雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

e-まちネット@みき 講習会で出会った人

2011-10-16 06:04:16 | NPO The Good Times

★昨日は、ボランタリー活動プラザみき で、『e-まちネット@みき』の発表講習会がありました。

8月末から『地域SNSで地域活性化を考えるラーニングバー』でいろいろ検討した結果出来あがったのが、

Facebook で創り上げた『e-まちネット@みき』なのです

こんな感じで、和やかなうちに、約2時間いろんな話題が出ました。

★説明をしているのは、このプロジェクトの中心で推進してきた、

NPO The Good Times のアドバイザー綿谷直樹さんです。

そしてこのプロジェクトを精力的に進めておられるのが、ボランタリー活動プラザみき の稲見所長さんです。

 

e-まちネット@みき の基本コンセプトは

『集まり・つながり・まち活性・みき愛』

1.三木を何とかしたい!と想う、考える三木を愛する人たちの想いや行動が集まる。

2.人と人がつながり、連携した活動のつながりが生まれ、まちづくりのためのコラボレーション活動を生み出す。

3.企業や商店も参画することで市民活動者と相互メリットを得ながらまちの活性化につなげる。

4.三木から離れた人も大切に、三木のファンを増やす、集めるローカルファンページを目指す。

 

とあります。 Facebook は初めての方もおられましたので、お披露目会のような催しでした。

神戸新聞の記者さんも来ておられたので、今朝の新聞の記事になっているのかも知れません。

 

★終わってから、紹介された人がいます。

渡された名刺には小野市議会議員 河島三奈 とありました。若い女性の議員さんです。

なぜ、この会合に来られたのか?

私の二つのブログは、ちゃんと読まれていて、いろんなことを全てご存じでした。

 

『三木は、ネットの世界でいろんな人が繋がっていて、小野も三木のように何とかやりたい』と仰るのです。

確かに、三木はいろんな人がネットのいろんなところで、いろんな形で繋がっています。ひょっとしたらこの繋がり方は日本最右翼かも知れません。その幾らかの部分をNPO The Good Timesのメンバー達が支えているのは間違いありません。今日の会合でも殆どの方がNPOの会員さんです。

河島さんには、小野で作るより先に三木のグループにジョインされる方が早いですよと、お誘いして、NPOの個人会員に入られました。会員さんに対しては、いろんなお手伝いをします。

ボランタリー活動プラザみき がNPOの団体会員さんでもあり、稲見さんも、坂本さんも個人会員さんですので、今回の催しにも、アドバイザーの綿谷さんが応援しているのです。

河島さんとはいろんな話をしました。市議さんですから活発なのはよく解りますが、これは期待大だと思います。

間違いなくオモシロイ展開になると思います。

神戸電鉄問題でもご一緒出来るでしょうし、早い機会に『e-まちネット@おの』を立ちあげられたら、いいと思います。綿谷さんを入れての3人での話でしたから、確りと理解されたと思います。

ツイッターはすでにおやりのようなので、早速フォローしておきました。

 

★いろんな、出会いがありますが、

これはとカンで解る出会いは、そんなに多くは有りません。

河島さんとの出会いはそんな出会いであったと確信します。

河島さんは一見議員さんとは思えませんが、こんな成績で堂々の当選です

今年、初当選の初々しさも残っていますし、なにゆえ私のブログや三木のブログたちをそんなにちゃんとご覧になっているのか解りませんが、ほんとによく読んでおられて、武雄の樋渡さんの話をしても、さるとるさんの話をしてもツイテ来れます。

これはホンモノだと思ったので、NPOの個人会員にお誘いしたのです。小野とも一緒にやれるのがネットの良さです。

具体的に、神戸電鉄問題で協働もできますし、Facebook での協働も可能です。

 

5時まで、河島さんとのあとはボランタリー活動プラザの坂本さんと、綿谷さんとみっちりいい話が出来ました。

 私にとっては、会議が終わってからの2時間が、非常に貴重な2時間でした。

紹介してくれたのは、『まつりがあるので…』とそそくさと帰って行かれた板東聖悟さんでした

この方とも、ご縁があって11月23日、With Me 主催の3H耐久レ-スに出場されることでご一緒ですし、板東さんが立ちあげる『神戸電鉄問題』のサポーター会でもお手伝いすることになるかも知れません。

いい出会いでした。

 

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大阪市長選挙

2011-10-14 13:37:44 | 大阪維新の会、橋下徹氏

★『大阪府&橋下徹氏』と言うカテゴリーをつくって、いままでに46回も橋下さんを追っかけてきた

完全なファン心理からである。

大阪都構想もオモシロイが、具体的にどのように進展するのか?

今の法律の中で出来るのか?

国とは関係なく大丈夫なのか?

などなど、なんにも解ってはいないのだが、『あの橋下さんが言っているのだから大丈夫だろう』と思ってしまっているのである。

 

★この3年間の経緯や実績を見て、間違いなく大阪は変わったし、中央政界も見過ごす事が出来ないほど、大阪の発言権は上がったし、

新聞の一面を飾ることも、珍しくなくなったのである。

大体、市長から知事を目指すのは解るが、知事がその職を任期途中で投げうって市長選挙に出るなど従来の常識では考えられなかったことである。

『何になりたい』と言う普通の人の発想を超えて、『何かをやる』その目的のためには、世のなかの常識でいえば『格下げの地位』でも何ともないという非常識なところがいいと思う。

世のなか、社長、市長、知事、議員、みんなその職位で人の価値を測るようなところがあるが、そんな職位に付いているいる人が『エライ人』という常識は、もういい加減にやめた方がいい。

同じ社長でも中小企業の社長よりは、大企業の社長の方がエライと言う常識も馬鹿げている。

 

先日、三木市の議会で、現職の市長が、議会で議論になって、『議員はそんなにエライのか?』と発言して話題になったが、

その裏には、『市長はもっとエライのだから、口の効き方を慎め』とでも言いたかったのかも知れない。ことほど左様に、人は職位で『エラサ加減』を示したがったりするものなのである。

でも、現実の話として、知事が市長に立候補するのは、これはなかなかある話ではない。橋本さんならではの発想である。

 

★これがある新聞に、いつだったか載っていた日程である。今日は10月15日、いよいよである。

大阪のことなので、選挙権もないのだが、橋本ファンとしては、兎に角選挙に勝って、大阪市長になって、どのように大阪を変えるのか、見てみたいと言うのが正直な想いである。

そして、大阪府知事も、維新の会の幹事長が当選しないと、橋下さんの思うような展開にはならないのだろう。

若しそんなことになったら、維新の会の会長が市長で、幹事長が知事と言うことになる。

世のなかの常識から言ったら不思議な現象だが、

民主党は、何の肩書もない小沢さんの方が、党の誰よりも『エライ』ような感じで続いている。

だんだんと、世の中も変わって、本田宗一郎さんが言ったように『社長や市長など単なる符号』なのかも知れない。

 

★もうすぐはっきりするとは思うが、

丸山さんが知事選の候補に挙がっているとか・・・

元加西市長の中川さんが3番目の候補として現れたとか言っている。

と言うことは、本命と思われる橋下さんはまだ今は噂の段階で、正式には立候補していないということなのだろうか。

 

兎に角、目が離せないオモシロさである。

 

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平成5年(1933) 還暦60歳、その当時思っていたこと

2011-10-14 06:27:17 | 自分史

★平成5年から数年間、カワサキモータースジャパンにとっては一番充実した時期であったと言えるかも知れない。

社長は高橋鉄郎さんだったから出来たのかも知れない。

 理念やマーケッテングそのもの、仕組みシステムを、ユーザーからさらに広い仲間社会を視野に入れた展開だったのである。

 

社名からなぜ『販売』の2文字を外したのか?

明石の工場は確かにカワサキの新車を製造するメーカーの機能である。

その新車だけを売る機能の会社なら『販売会社』でいいと思う。

『新車販売』確かに大きな機能の一つなのだが、カワサキのユーザーやカワサキの仲間たちにとっては、『新車は一瞬』なのである。新車にナンバーを付けて走りだした途端に、それは普通のバイクになってしまうのである。

ユーザーがカワサキと付き合ってくれる時間は、圧倒的に新車以外なのだし、レースのメカニックグループなど1台のマシンに何人もの人が関わって、遊びやレースを楽しんでいるのである。この人たちは、カワサキのユーザーではないのか? 直接のユーザーではないが間違いなく仲間である。

そんな仲間たちとの生活空間の全てを、『グッドタイムに、いい時が過ごせるような』そんな仕組みの構築こそが、当時の『高い目標』だったのである。

こんな活動は必ず『カワサキのいいイメージ』に繋がり、『ブランド』として生きると信じていた。

 

 

 ★これは当時に作ったカワサキモータースジャパンのグループ紹介カタログからである。

バイクも、ジェットスキーも遊びの商品の性格が強い。

『ユーザーの満足が、全ての思考の基準です』

と高橋さんは言われている。

 

『Customer』 ではなくて、『カワサキのCS』のCは、『Consumer 』なのである。

日本の社会のCSはその殆どが 『Customer Satisfaction』 (顧客、得意先、取引先)なのである。

業界の満足を先に考える護送船団方式、、自らが取引先優先と宣言している、多分そこまでの関心がナイ、ただ惰性でCSと言っている程度なのだろう。

東京電力がその代表的見本なのである。

このあたりが日本社会、日本企業の体質のベースにあるような気がしてならない。

 

Consumer は明確に『消費者』なのである。 「販売店の満足」より優先して「消費者の満足」を考えるべきである。。

当時のカワサキの事業本部名はCP事業本部、そのCは、明らかにConsumer なのである。

20年も経って、何となくカワサキも、そんな基本的な理念の部分が希薄になってきたのではと思ったりもする。

 

 ★生活を創る 『カワサキモータースジャパン』 と謳っている。

20年経ったいま、この通りのことを言っても、尚時代の先端の発想と言われるかも知れない。

モーターサイクルは、東日本、東海、西日本の3社体制で、あとはジェットスキー、物流、コンシューマーサービス、ケイ、スポーツシステムの専門4社が、それぞれの機能のプロとなることを目指したのである。

特に遊びのソフト、遊びのプロを目指したソフト会社のノウハウが、20年経った今、NPO The Good Times で活きたりしているのである。

上の図の茶色の部分、クルマやジェットスキーを販売したのちの消費者の満足こそが、マーケッテングを担当する部門の責務であり、それこそがマーケットを担当する会社の存立価値なのである。商品を売るだけならそれは単なる売り子でしかないと思う。

カワサキの商品に対する満足は、むしろ開発やメーカーが主として担ってくれていて、マーケットでの活動を総合した『消費者の満足』こそがカワサキのブランド力を生む源泉なのである。

 

 

★当時のカワサキで力を入れていたのが、ショールームのネットワークだった。

日本の二輪車は、世界の超一流品なのである。その商品は、それに見合う日本の一流の場所で展示され、見られるべきである、と思っていた。

都会の、それも一流の場所で、二輪車が展示されていることは、一般社会への情報発信であり、同じ車に乗っているユーザーたちが胸を張れるサービスなのである。

それを意識して九州のIMSに展示場を常設したし、この年鈴鹿8耐で初優勝を飾ったのだが、スポンサーであったITOハムと協働でIMSでのマシン展示を行ったりした。

 

一番想い出に残っているのは、新宿のショウルームである。一階をショールーム屋上に上の写真にあるような看板を設置したので、カワサキのビルと思う人もいたようである。

新宿駅前からまっ正面に見えた最高の位置にあった。

 5時以降は、アフター5として、ARKと組んで直売にもチャレンジした。その時のお客さんの意見は今でも脳裏に焼き付いている。

ビックリするようなことを言うユーザーが居るのである。『オートバイ屋に行くのがイヤ』 サービスする店を紹介するというと『登録さえしてもらえばあとは何も要らない』 消費者の想いは様々なのである。価値観の多様さに対応する施策がなければと思う。

この数年、seaz companyのカバン屋さんと付き合ってみて、ビックリした。カワサキやホンダのバイクの販売台数は1000台を悠に超える。店もなければ従業員もいない。ネット販売オンリーである。今年からはアメリカからハーレーを輸入して売りだした。seaz company とお付き合いのある店は、どこもここもよく儲かっている。消費者の求める通りに動いているからだと思う。そのお客さんの中には、仙台の服部カワサキの息子さんが居たりするのである。

 

20年前にカワサキが企図した方向に一番近い動きをしたのが、その後のハーレーだと思う。日本の市場はハーレーに席巻されてしまったのは残念である。

20年前の時代を思い出しながらの感想である。

もう一つのブログのテーマは、『ソーシャルメディアと政治の課題』である。 政治のあり方も脱皮が求められている。

世の中はそんな時代なのである。

 

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平成5年(1993)、60歳還暦の年

2011-10-13 06:07:13 | 自分史

★自分史を書き始めて思うのは、意外に若い時のことはその年度ごとにもよく覚えているのだが、だんだんと年をとって現在と近くなるのに、時系列にあまりよく覚えていないのである。

結果を調べてみると、56歳から約8年間国内の二輪部門を担当して、64歳から66歳のまで、北海道川重建機と言う全然経験のない分野の経営を担当した10年間が、サラリーマンの最後の10年だったのである。

10年もあったかなとも思うし、10年しかなかったのかなどとも思うのである。多分それまでは長くても4年で職務が変わっていたのだが、

この10年間は、『二輪の国内マーケット』と 『他人資本の建機販売会社経営』というテーマで言えば二つだけだったので、短いようにも、長いようにも感じるのだと思う。

 

★平成5年、今から18年前の60歳、還暦の年、ある意味激務であった。全国を飛び回っていた。

バイクを売るという単純なことではなしに、『マーケットの構造や販売のシステム構造の改革』が一貫したテーマであった。

そう言う意味では、平成5年は新しい門出の年と言えるのかも知れない。

川崎明発、メグロ製作所の販売網を引き継いで、『カワサキ自動車販売』-『カワサキオートバイ販売』 とその社名を受け継いできたが、

ここ数年ジェットスキーの販売も増えたり、グループの中には、販売には関与しない『ケイ、スポーツ、システム』などと言うソフト会社が出来て、

末端のユーザーたちとのダイレクトコミユニケーションをいろんな形で展開し、そのトータルシステムで、自然に売れる仕組みの構築がテーマだったのである。

そんなことでこの年の1月1日に、『カワサキモータースジャパン』と社名変更し、国内グループの資本関係も抜本的にやり直した新グループが発足したのである。

この年から、平成8年まで、一貫してそのトータルシステム構築に邁進して、そこそこのところまでは出来あがっていたのだが・・・

『自然に売れる仕組み』などと言うのは、意外に理解されないことが多い。

日本人は特に額に汗して努力で積み上げるのが好きである。どちらかと言うと、『生産管理型』が似合っているのである。

 

★この年の12月31日の日記、順不同で私の10大ニュースとしてこんなことを書いている。

● 不況で終わった

● 円が一時100円に近づいた

● KMJ がスタートした

● KSP 、機能別ARK 、首都圏対策スタート

● 損益、台数とも楽ではなかった

● 鈴鹿8耐カワサキ初優勝

● ARKと東欧圏旅行

● 細川内閣スタート

● Jリーグ、サッカーブーム

● 息子に長男生まれる、娘、妊娠

と書いている。

個々にはちゃんと覚えているが、この年であったと言うことは殆ど記憶にない。こんな自分史を書いてみて、そうかそんな年だったのだと思うのである。

東欧の旅行は今でもよく覚えている。西欧とは全然違った、ブタペスト、ウイーンなど歴史を感じた旅だったし、汽車に乗れたのはよかった。

 

★この年の11月、KAZEの特集号を出している。

高橋鉄郎さんと、私のインタビューが載っている。こんなカワサキの時代だったのである。

 

★若いころから、何度も一緒にいろんなことに取り組んだ、上司の高橋鉄郎さん。

こんなインタビューをやる時も、デ―ラ―ミーテングの時も、いつも一切事前の打ち合わせなどなしだった。フリーで話して頂いて、100%大丈夫だったのである。

日本の経営者は常に数値目標などばかりを話したがるが、理念を語れる人は意外に少ないのである。

この高橋さんの話、今のカワサキの現役の人たちもよく読み返してみて欲しい。

20年も前、、カワサキは『好感企業』を目指して、そのブランドを大事にして、1975年からの『Good Times コンセプト』をベースの展開をしていたのである。

 

単なる販売会社から、常にコンシューマーを見つめて、その満足を第一義に全ての行動を展開していた時代であった。

今そのままのコンセプトで、

当時の仲間たちと一緒に、NPO The Good Times というトータルシステムで『新しい公共』を目指している。

このNPO法人の立ち上がりの時点から、高橋鉄郎さんには相談役をお願いしている。

設立以来2年経って

 

 

 このカード試案、今朝出来たばかりだが、

これは、孫中山記念会の理事長を引き受けられた田崎雅元さんと、具体的に動き出そうとしているのだが、

そんな原点が、この年、平成5年(1993)にあったのかも知れない。

『カワサキモ―タスジャパン』という社名、幾つもの案もあったのだが、当時田崎さんが推した案であったことは間違いない。

 

20年経った今も一緒にいろんなことがやれるのは、幸せである。

今年の春、3月4日、『カワサキの想い出、そして未来

高橋さんも、田崎さんも、こんな挨拶をされている。 Ustream で全世界に同時中継されたのである

(最初の20分ぐらいまで、・・・・後ろの方のメ―ちゃんのブランド論なども傑作です)
(NO2の平井さんのオークションも、一見の価値ありです) 

 

 

 

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ツイッター凍結されました。 ツイッター新しく立ち上げました。

2011-10-12 06:20:23 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★一昨日、突然NPO The Good  Times のツイッターが凍結されました。

その理由はJust Unfollowなどのツールを使っているからだということです。 1週間ほどで解除されるのかどうか?

よく解りませんが、よく考えてみると大したことでもありません。

これを機会に、また新しい展開を始めようと今は思っています。

 

★ツイッターのフォロワーを増やそうと決意したのは、昨年の5月からです。

潮流発電のノヴァエネルギーのフォロワーを増やそうと一緒に考えていたのですが、毎日1000人近くの人をフォローして、そのフォロー返しで、フォロワーを増やしていく方法は、大層時間が掛ります。とても普通に仕事を持っている人は大変だから、時間が有り余っている私が代わりにやりましょうと始めたのです。

増やす限りは目標10万人を狙おうと、毎日続けて約6カ月後の11月に10万人を達成しました。その後もそのまま続けて193000人を超えあともう少しで20万人になります。

その間、ツイッターの方で、変化があったように思います。多分全体の能力に余裕がなくなってきていて、沢山のフォロワーを増やされると困るのではと思ったりします。

旧方式では、アンフォローの人たちをリストを作ることで判別できたのですが、強制的に移動させた新しい方式ではその判別が出来ないのです。そのためにやむなくツールを使っているのですが、それを使うことは違反だというのです。さらに手動で1日に大量にフォローするのも違反なのだそうです。それならなぜ1日1000人近く物理的にフォローできるシステムにしているのか、不思議です。

20万人近いフォロワーは、NPO The Good Times としては会員さんのツイートをリツイートすることで、それなりに機能してはきましたが、会員が3000人も超え今後1万人を狙うレベルになってくると、現実にツイッターをされる全ての会員のツイートを、見逃さずに『リツ―ト』することも、物理的に難しいかなと思っていた矢先でした。

 

★これを機会に、新しい展開に入りたいと思っています。

1週間たって、若しツイッターが復活しても、ちょっと別の方策に切り替えたいと今思っています。

2年前と違って、NPO The Good Times 自体も、ホントに『新しい公共』のレベルに入ろうとしています。

Facebook などの新しいネットツールも出てきました。

海外展開も現実になりましたし、『孫中山を語る会』などの兵庫県が直接絡んでいるような組織グループや

e-まちネット@みき』のようなボランタリー活動プラザみきや、

昨日のような神戸電鉄粟生線問題などのグループとの関係が出てくると、時間的にツイッターにそんなに多くの時間を使うことも無理なような気もします。

現実に、昨日からツイッターが凍結されて、ぐっと時間に余裕が出ました。お陰さまで昨日は2カ月ぶりにプールに泳ぎにも行きました。

 

個人レベルで、こんなツイッターも新しく立ち上げました

作ったばかりなのに、もう沢山の方からフォロー頂きました。有難うございます。どんなコンセプトでこのツイッターを展開するのかまだ決めていませんが、個人レベルなので楽しくやりたいと思っています。

 今は、たまたま、空白になっている会員さんのツイッターも、それが凍結されているわけではないので、技術的に簡単に復活可能です。ここに登録されている会員さんのツイッターは100人ちょっとですから、また別な方法で、お互い私の19万人を頼らずに、『みんな繋いでリツイート』すれば、2000人を100人集めたら20万人ですし、5000人以上のフォロワーもお持ちの方もいますから、新しい仕組みを造ればいいなと思っています。

 

★世のなかに、あまり大変なことなどはないのだと思っています。みんなどちらかというと『大変だ、大変だ』と騒ぎ過ぎです。

今回の東日本の大震災や、昭和20年の敗戦ぐらいが大変な出来事で、あとはそんなに大したこともなかったように思います。

全て、冷静にそれをいい転機として前向きに捉えるようにすればいいと思っています。

そんな転機の機会は、身の回りにいっぱいあるのですが、みんな見逃したり、いつまでも同じ発想で繰り返すので進歩がないのではと思います。

 

ある意味、『反省が全然ない』と  性格テストに現れてしまいます。

今回の、ツイッターの凍結でも1日で、新しい方向に転換しました。

仮に復活しても、また違うコンセプトで対応しようと思っています。

 

 

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ふるさと線を守る会

2011-10-11 06:38:42 | みっきぃふるさとふれあい公園

★日本の鉄道は新幹線に代表されるように、何と言っても世界一の技術と安全性を誇っている。

ただ速いばかりで周辺技術やソフトノウハウが伴っていない中国の鉄道などとは、レベルが違うのだろう。

ただ、主要幹線はそんなに高いレベルを保っているが、

地方には赤字路線で廃線候補に挙がっている鉄道もまた多いのである。

ふるさと線を守る会 などという会が各地に出来て、廃線になろうとする線を必死に守っている市民活動もまた活発のようである。

 

★そんな中で、神戸電鉄の粟生線が廃線候補に挙がっていて、小野市、三木市、神戸市など沿線住民の間でも何とか守ろうとする動きが始まっているのである。

これは、簡単なようでなかなか解決の難しい構造問題なのである。

神戸電鉄、全体の経営としては1億弱の黒字だが、鉄道関係だけでは4億の赤字、粟生線だけ取り出すと10億~12億円の赤字だというのである。多分このまま放置するとその額はどんどん増えるに違いない。鉄道などは公共問題だから、補助金を出してでも維持するべきだという理屈もあるが、国としても延べ700万人の乗客のある神戸電鉄にいつまでも補助金を出し続けてはおられないというのも理解できる。

然しこのままではどんどん赤字は膨らむばかりだろうから、神戸電鉄の経営陣も廃線を口にするのも解らぬではない。経営の合理化を考える術も多分あるだろうが、周辺行政や市民の協力なしにはまた難しいというのも事実なのだろう。

そんなことで何年も前から『粟生線活性化協議会』なる組織体で官民一体で、検討を続けてきたのだが、もう一つすっきりした応えも見つからずに、今回は別に行政の市長や神戸電鉄経営陣も入った、『神戸電鉄粟生線存続戦略会議』なるものを立ち上げて検討に入っているのである。

 

★そんな状況の中で、『地域のサポーター制度』を創設して、支えたらどうかということで、

既に『ふるさと線を守る会』という市民組織を持っている東京や和歌山の先輩格の人たちを招いて、意見を聞こうと

『ふるさと線を守る会と粟生線沿線市民との交流会』というのが企画されて、昨日それに出席してきたのである。

 

なぜ? ちょっと経緯があって、昨日の朝、神戸電鉄粟生線問題というブログをアップしたのでだが、

たぶん、それをご覧になった板東さんが、Facebookで『おいでになりませんか?』とお誘いがあって出かけたのである。

会場は有形文化財に指定されている旧玉置邸である。

まつりのシーズンで秋まつりで飾られていた。

そんな奥の部屋で、東京からわざわざ来られた『ふるさと線を守る会東日本の藤代さんのご挨拶から始まった。

7人ぐらいしか集まらないのでは、と事務局は思っていたようだが、

こんなに沢山集まって、三木市からも筆頭幹部の方が出席されて、いままでの取り組みの状況などを説明されたし、三木を始め小野、神戸市の市議さんたちも出席されていた。

 

★いろんな意見が出されたが、それで解決するという具体的な案などはお持ちになっていないのである。

三木市も4万を超す署名が集まったとは言うが、その人たちが全て税金を負担してまで神戸電鉄を支えるかと言うとそれは別問題である。

署名をした人=税金で支える覚悟有 という構図にはならないはずである。

 

幾らかでもいい。自ら負担してでも粟生線を残す事に協力するという人たちを集めることである。

和歌山では一人1000円の負担する人たちを集めたそうである。そのあたりにヒントがある。

今度は11月3日に、『粟生線の未来を考える会』を立ち上げて、具体的な行動を提起するということだった。

 

三木市や小野市にどのくらいの覚悟があるのか?

市民の会は、どんな人たちがその核になるのか?

それが確りしていたら、NPO The Good Times はそれが仮に少数でも、応援しようかなとは思っているが、

本当に超党派で、本音で『粟生線を残そうという気持ちがあるのか? そこのところがkeyだろう。

 

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レース界のお付き合い

2011-10-10 06:13:39 | M/Cレース

★今から言えば、もう50年も前のことですが、

そのころのレースの世界にいました。

今のレース界と比べて、ライダーたちの数も少なかったからか、

メーカーよりは各クラブ単位の活動も盛んで、横の繋がりも今よりは密接であったのかも知れません。

 

この写真は、今年3月4日に、『カワサキの想い出そして未来』と題して行った催しの時のパ―テ―での写真ですが、

私にとっては懐かしい顔ぶれが並んでいます。

 

この催しにはこのほかにも、山本隆君や、清原明彦、和田将宏、塚本昭一などなど有名ライダーがいっぱいでしたが、

このメンバーもまた最高です。

左から金谷秀夫(カワサキ、ヤマハ)、星野一義(カワサキ、日産)、木村夏也(カワサキ、スズキ)、私、吉村太一(スズキ、ホンダ)、田中隆造(BS)そしてホンダのファクトリーに関係していた渡辺さん.

みんな、活躍した年代は同じです。

ホンダ、ヤマハ、スズキ、BS、と日本の4メーカーのメンバーが集まった『カワサキの想い出』であったことが自慢です。

みんな有名人ですが、田中隆造君は今もMFJのモトクロス委員長などされていますから、若いライダーの方もご存じだと思います。

 

★なぜ突如として、こんな写真を思い出したのかと言うと、

Facebook で昨日、一昨日にこんなライダーたちと再会しました。

この3月4日の催しに顔を連ねていても、決して、おかしくないライダーです、

 

●北川圭一君。 

世界耐久レースの2年連続チャンピオンだとか。 私は彼がそんなに立派になっているのを知りませんでした。

京都の『ヨシケン』のチームからカワサキのチームグリーンに来た頃の初々しい北川君をよく覚えています。カワサキでも活躍しましたが、スズキさんに移ってからの活躍が見事です。

ひょんなことで、Facebookで繋がりました

 

●宮崎祥司君、武石伸也君。

カワサキでのお付き合いは、そんなに長くはなかったのですが、

宮崎君はホンダからシリーズチャンピオンからのカワサキ移籍でしたし、武石君は北海道札幌出身が印象に残っています。

Facebook 触っていたら、吉村太一君も。塚本昭一君も参加されたようなので、『トモダチ申請』しておきました。

 

★昨今、日本でもFacebook が急激にブームのようなのを実感します。

実名登録なのがいいと思いますし、一人からどんどん繋がります。

日本でも、もう1000万人を超えたようですから、スゴイなと思います。

 

もう何十年も前の人たちと、簡単に再会できるのがいいですし、レースの世界のような、独特の繋がりがある世界にいたことに感謝です、

 

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橋の科学館と・・・

2011-10-09 06:37:18 | NPO The Good Times

★神戸の舞子公園にある『橋の科学館』に行きました。

別に『橋の科学館』に目的があって行ったわけではないのですが、『孫文記念館』に所用があって出かけたのですが、早く着いたのでちょっと時間調整をしたのです。

このような施設には、いつでも行けるようでいけないものです。

行ってみてよかったと思いました。初めて知ったことも幾つかありましたし、新発見も幾つかありました。

百聞は一見に如かず です。

 

写真はいっぱい撮ってきました。

Facebook のアルバムに入れましたので、ご関心のある方は、そちらをどうぞ

 

 

★同じ場所を北と南から撮っています。

上の写真は北から、舞子駅から、下の写真は、南、海の方からの写真です。

いずれにしてもJR舞子駅を降りると直ぐヨコにあります。

 

最近になって『孫文記念館』に関係が出来たので、何回かこのあたりに来ているのですが、

若し、そんなご縁がなかったら、訪れることはなかったと思います。

周辺も、科学館の中も、日本人よりは外国人の方が多かったのは、ビックリしました。中国人の観光客が目につきましたし、ギリシャからの団体さんがいっぱいでした。

入館料は、300円です。『年寄りも一緒ですか?』 最近はどこも割引があるのが当然のようなご時世ですが、戻ってきた答えは、『民営ですから。』

『へえ、民営?』と思ったのが実感です。戻ってから検索で調べてみました。

『橋の科学館』はこんなホームページをお持ちで、確かに民営のような気もします

チェックし出すと、どんどんハマっていく性で、社長さんの素性など調べてみたら、ご出身は国交省でした。

別に驚きもしませんが、受付のお嬢さんは、なぜわざわざ『民営ですから』と言われたのでしょうか?

 

 

★明治の時代から構想があったようです。

構想ぐらいは、明治の時代でも納得できました。

★最初の計画は垂水、岩屋ルートで、現在の舞子、松帆ルートに変更があったことなど知りませんでした。

いつ頃だったのか、定かには覚えてはいませんが、非常に身近な例でこの橋との関係したことがあります。

ずっとお世話になった、高橋鉄郎さんは私と同じ、明石の会社の社宅だったのですが、昭和40年ごろに舞子から垂水にかけて開発された新興住宅地に移られました。

昭和46年ごろまではそこにお住まいだったのですが、『橋がどこに付くのか解らない』という理由で、今の芦屋に転居されたのです。

確かに橋の付く位置が噂はあれど、はっきりしなかったのだと思います。

★これは、これでいい景観だと思いますが、こんな巨大なモノが自宅の横を通ると大変です。

3連休で沢山の方でいつも静かなこのあたりも賑わっていました。

今年は10月10日、明日ですが、孫文の辛亥革命100周年で、孫文記念館の関係も、いろいろな行事があるようですし、

観光客の誘致も、考えられているようです。

 

『孫中山を語る会』が立ちあがり、正式にNPO The Good Times に参加されました

当面は1万人、将来10万人を目標に、新たな活動を開始されるようです。

神戸だけではなくて、横浜も、長崎も視野に入れて、日本だけでなく台湾も、中国も視野に入れての活動を夢見ています。

十分にそのコンセプトに耐え得るトータルシステムに仕上がっています。

NPO The Good Times の今年の目標は『新しい公共』です

 

 ★孫文記念館には、そんな用件で、お訪ねしたのです。

またそのうちに、来ることになるかも知れません。

 

 

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バラを育てる

2011-10-08 06:42:56 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★『バラを育てるのは難しい』 とよく言われる。

もうバラと付き合って10年に近くなるが、

正確に言うなら、『することさえしたら、バラなど難しくはないのである。』

ただ、ちゃんと剪定をする、消毒をする、水やりを上手にする、施肥を欠かさずやる、そんな一つ一つのことはそんなに難しくはないのだが、

なかなかちゃんとやれないのである。

 

今年はバラを育て出して、一番何もしなかった、サボったシーズンであった。

確り育っている旧い薔薇は、少々放っていても、ちゃんと秋バラの蕾も付けているのだが、この春苗を買ってきて新しく植え増したバラは何本も枯れてしまった。

夏前まではちゃんとしていたのに、夏の暑さと、水やりをいい加減にしたのがいけなかったのだと思う。

 ★何でも『年々立派になる、育て甲斐のあるもの』は好きなのである。

だから、園芸でも1年草にはあまり興味がない。

バラでなくても、植木でも育てたら年々立派になるから、やる気が出るのである。

『育てる』ということは、全てを育てようとするとみんなダメになってしまう。

育てるモノと捨ててしまうモノとを見分けて、育てるモノを特定しなければならない。それが剪定なのだと思っている。

草を抜くのは、草を育てる意思がないからだろう。

 

草抜きも剪定も嫌いではないのだが、今年サボってしまっているのは、

それ以上にオモシロイモノに出会っているからである。

 

1日は24時間しかないので、どちらかに行くと、どちらかが抜けてしまう。

ゴルフも、バラもその順位が少し後退してしまっているのである。

 

 

★いま、力の入っているオモシロイことは、 ネット関係のFacebookやツイッターそしてブログなど、

それを繋いでいるNPO The Good Times のシステムが機能しだして、いろんなモノが動きだしているから夢中になってしまうのである。

別に、それで金儲けになるわけではないのだが、

自分が仮説を立てた通りの動きをしたりすると、それは無性にオモシロイのである。

一言でいえば、マーケッテングの分野だが、構想を立てる、自分で絵を描くという意味ではバラもよく似ている。

 

★これは秋には花を付けない蔓バラだが、いまはまだ新芽の新しい枝は上手に育てると何メートルにも伸びる。

それを冬に横に寝かしたら、来年の5月にはその枝に一斉に花が付くのである。

どのあたりに、どのように花を咲かせるかは、まさに絵を描く心境なのである。

 

昨日は、ちょっと心を入れ替えて、1時間ばかり庭の手入れをした。

やればそれだけの成果は出てすっきりするし、植物は正直に応えてくれるのである。

気候もよくなるし、今から秋バラのシーズンである。

ちょっと気分転換して、毎日土いじりをすることにする。

 

 

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中小企業大学での講義の資料から

2011-10-07 06:15:03 | 自分史

★平成4年当時、カワサキのマーケッテング活動は、世の中で注目されてた。

商品に恵まれたこともあったが、ホンダさんを上回る実績を上げたりして、当のホンダの佐藤英明さんなどからも、いろいろ褒めて頂いたりしたのである。

日経各紙から何度も取材を受けたりしもした。

立教大学の中江先生は4輪の国際A級か何かの資格も持っておられて、カワサキのX11をTIサーキットで乗られたり、SPA直入りにも来られたりしたのだが、

元々は『共感企業の時代』、『エクセレントカンパニーよりはグッドカンパニー』という先生の研究課題にカワサキグループの活動そのものが合致していると評価されて、東京で高橋鉄郎社長と二人でインタビューを受けたのが最初なのである。

服部吉伸先生は、評論家として本を書かれたり、中小企業大学関西校の先生もされていたのだが、ひょんなことで、お付き合いが始まって、中小企業大学での先生の担当時間に『カワサキのマーケッテング戦略の実際』を講義して欲しいと依頼されて、何回か講義をさせて頂いたともある。

 

いずれにしても、単なる売上台数などではなくて、そのマーケッテング戦略の実際を評価頂いたのは、非常に嬉しかったのである。

 

★このコピーは全54ページに及ぶ講義内容の資料からの抜粋である。

  

 

『総合的な新しい仕組みの構築』こそが、マーケッテングという分野を担当するプロ集団に相応しい仕事だと信じていて、その実現に集中して対策していたのである。商品がよかったこともあって、販売に対しては殆ど力を注がなかった、などと言うともっと汗して売れと怒る人もいるのである。

上の表にも『商品開発』はトップ項目なのである。間違いなく仕組みの重要な要素で、いい商品は放っておいても幾らでも売れるのである。売れない商品などを売るのがセールスなどというのは暴論もいいところで、ユーザーを騙せと言っているに等しいのである。

・・・が、どうも一般にはセールスの努力の集積で、汗をかいて、歩きまわってモノを売るスタイルの方が単純で解りやすいのである。どうも日本人にはその方が理解されやすい。

特にアメリカは、システム型、ヨコ展開であり、日本は努力の積み上げタテ型なのである。

いい仕組みさえ作ったら、そしてその個々を担う機能が十分に機能さえすれば、自然にモノは売れ経営は安定するのだと思う。然し『仕組みの構築は、なかなか難しくて、確り考えなければ、ソフト、ノウハウの蓄積があり、且つマーケッテングが出来ていなければ、それは不可能なのである。

 

 

★世のなかの法人と称するモノには、必ず貸借対照表がある。 幾ら売って幾ら使って幾ら儲かったという損益計算の方が単純で解り易いものだから、みんなそちらの方に興味が行ってしまうのだが、実際の経営に役に立つのは貸借対照表の方で、その裏の方までヨメるか、ヨメないかなのである。

これは現役当時私が常に思っていた貸借対照表である。数字の部分はその裏の含み益や含み損を、いちばん重要と思っていたのは数字以下の項目なのである。これが大きくない限り販売会社などの将来性はないと思っている。

損益計算書などその一瞬の数字なのである。

 

若し経営をなさっている方は、自分の会社のバランスシートをこのような形で、考えてご覧になればいい。

ブランド力やイメージは、将来の力であり過去に積み上げてきた努力の集積なのである。ただ、ブランド力もイメージもナイ会社も現実には存在する。戦略的な情報発信のないところにはイメージすら存在しないのである。

兎に角、お金以外のソフトノウハウ、或いはブランド力をどうつけるかがキ―なのだと思っている。そのためには人材育成こそが力なのである。

どちらかが一方的に付くなどとは考えにくい、左と右とは間違いなくバランスしているのである。人が育ってない企業や行政に左のような蓄積がないのは、当然なのである。

 

★今、私たちが関与している。NPO The Good Times も小なりとは言え法人だからバランスシートはあるのだが、

極端に言うと左側には現金預金だけ、右は資本金と剰余金だけでバランスしていて、固定資産もゼロ、銀行借入金もゼロ、その金額も大したものではない。

然し、ソフトノウハウ、システム仕組みだけは、結構あると思っている。これが=将来への可能性なのである。

 

この法人の収入は団体会員の入会金1万円、個人会員の入会金1000円だけなのだが、、個人の入会金は沢山頂いても余ってしまうので、集めて頂いたところに助成金としてお返しする仕組みなのである。

ホントか?と思われるがほんとである。

一昨日は田崎さんと会って、『孫中山を語る会』という新しい発想の会を創って、オモシロくスタートすることにした

県の知事さんなども参加されている立派なところと、十分に協働出来る可能性を有している。若しちゃんとしたソフトノウハウ、システムがなければ、それを利用してみようなどとは決して仰らないのである。

『孫中山を語る会』の発想も、今は田崎雅元さんお一人が参加のシステムだが、世界を見つめてのスタートなのである。 オモシロそうだから、お手伝いしようと思っている。

お互いが『協働出来る』と思えるシステムに仕上がっている。

 

★具体的には、

今度、参加された『孫中山を語る会』は将来万を集める『新しい公共』だから、NPOの規定で1000円の入会金の内90%の900円を助成しようとしているのである。仮に1000人集められたら100万円、そのうち90万円を支援しようというのである。

大体世のなかのNPOは行政や企業からの助成金や寄付金で成り立っているところが殆どである。

NPO The Good Times はその逆、行政でも、企業でも、グループでも、『いい活動をされるところ』には、支援しようというNPOなのである。

そんなこと出来るか? 実際に出来ているのである。

支援の額も何万円ではない。昨年度でも100万円を超えたし、東日本大震災にもちゃんと寄付を送ったりした。ネットという無料のシステムでの展開だから、月の経常経費は5000円しかかからないから出来るのである。

そして、NPOという幾らお金が貯まっても、配当などで分配出来ない、給料を払わなくてもいい非営利活動法人だから出来るのである。

日本だけでなく、世界に展開できるし、100人でも1万人でも、100万人でも大丈夫である。

少々大きくなっても、ばたばたしなくていい。月に一度理事さんたちが集まって雑談まがいの楽しい会合をやっていれば、どんどん進化していく、不思議な仕組みに仕上がっている。

NPOが仕組みそのものだから、そのレベルを高めることだけに集中していればいいのである。

 

★ちょっと脱線したが、当時のソフト会社も、同じことを考えていた。

今のNPOは、当時のケイスポーツシステムの発想の延長線上にある。

メンバーもそのころの経験のある、ソフトノウハウのプロが揃っているし、ネットシステムを担当してくれているのは、ホントにネットのプロなのである。

広告のプロも、物流のプロも揃っている、

『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しくいい時を過ごそう』が基本コンセプトである。

20年前も楽しかったが、今も夢があって結構楽しいのである。

Facebook のお陰で20年前の人たちに再会したりした。Facebook おやりの方は、『古谷錬太郎』で検索してください。直ぐ再会して繋がります。

 

 

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平成4年(1992)59歳会社勤めはあと何年か?

2011-10-06 06:14:37 | 自分史

★ この年も会社の業績は全然問題もなくよかったのだが、59歳という年齢は非常に微妙な年齢なのである。

当時は職位は理事にはなってはいたが、その任期は翌年6月までである。

この年の6月の人事が極めてややこしくて、所謂役員登用か退職になるかの別れ際なのである。自分自身よりもむしろ周囲の方の関心が高かかったのである。当時の事業本部長は高橋鉄郎さんで、次の事業部長は二人というわけにはいかないのである

私自身は、業績好調で日経などの取材に追っかけられたり、立教大学の中江先生や、中小企業大学の服部先生などからも注目されたり、

関東サーキットの件では、自民党の副幹事長をされていた山本富雄さん(山本一太さんのお父さん)の依頼で松井田町のサーキットなどもあって、単にバイクを販売するということではなくて、いろいろ手を広げていたのである。

ジェットスキーが売れだして、カワサキオートバイ販売という名前もそぐわないし、グループ全体の再編など、上場しようかなどの話もあったりして、自分のことなどあまり構っていられないほど忙しかったのである。

 

★それでも、ニューヨークに行ってる田崎さんが戻ってくるとか、私自身に「建機の噂があるよ」とか、周囲は非常にやかましかったのである。KMCから戻ってきた百合草君はこの4月にジェットへ異動しているのである。

4月に或るパ―テ―で大庭さんから、『お前は販売のプロだから』などと訳の分からぬ話があったりしたのだが、5月になって『技監』という役職を頂いたのである。 流石にビックリした。

大体『技監』という役職は博士号をとった技術屋さんや、官公庁からの天下りの技術屋さんを役員待遇で処遇するもので、事務屋がそれも技術は全くのオンチの私には甚だ似合わぬ職位なのだが、こんな人事をされたのは、まさに大庭さんらしくて、『お前は販売のプロだから』と言うことで押し通されたたのだと思う。

川崎重工業で初めての事務屋の技監だったのは、『マーケッテング』の分野を「専門知識」と会社が認めて頂いたということで大満足だったのである。

同じ時期に役員になった田崎さんが、彼は私が技術知識は全くないのをよく知っているものだから、『あなた名刺の裏の英文は何と書くのか?』と冷やかすのである。彼は噂通りニューヨークから戻ってきて副本部長に就任したのである。

田崎さんとは若いころからずっと一緒にやってきたし、気心も解っていたのだが、私の方が1年だけ年次が上だモノだから、当時も非常に気を遣ってくれたりした。(田崎さんは川崎重工の社長まで上り詰めたのだが、2輪部門の出身者が重工業の社長になったり、後造船工業会の会長などもやって、なかなか異色なのである。今年から『孫中山記念会の理事長』を引き受けているのだが、NPO The Good Timesのシステムを使って、活性化を図りたいと言われるので、手伝うことにしている。 実は昨日も半日その構想の打ち合わせをしてきた。全く20年前と同じ雰囲気で一緒にやれるのがいいと思っている。)

然し、この人事は非常に有難かったし『マーケッテング』のソフトノウハウを認めて頂いて、事務屋にも技監という道が開けたのは、非常によかったと思っている。その後私の後にも事務屋の技監は何人か実現したのである。

社内よりも、霞が関の中央官庁で『技監』の名刺は非常に役にたった。 天下りした官僚の先輩の肩書が『技監』であったりするので、何かその人たちと同列に見て頂けるのである。 特に『官』でなく『監』は役所では、警視総監の『監』なのである。オモシロイモノだと思った。

高橋鉄郎さんには、いろいろ気を遣って頂いて、カワ販を上場してなどと云われていたが、私自身は折角気楽に自由にイケル販売会社をややこしい上場会社にすることなど、あまり興味はなかったのである。

 兎に角、64歳まで定年としては延長、あと5年間延びたのである。

そしてさらにそのままの職位で、札幌の北海道川重建機建機の経営を頼まれたのである。

川重の職位などには全く関係のない、子会社ではない関係会社だったのである。給料もそこの専務さんの給料が高かったので、それより低い訳にはいかぬと、川重よりちょっとよかったりしたのである。そして、さらに3年間その会社レベルでの顧問料を頂いたりした。

この年から、ちょうど10年、所謂天下りでなくて、最後まで請われて仕事が出来たのは幸いであったと思っている。

 

★そんなその後の10年の進路を分けた、微妙な1年だったのだが、

●関東の松井田のサーキットについては川重の経営会議も通っていたし、山本富雄さんの後押しもあったし、松井田町長以下がまちの命運をかけての事業であったことなどから、この年ぐらいまでは、誠に順調に推移していたのである。

●レース再開3年目であったが、モトクロスは4種目でシリーズ優勝、ロードレースも、塚本、北川のコンビでシリーズ優勝

●新宿や札幌のショールーム展開

●ケイ、スポーツシステムを中心rとする『イメージ戦略』は業界や日経や、立教大学の中江先生の『好感企業の時代』の研究テーマになったり、服部吉伸先生からは、中小企業大学での講義を頼まれたりした年で、前年7万台の目標も達成して、この年が絶頂期だったのかも知れない。

●カワサキオートバイ販売グループは、過去の非常に悪かった時代のままの構造だったので、ジェットスキーも伸びてきたし、この際上場を含めての構造対策が後半は検討されたのである。

売上高は500億円に近かったしグループの規模としては、上場してもおかしくはない規模にまで当時はなっていたのである。

そして翌年1月1日、『カワサキモータースジャパン』と社名も変更し、ややこしかった資本関係も整理して再スタートしたのである。

これらの具体的な話は、また別途、書いてみたい。

 

★個人的には結婚30周年を迎えて、家内とオーストラリアを旅した。

ケアンズも、ブリスベーンも、ゴールドコースも、シドニーも、ブルーマウンテインなどオーストラリアの名所と言われるところをすべてレンタカーを借りて自分で好きなように回ってきた。

当時、ヤマハさんとは、ジェットスキー関係でPW安全協会を一緒に立ちあげて、私はその会長を引き受けていて、仲がよかったので、オーストラリアの最高のヤマハさんのマリーナを紹介して頂いて、最高の席でのディナ―を頂いたりした。

日本人は二人だけあとはみな外人ではなくて現地のお金持ちの中での食事はよかったが緊張もしたものである。

息子には子供が出来たというし、娘はこの年結婚をしている。

娘は、叔母たちに結婚式の当日ちゃんと家で挨拶したかなどと冷やかされていたが、そんなことは一切なかったし、私も娘を送り出すのに特に感慨もなかったような気がする。その日の朝、何年か前に娘と拾ってきた犬のコロの散歩を一緒にしたぐらいのことである。

息子の結婚式は仲人もおらない人前結婚だったが、娘は結婚がしたいのか結婚式がしたいのか?というほどいろんなことに入れ込んでいたように思う。

この1年、公私ともに一つの区切りであったのかも知れない。

 

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舞子高校環境防災科

2011-10-05 05:13:30 | 発想$感想

★三木のさんさんまつりで出会った舞子高校環境防災科

一昨日のブログにこんな風に記述した。

 

舞子高校がどのような活動をしているのかは、短い時間でよく解りませんでしたが、

環境防災科』は日本で初めてという、生徒さんの言葉と、実験みたいなことをやっている、態度まなざしの真剣さが印象的でした。

写真を撮って、明日広報しとくからと生徒さんに伝えてきましたが、どの程度信じて頂いたかは解りません。

そんな約束をしたので、ちょっとだけですが書いておきます。

日本で初めてということは素晴らしいことです。

  

 

★ほんのちょっとだけ立ち寄っただけ、NPO The Good Times の名刺を生徒さんの一人に渡して置いたのですが、

昨日の留守中に家に電話が入っていました。

この写真に写っているW先生からのお礼の電話でした。

 

NPOのホームページも、二つのブログもご覧になったようです。

舞子高校など全然知らなかったのですが、『環境防災科』は全国初めてで、今も全国に一つしか無いようです。

そういう『差別化された』ことは大好きですし、関心もあります。

学校のホームページも、改めて見てみました。

次の様な記載がありました。

 

舞子高校に環境防災科を設置することが決まったのが平成12年(2000年)3月。4月から2年間の研究・準備期間を経て平成14年(2002年)4月から本格的にスタートした。防災教育を推進する全国ではじめての学科であり、このような学科が被災地神戸に設置される意義は非常に大きい。兵庫県では阪神・淡路大震災以降、命の大切さ・助け合いのすばらしさなど、震災の教訓に学ぶ「新たな防災教育」を推進してきたが、それを高校の専門学科で展開しようというものである。

専門科目一覧
学年必修科目選択科目
1年 災害と人間
環境と科学
防災情報
 
2年 社会環境と防災
自然環境と防災
アクティブ防災
人と社会
環境防災講読
3年 卒業研究
社会環境と防災
自然環境と防災
アクティブ防災
防災情報
防災ワークショップ

舞子高校は、震災直後から市民救命士(心肺蘇生法)の資格取得に全校でとりくみ、教育委員会が作成した防災副読本「明日に生きる」の実践事例集づくりにも参加するなど、県内の高校では先進的な実践を進めていた。被災地に位置する学校で、防災教育の実践があり、屋上には防災型のソーラーパネル(NEDO:新エネルギー開発機構)が設置されているなど、学科設置の条件がそろっていた。

防災教育を専門に行う学科は全国に先例がなく、教育課程の編成は試行錯誤を重ねた。研究担当の教員が大学を訪ね、防災会議やセミナーに出席し、書籍を読み、行政の防災セクションの助言を仰ぎといった作業を積み重ね、何とかカリキュラムの形を作ったのが平成12年(2000年)11月。教科は「環境防災」、科目は「災害と人間」「環境と科学」「社会環境と防災」「自然環境と防災」など、すべて学校設定科目とした。

防災教育を学校の核に据えるため、環境防災科設置に向けた研究とあわせて震災メモリアル行事「阪神・淡路大震災を忘れない~21世紀を担う私たちの使命~」を1月17日前後に開催してきた。このとりくみは平成17年(2005年)1月で5回目を迎えた。また、年に5回、学期末に行う避難訓練に防災教育をドッキングさせ、HR単位での防災学習と全校生への震災体験の講演や生徒の発表を取り入れてきた。

防災にかかわるさまざまな機関の理解・支援と阪神・淡路大震災を継承・発信しようとする多くの専門家の援助を得て、何とか先の見えるものとなってきたのが、学科スタート直前のことであった。

平成16年度(2004年度)に3学年がそろい、平成17年(2005年)春、最初の卒業生を世に送り出した。

 

 

★全国、一つだそうですし、ユニークです。

発進されるニュース、情報の類もなかなかオモシロそうです。

これも多分日本で唯一の放射能ウオッチャーさんと繋がったりしたら、オモシロイと勝手に思ったりしています。

太陽光発電もやっておられるようですし、武雄市とも繋がるかも知れません。

9月からブログも発進されたようですが、そんな情報発信ならいろいろお手伝い出来るかも知れません。

NPO The Good Times でも応援してあげたくて、こんなブログを発進しています。

 

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政治家&お役人雑感

2011-10-04 06:56:45 | 発想$感想

★政治家もお役人とも、現役の頃は、どちらかというとあまり関係なく生きてきたのではないかと思っている。

二輪車の世界にいて、安全運転など警察関連の方との接触は結構あったが、

所謂お役所とのお付き合いではなくて、お互い協働関係にあったことの方が多かったのである。

政治家や役所の方たちと接触したのは、むしろ定年後この4、5年の話なのである。

霞が関の官僚の方とは安全運転で意外に多く接触があったのだが、『やはりよく出来るな』という印象が一番強かった。お役所仕事という世のなかで言う印象とは極端に違っていた。

市役所や、町役場の方が、そうかなと思っていたが、実際には関係がなかったので解らなかったというのがホントのところだろう。

極く最近になって、特に三木市役所の人たちと付き合うことが多くなっての印象は、役所に勤めている個人一人一人は優秀で、いい人ばかりで、文句を付けるところは少ないのだが、全体となった役所を見ると、どうも活気も熱意もあんまりなくて、沈滞ムードなのだが、

これは体質なのか、トップが悪いのか? どちらかというと後者かな? と思うようになったのである。

 

★この原因は、佐賀県の武雄の樋渡さんや、大阪の橋本さんなどの動きを見ていると、明らかにトップが変わると、行政自体も変わって、元気になるからである。お役人というか職員の質はそれなりに揃っている。

お役人の給料が、高いの安いのという議論に直ぐなるが、給料に見合うプロとしての働きをしたらいい、或いはさせたらいいのにと思うようになっている。

霞が関の官僚を動かすのは、政治家である。 だけどこの数年、政治家のトップ、総理大臣がダメだったと言わざるを得ないだろう。

野田さんは? 

先日来ずっと書いているように、野田さんはいいのでは?  と思っている。

先日も 『公務員の庁舎止めたりしたら、最高だが・・・』と書いたりしたのだが、昨日のニュースではちゃんと凍結の結論である。

なかなか、『読めている』と思う。

総理大臣が頑張れば、国がよくなるのだから、『いい判断をした』ときには、評論家たちも下手に文句を付けずに、拍手を送ってあげればいいのにと、思ったりする。

 

★昨日は兵庫県で、県庁に関係のある方3人とお話しする機会がった。

実は、兵庫県の方とは初めてみたいなものである。現役のころから、県には何故か縁がなくて県庁に行ったのも、NPO法人を作ってからなのである。昨日もそのNPO The Good Times 関連であった。

 

最初にお会いしたのは、もう引退されてはいるが、元副知事さんである。

『孫中山記念会』の理事長が田崎さん、副理事長がこの方である。

NPO The Good Times のことを聞きたいとのご希望でその説明に伺った。1時間ちょっとの時間だったが、大丈夫ちゃんと理解をして頂いた。

このNPO 世のなかには存在しないような性格の『システムそのもの』なので、理解頂けるかな?と思っていたのである。

理解をされたことと、『孫中山記念会』としてどう対応するかということを、きっちり分けて理解をして頂いたのは、流石だと思った。

NPOの理事さんたちも、2年を経過してやっと解ってきたというのが実態なのである。

 

★その帰りに、県庁によって、県民文化局の協働推進室のNPO法人係を訪ねたのである。

先日たまたま、電話で、NPO The Good Times のことについて質問の電話があって、説明しているうちに、ご本人が共感されて、個人会員に入会されたのである。 そのお礼もあったし、『新しい公共』についての意見交換もしたかったのである。

めちゃ、いい話が出来た。所謂雑談だが、理解も深まったし、ホントに『協働』も出来るのかなと思ったりした。

気に行って頂いたと確信できるのは、協働推進室長さんを紹介頂いたのである。

この方がまたオモシロかった。四輪レースで鈴鹿にしょっちゅう行っていたとかで、星野一義の全盛期のころで、星野の話もスムースに出来て、どんど話は弾んで、3時から5時半までみんなが帰る頃まで、話は途切れなかった。

気に入った方しか入会は勧めないのだが、お勧めして兵庫県のNPO行政の中枢の中枢である統括推進室に二人の新加入者が出来たのである。

これは今後の展開が大きく開けるかもしれない。

NPO The Good Times の今年の目標は『新しい公共』である。

県の協働推進室の目標の中にも『新しい公共』は大きなテーマなのである。

ただ、県の進め方は従来のタテ型方式だし、私どもは典型的なヨコ展開なのである。

ツイッターはダメ、Facebookも??という今の県の体制の中で、その壁をどのように破るべきか? 難しいけど無茶苦茶オモシロイテーマである。

 

『孫中山記念会』もオモシロイし、この県庁推進室もオモシロイ。

お互いに理解の共通点はあるのだが、なかなか現実の体制は簡単ではナイ、だからオモシロイのである。

現役の頃と違っていいのは、『出来なかったからどう』ということがないのである。 

最高にいいお役人との半日であった。

『民間は』と威張っていたら、お役人に抜かれてしまうのではと思う。お役所にも民間以上にいい方はいる。

改革の壁の厚さは、民間も、お役所もそんなに変わらないのでは、というのが昨今の私の感想である。

 

武雄はホームページは100%、Facebookに移行したし、

神戸市では、KANSAI GENNKI! PROJECT が既に始まってるし、

三木の ボランタリー活動プラザも e-まちネット@みき がスタートして、発展中なのである。

 

 

 

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三木さんさんまつり

2011-10-02 17:31:50 | みっきぃふるさとふれあい公園

三木さんさんまつりは、こんな踊りが主体のおまつりです

今年は第20回目の節目のおまつりでした。

★昨年までの実行委員長のまつりおとこさん、草間透さんは、NPO The Good Times の副理事長をして頂いています。

そんなことで、NPOのメンバーもいろいろお手伝いをしました。

線路設計から運行まで中心になってやってくれたのは、カワサキの二輪部門技術本部の商品企画部長古橋君です。二輪の専門誌にも登場しますので、顔をご存じの方も多いと思います。大の鉄道マニアで、メリケンパークでやるカワサキワールド主催のミニSLでも活躍します。

昨日も息子さんともども大活躍でした。

NPO The Good Times の個人会員さんでもあります。

メイン会場とは少し離れてはいますが、終日子供たちで賑わいました。

どちらかというと、三木さんさんまつりは、大人対象で、その中に子供さん主体のこんなミニSLが入って、和やかな雰囲気になりました。

三木さんさんまつりの写真は25枚、Facebookのアルバムにしましたので、ご覧ください

 

主体の踊りの写真やブログは、明日になれば沢山アップされるでしょうから、そちらをリンクすることにします。

ミニSLの同じテントの中では、子供たちのために『風車教室』も開かれました。

子供たちも熱心に風車にチャレンジしていましたが、

指導されていた中に、三木ではちょっと有名な『エプロン三木』の若田さんがいました。お久しぶりでした。

踊りもいいけど、子供たちのおまつりもなかなかでした。

エプロン三木は本会場でも店を出しているというので、ちょっと覗いてみましたが、見つかりませんでした。

 

★舞子高校の生徒たちがこんなお店?を出していました。

 

 

舞子高校がどのような活動をしているのかは、短い時間でよく解りませんでしたが、

環境防災科』は日本で初めてという、生徒さんの言葉と、実験みたいなことをやっている、態度まなざしの真剣さが印象的でした。

写真を撮って、明日広報しとくからと生徒さんに伝えてきましたが、どの程度信じて頂いたかは解りません。

そんな約束をしたので、ちょっとだけですが書いておきます。

日本で初めてということは素晴らしいことです。

 

 

◆ 環境防災科設置の背景

舞子高校に環境防災科を設置することが決まったのが平成12年(2000年)3月。4月から2年間の研究・準備期間を経て平成14年(2002年)4月から本格的にスタートした。

防災教育を推進する全国ではじめての学科であり、このような学科が被災地神戸に設置される意義は非常に大きい。

兵庫県では阪神・淡路大震災以降、命の大切さ・助け合いのすばらしさなど、震災の教訓に学ぶ「新たな防災教育」を推進してきたが、それを高校の専門学科で展開しようというものである。

 

舞子高校環境防災科で検索するとこんな言葉が並んでいました。頑張って欲しいと思います。

 

★三木さんさんまつりの表舞台はいろいろあったと思いますが、

このまつりを、別の意味で支えた話題、三題でした。

 

 

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橋下さん、野田さん、2カ月後どうなってるだろうか?

2011-10-02 06:30:18 | 大阪維新の会、橋下徹氏

★『大阪府&橋下徹 』というカテゴリーで、橋下さんが大阪府知事になる直前から、橋下さんを追っかけている。

あの頃の沈滞した大阪から一転して、世のなかの注目を浴びるまちになった。

2008年年1月30日のブログには』こんな風に書いている。

 

今度、大阪府知事になった橋下さん、こんな解り易いマニフェストを出している。

そんな中で「収入の範囲内での支出」と言い切った。
これが出来る、出来んといろいろ騒がしいが、まずそんなことよりも、「明確に言い切った」ことに大拍手である。

これで、方向、大方針は決まった。
そして、その言い方が極めて明確であり、やろうと意思が明確に読み取れた。

橋下さんは、これをやりきるだろうと思う。
・・・・・・・・
改革とは体質の転換である。
それをしないで、ちょっと改革の真似事の改善をしただけで改革と錯覚しているリーダーが多すぎる。
大阪を変えようと言う意識が、極めて明快である。
・・・・・・・
リーダーに、確固とした方針と熱っぽさがあり、それをホンネで伝えれば、必ず追随する強い味方がいっぱいできる。
そして、いつかそれは、流れになる。流れ出したら、さらに大きな流れになるはずだ。
・・・・・・・
樋渡さんとはまた違った、
ファンになり応援したくなる人がまたひとり、出来た。
応援をすることに決め、新しいカテゴリー「大阪府&橋下徹」を造った。
・・・・・・・・・・・
橋下さんの大局を見る目、視点の方向、スタンス、どれも間違っていない。
若いけれど、リーダーの資質、大丈夫である。
・・・・・・・・・・』
 
 
そんなに間違っていなかった。
ただ、今後どうなるのかは、よく解らない。
★まだ4年の任期も来ていないのに、この秋には府知事を辞めて、大阪市長に立候補するという。
府知事は誰がやるのだろうと、賑やかだが、誰が府知事になろうと橋下さんが若し大阪市長になったら、『大阪市』が話題の中心になるのだろう。
 
大体、世のなかの政治家志望の人たちは、『何をやりたい』よりは『何になりたい』人が多すぎるのである。
市議―県議―国会議員と上を目指すのが殆どで、市長ー知事はともかく、知事から市長へなどは、従来の政治家の常識にはなかったことである。
 
今度の大阪のダブル選挙、その結果はがどうなるかは、大いに関心事なのである。
若し、市長になったら、それから具体的にどうするのだろう。 
 大阪都構想など、そんなに簡単に出来るとは思えないが、橋下さんにはある程度道筋は見えているのだろう。
 
でも、その道は大変難しい道筋になるだろう。
 
★単なるカンだが、野田総理には期待している。
 
橋下さんとはいき方は全然違うが、野田流は大丈夫機能するような気がする。
この1カ月間、マスコミはいろいろ言うが、大体野田さんの思う通りに動いているのだろう。
公務員の庁舎止めたりしたら、最高だが・・・・『周囲が見えているし、ちゃんとしたヨミ』があると思える。
 
物事が実現する動きである。
日本も大変な時なので、民主党でも自民党でもいいが、日本がうまく動いて欲しいのである。
 
野田さんには日本を上手く引っ張って欲しいと。
同じように、橋下さんには大阪を上手く引っ張って欲しいと思っている。
 
あと2カ月すれば、日本の政治も変わるかもしれない。

 

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