました。そう言える雰囲気をお持ちです。「新しい風」を期待したい。
まちづくり部長の西山さんのブログ。想いいっぱいのブログです。

そのほか、
理事のブログ、技監のブログ、参与ブログ、
企画管理部長,健康福祉部長、産業観光部長さんなどの各部長のブログがあって、こんなに揃っているのは、全国でも三木市が一番と思っている。

ジーン景虎さんが言われるように、今後新しい仲間を増やし機能してゆけば
「三木も、捨てたもんではないのである」

いつか、神戸のとなりの田舎町と言わなくても、堂々と「三木市です」と言えるようになりたいものである。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カワサキ単車の昔話-59

2007-05-19 05:37:02 | カワサキ単車の昔話
東北6県営業担当
仙台時代---1


1967年1月から、広告宣伝、レースなどのから、仙台での事務所を開設しての営業担当に異動した。
私の始めての営業経験であった。

当時はまだ地方の代理店制がまだ残っていて、メーカーの資本も入っていない、所謂自前のデーラーも存在していた。
まだ、メグロ系とかメイハツ系だとかが言われていたし、メーカー資本が入ったとはいえ、社長は従来の地元の人たちだったし、その従業員も現地採用の人たちばかりで構成されていた。

各社長の独特のやり方で経営がなされていたし、デーラーの特徴も県ごとに異なっていた。
五つの系列デーラーと、規模は小さいが八つの自前のデーラーで東北は構成されていた。

まだ、実用車全盛期で、カワサキにとっては東北が一番、九州が二番というような時代であった。



そんな中に、全くのド素人の35才の若僧が営業の世界に責任者として飛び込んだのである。
丁度4年間、仙台でお世話になったが、
一番末端の状況が解ったというか、勉強になった時代であったと言っていい。

粗っぽく言うと、1,2年目はどんどん売って全国の金賞、銅賞など頂いて悦にいっていたが、3,4年目はその反動で資金不足に陥り、デーラーの社長と銀行回りをしたり、本社に資金援助の稟議を書くのが仕事のようなことであった。

このときの経営に於ける資金繰りの重要性は身に沁みこんで、この経験が後に大きく役に立ったのである。
本当に、在庫を抱えての商売は常に資金を頭に置いておかないととんでもないことになるのである。

いつに時代にも、数を売りたい、売上高を大きくする誘惑にかられるが、一番は資金とのバランスである。


そんなことを実地に経験した時代、いろんなことを教えてくれた人たち。

会社の上司では、宮川部長。
デーラー社長では、岩手の久保社長、福島の中西社長。
思い出多い人たちは、秋田の斉藤雄幸、青森の小林清久さん宮城の門伝さん。

一緒に仕事をした仲間たち、宇田川、石塚、海老沢、田中、中田、菊池、君たち。

みんなに、本当にいろんなことを教えて貰った。


営業のド素人を助けてくれたのは、レース経験だった。
無茶苦茶、レースが盛んだったし、開催頻度も多かった。MFJの全日本モトクロスが郡山、札幌と2年続けて北日本で開催されたりした。
事、レースに関しては、各地の社長さんも足元にも寄せ付けない、知識と経験、それに山本、星野、岡部、歳森など全盛期で、彼らに顔が利いたことが、営業での未熟さを大いにカバーしてくれたのである。

この時期、お世話になった人のお話や出来事を少し続けてご紹介してみたい。」
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武雄市のブログ

2007-05-18 09:49:27 | 樋渡啓祐さんのこと
今朝、三木市の市会議員の大西さんからコメントを頂いた。
大西さんは今回初当選で5月になってからブログを始められている
ほぼ、毎日更新をされている。

市会議員といえば米田さんもブログをおやりである
今日解ったのだが、もて木さんもお持ちである

議員の方にとっては、その活動報告としては格好の情報発信手段だと思う。

三木市役所のなかでも市長の薮本さん以下部長さんもブログをやっておられるが、情報発信が重要といわれる割には仕事の中の優先順位が低いような気もする。


私がこのブログでもよく採り上げている武雄市は、市長の樋渡さんの影響か、もともと市民の方がブログに熱心なのか、ブログの数も多いしその中味も非常に濃いものが多い。

樋渡さんの「武雄市長物語」は毎日発信される人気ブログだが、そのコンセプト通りのお役所のブログでないような個人の魅力いっぱいのところがいいのだろう。
ちなみに、確かこのようなコンセプトであった。
「政治家樋渡啓祐が、武雄市長樋渡啓祐が、一人の人間としての樋渡啓祐が自分の言葉でほぼ毎日綴る」というものであった。

一人の人間としての部分も多く面白い。
副議長のブログもなかなかの力作である。間違いなく武雄の、樋渡さんの後押しになっている。これも単なる議会報告ではなく、いろんな分野にわたっているのがいい。

樋渡さんは、ご自分のブログの中でいろんな方をマメに紹介して、武雄の輪を拡げる努力をしておられるが、私のブログなども何度もコメントを頂いたり紹介頂いたりしてお世話になっている。

そんな武雄市のブログは沢山あるのだが、そのほんの一部をご紹介したい。
ちょっとご覧になっても、武雄の情報発信、イメージの向上に一役も二役もかっているのがお解かり頂けると思う。
間違いなく、武雄市発行の広報誌などよりは、外部に対するその広報価値は高いと思う。非常に質の高いブログが並んでいる。

かいぼーのつぶやき
あるタクシー会社日誌
温泉でヨガ
武雄をがばい楽しむ100の方法
大楠の里若木町からの情報発
武雄映像倶楽部
なつきのつぶやき
自然なスマイルで

この他にも、旅館など沢山のブログが連携して武雄市を盛りたてています。
その中心が武雄市長物語です。

ソーシャル、ネットワーキング、システム(SNS)の時代と言われるが、武雄市のブログは自然にネットワーク化されてその威力を発揮している。
これは「そうしようという」という意図が明確にあり、その方向に沿って市民や議員が自然に動いていると思う。


三木も議員さんのブログも出来たしオンブズマン三木もスタートした。
素地は出来てきたので、武雄市に負けないような情報発信力を持てば、そんな風になればいいなと思っている。

三木市長メールにしようかとも思ったが、一般のブログとしました。
コメント (11)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007-05-18 06:33:07 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
バラはまだです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨年のバラ

2007-05-18 06:29:08 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
昨年のバラです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007-05-18 06:01:24 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
更に縮小率を変えました。
これはつい最近、バラはまだほんの少し。
800*800
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007-05-18 05:55:18 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
縮小率を少し変えたものです。
640*640
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007-05-18 05:55:06 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
小さな池の鯉。
320*320
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

画像の貼り付け

2007-05-18 05:54:46 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
先日来、バラのシーズンが近づくにつれて、何とかブログに写真が貼り付けられないものかと思っていた。

家の直ぐ近くの、ブログでお知り合いになったseaz companyの登山さんに教えてくれますかとお願いしたら、快く先生を引き受けて頂いて、今朝9時から午前中、みっちり教えて頂いた。

その時は、解った積りでいたのだが、自分独りでやってみると、なかなか上手くいかないのである。
いろいろやると出来たりするのだが、いろいろやり過ぎてどのようにしたのか、覚えていないのである。

夕方頃までやって、やっと何とか解ったような気になったが、明日の朝まで覚えているだろうか。
縮小の意味と、どのくらいの縮小率がどうなるのか、このあたりは経験だと勝手に思い込んでいるが果たしてどうなるか。


それにしても、登山さん、懇切丁寧である。
全国の空冷4気筒のマニアたちが、頼りにするのはよく解る。
カワサキのこと、特にZのことなどになると太刀打ち出来ない。

カワサキの人たち、Z1会のメンバーにも共通の知人が沢山居て、パソコン講習の途中に脱線するとなかなか元へ戻れないほど、話に花が咲いたりした。

昨日の教材に使ったものだが見て下さい。


コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続、岩崎茂樹君のこと

2007-05-17 05:35:45 | カワサキ単車の昔話
seaz companyのtoyamaさんが岩崎茂樹君の話をして頂いた関係から、
私のブログにいろんな所からアクセスがあったのだが、その中の一つにこんなのがあった。

1993年7月25日、鈴鹿8時間耐久レースでカワサキが優勝したときの日刊スポーツの記事である。
この記事にもあるように、このときの8耐はカワサキにとって最高の結果をもたらした。
塚本、北川が5位に入り日本人最高ペアとなったし、日本航空高校の高校生チームがカワサキで参戦したり、4時間耐久では月木チームがクラス優勝を飾ったのである。

7月26日の私の日記には、
「朝の営業報告会、シャンパンでの乾杯から会議はスタートした。この席には居なかったが、岩崎君が一番喜んでいるだろう。-----」と書かれている。



この日刊スポーツ記事にも最後の方にちょっとだけ記述があるのだが、このとき岩崎茂樹君は新設されたモータースポーツ部の部長だったのである。

カワサキにとってたった一度だけの鈴鹿8耐の優勝が、岩崎の直接担当のときでよかったと思う。
このときのスポンサーは伊藤ハムだったのだが、当時博多の「イムズ」に展示スペースを持っていて伊藤ハムと組んで「8耐優勝イベント」を展開したのも懐かしく思い出される。

岩崎君は、モータースポーツ部以前は営業の広報で永く新車発表会なども世界規模で担当していたし、
若い頃にはハーレーに乗っていたり、私と一緒にSPA直入を造ったりしていて一見派手な世界ばかりを歩いたように見られているが。

彼の職務の一番初めは「本社の監査部門」なのである。そんなことで、経理知識なども非常に豊富である。
田崎さんと組んでリンカーン工場関係を担当したり、
イランのCKDのために現地所長として鶴谷君(現川重商事社長)と一緒に苦労したりした。

最後はKMJに来て、物流部門を手伝ってくれたのだが、
彼が川重から異動するときに広報やレースのイメージが強すぎて、「大丈夫ですか」と心配する向きもあったほど、レースやマシンのイメージは強かった。

亡くなる直前まで、しょっちゅう我が家を訪ねてくれていたのだが、彼の博学のいろんな話も聞けなくなった。


ブログのお陰で、「岩崎のこと」 も 「鈴鹿8耐の優勝のこと」 も懐かしく思い出させてくれた。

最初に、ふと書いた岩崎君の記事はこれです
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログのコメント

2007-05-16 15:07:07 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
コメントはブログの繋がりの最初のきかっけになる。

そこがスタートで何かが始まるのである。

ブログの本を読んでいて  「誰でもコメントをもらうことは嬉しいものである。だから、積極的にどんどんコメントをすればいい」 とあったが、はじめは何となくそんな気にはなれなかった。

コメントを頂いてもどうしてよいのかも解らず、ただうろうろしていたものである。

最近になって、コメントの面白さが実感できるようになった。
ホントに物事がそこから始まってどんどん現実に広がっていくのである。


今までに300件を越えるコメントを頂いているが、
故岩崎茂樹君のことを書いたら「はらださん」から 「岩崎さんにはお世話になりました」 というコメントを頂いて、ホントにじーんときた。
一昨日はtoyamaさんがご自身のブログで 「Micky Hesseと岩崎茂樹氏」 を更新されご紹介したが、今でも広がり続けている。

武雄市長の樋渡さんには何度もコメントを頂いているが、一番最初に 「本人です」 と突然のコメントにはビックリした。
総務省に戻られたとばかり思っていたので、武雄市長になっておられて二度びっくりであった。
そんなご縁から今後どんな広がりになるか、楽しみである。
今朝のブログにも直ぐコメントを頂いた。

先月から何度も採り上げたON ANY SANDAは
ずっと以前 「三木の方ですね。」 というカンサイオトキチクラブの高下さんのコメントが始まりである。

最近は、オンブズマン三木などコメントを頂く巾も広くなったと思っていたら、
先日は現川重田崎会長から実名の面白いコメントを頂いた。

また、コメントではないのだが、
このブログで繋がったhappyendさんから、私の大阪時代にお世話になった野崎輪業の故野崎さんや故吉永さんのことなどについて、丁寧なメールを頂き、ご自身のブログで公開して頂いた。感謝である。
happyendさんの展開されているご商売とも関連した、レースの活動などは、本当に楽しいモーターサイクルの世界を造っていると思う。

このほか、カワサキの販売店の方々からもコメントを頂いたり、ホームページにリンクして頂いたりしていて大感謝である。
間違っても足を引っ張ったりしないように、頑張りたいと思っている。


これも、コメントではないが、ブログそのもので応えて頂くのも非常に嬉しいことである。
最近では、「みっきいふれあいふるさと公園」に三木市の西山さんがご自身のブログの中で、応えて頂いている。
いい展開になることを期待したい。


そんな思わぬ展開は、7ヶ月しか経っていない今の時点でもこうだから、あと半年経てばどんなことになるのか、楽しみである。

ただ、コメントなどの意見に対しては、ホンネで直ぐ、真正面からの対応が必要である。無視や沈黙からは何も生まれない。
いろんなことを自由に言える雰囲気を作り上げることが大切だと思う。



コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思えば遠くへ来たもんだ

2007-05-16 05:42:28 | 樋渡啓祐さんのこと
「2年。思えば遠くへきたもんだ」 と題して、樋渡さんがこの2年間の感想を纏めておられる。

私が樋渡さんのことを知ったのは、昨年の6月である。
高槻市の 「こちら部長室」 のコメントを読んで共感したのだが、
私が知らなかっただけで、その頃は既に武雄市長になっておられたのである。

樋渡さんにネット上でお会いしなかったら、多分ブログなど始めたりしなかったと思う。
そんな樋渡さんのブログは、以前に、はじめから殆ど読んでいるのだが、もう一度読み直してみた。

高槻時代の 「市長でなかった時代のブログ」 の中から、
特に 「共感を覚えるもの」 を各月一本ずつ 「私自身のために」 整理して纏めておきたいと思う。



ご関心のある方は、どうぞ。

2005年5月 ブログと明治国家
今、問われているのは、 「協働のやり方」 ではなくて 「何をやりたいのか」「何をすべきか」。  
でも、 「やり方の議論」 が一般的です。
樋渡さんらしくなく、文章少し長いが中味は大変面白い。

6月   講演予定メモ
講演の内容が並んでいるが,
「外からの視点」「ブランド」「何よりも情報発信力」「組織よりもまず個人」「デジタル社会は個人社会」「変ることが善」  その通りだと思う。
一般に当たり前の話だが口先では言えても、本当に実行するのは難しい。

7月 武雄での講演メモ
今、企業と自治体に求められていることは、
役割分担はもう旧い。「役割融合、プロジェクト化、フラット化。」
「自治体は頑張っているところを応援すべし」 大賛成である。
一律ばら撒きの発想は「税金の無駄遣い」だと思うのだが。
何も考えることをせずに、差別化の発想はかけらもなく、 「見せかけの公平に」 が主流です。

8月 研修レジュメ
高槻のまちづくりについて、「課長以上は70%が企画と判断」。作業が仕事だと思っている管理者が多すぎる。
「これからの都市競争は、その道のプロしか残らない」。  競争をしているという意識が、現状の自治体にどれだけあるだろうか。
「情報を出せば入る仕掛け」  そうです。 仕掛けがないから、出すだけになってしまうのです。

9月 某県庁講演レジュメ案
いろいろ言われているが、 「ブログを始めて仕事、人生が変りつつある」 という感想に特に共感。 実感しています。 
私も今現役だったら、間違いなくブログやって、必ず毎日更新しているだろう。
今は、簡単に情報発信、収集が出来る 「いい時代だ」。
作業をするには必要ないかも知れぬが、仕事には絶対必要。利用しない手はない。
講演後寄せられたメールの意見も面白かった。

10月  ネット市民
沖縄の座間味村の話ですが、無茶苦茶面白いと思います。
でも、一般には理解できないのかな、とも思います。
樋渡さん、この種のこと、是非やるべきです。
アタマだけで、お金は余り(殆んど)要らない筈です。

11月 ちょっと嬉しい話
15年8月11日、「こちら部長室」の樋渡さんの第一声は「全国一のホームページを目指そう」と宣言してスタートしている。
昨年、高槻市は広報コンクールで、見事「ホームページ日本一」の栄冠を手にしておられる。 
これはまだその途中の話だが。

12月 さよなら
17年12月20日、第62回最後の「こちら部長室」にこの写真が使われている。
「出来ない理由よりは出来る理由を探そう」と最後に結んでおられます。
ブログではご自身を「風」とよんでおられます。




樋渡さんが市長でなかった時代、どのようにお考えだったのか。
市長になられた今と、何か違うところがあるのだろうか。

そんなところも興味があったのだが、
基本的にそのスタンスは全然変っていないとの印象である。 有言実行。

共感するところ、いっぱいである。

ずっと並べてみると、やはり 「ちょっと変っている才人」 である。


ところで、カワサキの大ヒット商品 「ZEPHYR」 は 「西からの風」 という意味をもっているのご存知ですか。

武雄からの、西からの 「新しい風」 を期待します。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする